入館にちょっとドキドキ。貨幣博物館ってどんなところ?
貨幣博物館は東京日本橋三越のすぐ近くにあるお金をテーマにした博物館。最寄り駅は三越前駅。
その外観は見るからに堅牢で気持ちが引き締まります。そしてほかの博物館とちょっと、いやだいぶ違うのは、入館前にまるで空港のような厳重な手荷物チェックがあること。
本物の金貨などが展示してあるためでしょうね。なんだかドキドキしました。
常設展示と企画展示がワンフロアにされており、常設展示では古代から現代までのお金の歴史を学ぶことができます。レプリカですが天正大判を持つこともできます。これが結構重たいし、大きくてビックリします。
さて、本日の目的である企画展コーナーへ行ってみましょう。
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ルーツから広がりまでわかりやすい解説
江戸時代の富くじについては以前の記事に詳しいので、展示に沿ってざっと紹介していきます。
まず、「富くじ(富、富突き)」とはひと言でいうなら「江戸時代版宝くじ」。「富札(とみふだ)」という抽選券を購入し、当選金を当てるギャンブル興行で江戸時代後期に大ブームを巻き起こしました。
江戸時代に大ブームとなった富くじはギャンブルでしたが、もともとは宗教行事の一種。江戸時代初期に摂津国(現・大阪府)にある箕面山龍安寺や山城国(現・京都府)にある鞍馬寺などが発祥といわれています。
この当時、当選者にもらえるのはお金ではなくありがたいお守りで、「富会(とみえ)」と呼ばれる新年の縁起物行事だったのです。
やがてこの方法が江戸や上方でギャンブルとして興行化、「楽して大金をゲットしたい!」という人間の心理を煽りまくり大人気となります。そのギャンブル性の高さと一か所に大勢の人が集まるなどの理由から幕府は何度も禁止令を出しました。
しかし、江戸時代中期、“暴れん坊将軍”でおなじみ八代将軍・徳川吉宗が「寺社だけは富くじしてもいいよ」という方針を打ち出します。
というのも、当時の幕府は財政難で寺社の修復にかかる助成金を出す余裕がなくなっていたため、富くじ興行を寺社に許可する代わりにその収益金で修繕費を賄わせようとしたわけです。頭いいですね〜。
この幕府の許可を得て寺社が行った富くじ興行は「御免富(ごめんとみ)」と呼ばれ、最盛期である1810年〜40年代には、2〜3日に1度は江戸のどこかの寺社で御免富が開催されるまでになりました。
『東都歳事記』に描かれた谷中感応寺の富くじ興行。谷中感応寺、目黒滝泉寺、湯島天神は「江戸の三富」と呼ばれ特に大勢の人が集まった。