• 更新日:2017年8月18日
  • 公開日:2016年6月19日


その7 金魚

夏といえば夏祭り、夏祭りといえば金魚すくい。飼育が簡単なことから金魚は今もペットとして人気。ゆったりと泳ぐ姿は、見ているだけで癒されます。

ちなみに、金魚のルーツは中国の長江流域にあり、およそ1600年も昔、ここにいたフナのなかに突然変異で赤い色のものが現れ、それに品種改良を重ねて今の金魚となりました。そんな金魚が日本にやってきたのは室町時代といわれています(諸説あり)。

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江戸時代になると大々的に養殖が行われるようになりましたが、江戸前期にはまだまだ高値の華のぜいたく品で、一部の特権階級だけが金魚を愛でていました

それが江戸時代中期以降になると大量生産により価格も下がり、金魚は手の届くペットとして広く庶民にも愛されるようになりました。

『東都見立夏商人』「金魚売」(歌川国貞 画)
『東都見立夏商人』「金魚売」(歌川国貞 画)
こちらは江戸の夏の風物詩、金魚売(きんぎょうり)。江戸時代後期に登場した金魚を売り歩く夏限定の商人です。タライのなかで金魚が泳いでいます。

画像左下のタライの取っ手にぶら下がっているのは「金魚玉」と呼ばれるガラス製の容器で、これに金魚を入れて持ち帰り、そのまま軒下などに吊るして楽しんだとか。

今だと金魚すくいの金魚をビニール袋に入れて持ち帰りますが、それのガラスバージョンといったところでしょうか。風流ですね。

美しい金魚は美女との相性バツグンで、浮世絵にも多数登場。金魚玉を持っています(『金魚玉を持つ女』喜多川歌麿 画)
美しい金魚は美女との相性バツグンで、浮世絵にも多数登場。金魚玉を持っています(『金魚玉を持つ女』喜多川歌麿 画)
ちなみに、金魚すくいも江戸時代に始まったとか。さて、買ってきた金魚を江戸時代の人々はどのように楽しんでいたかといいますとこんな感じ。

『あつまけんしみたて五節句』部分(歌川国貞 画)
『あつまけんしみたて五節句』部分(歌川国貞 画)
大きな陶器製の鉢に金魚が泳いでいてホテイアオイのような水草が浮いています。子どもが鉢をのぞき込んで、エサをあげようとしているようです。

今だと金魚を飼う場合、ガラスやアクリル、プラスティック製の四角い水槽のほか、レトロな金魚鉢も人気ですよね。この金魚鉢、意外と歴史は浅く広く普及したのは昭和以降なんだとか。

江戸時代にはまだ大きなガラス製品は一般的ではなく、金魚も木桶やタライ、陶器もしくは漆器製の水鉢で飼っていました。なので、金魚は上からのぞいて鑑賞する「上見(うわみ)」スタイル。

そのため、金魚は上から見た時に美しく見えるように改良が重ねられました。その最たるものがランチュウという丸っこい金魚。これは上から見た際にウロコの美しさが際立つように背びれがありません。

ランチュウ(金魚の品種)
画像引用元:金魚一道

その8 蛍(ほたる)

蛍も夏の夜を彩る風物詩ですよね。

淡い光を放って飛ぶ蛍は古くから日本人を魅了したようで、平安時代には『源氏物語』など文学作品にもよく登場するようになります。

現在、都市部ではなかなかお目にかかれなくなってしまいましたが、江戸時代の江戸には蛍がたくさんおり、谷中の蛍沢(現・東京都台東区)や高田の落合の姿見橋(現・東京都新宿区)、江戸川小日向(現・東京都文京区)、王子飛鳥山(現・東京都北区)などは蛍の名所として有名でした。

夏の夕暮れとなると江戸っ子たちもちょっと郊外に足を伸ばし、蛍狩りに興じました。蛍は比較的簡単に捕まえることができるので、大人も子どもも団扇や笹の葉などで蛍を捕まえ、蛍籠に入れて持ち帰ったそう。

ほうきのようにした笹の葉で子どもが蛍を捕まえようとしています(『江戸砂子子供遊』「早稲田蛍がり」歌川芳幾 画)
ほうきのようにした笹の葉で子どもが蛍を捕まえようとしています(『江戸砂子子供遊』「早稲田蛍がり」歌川芳幾 画)
また、郊外まで足を運ばずとも市中には夏になると蛍を売り歩く「蛍売り」が現れ、こちらも夏の訪れを告げる風物詩となっていました。

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