【Switchもスマホもないけど】江戸時代の子どもの遊びがバラエティ豊かで楽しくなる

  • 更新日:2025年1月25日
  • 公開日:2016年12月15日

カードゲームにニンテンドーSwitch、スマホなど、現代の子どもたちの周りには多様なおもちゃがあります。それらがなかった江戸時代、子どもたちは何をして遊んでいたのでしょうか。かわいらしい浮世絵とともにまとめてみました。

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Youtube動画『【禁じられた遊びも!?】江戸時代の子どもに流行った遊びとは?道具や種類を紹介【ゆっくり解説】』

お菓子屋さんの前で楽しそうに遊ぶ子どもたち
お菓子屋さんの前で楽しそうに遊ぶ子どもたち。こうした風景は今も昔も変わらないですね

その時期にしか楽しめない四季折々の遊び


春夏秋冬――日本ならではの四季には遊びのヒントがいっぱい。季節の行事とともにその時期だけの楽しみだった遊びをご紹介。

では、まず春の遊びから!

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人気すぎて幕府が禁止した正月の風物詩

江戸時代の凧揚げ(『子供遊び凧の戯』部分 一交斎小芳盛 画)
『子供遊び凧の戯』部分 一交斎小芳盛 画
凧揚げ(たこあげ)

  • 遊ぶ子どもの性別:男の子
  • 今でも見る度:★★★☆☆

最近では「電線にひっかかって危険」「そもそも広い場所がない」などの理由からめっきり見かけることの減った凧あげですが、江戸時代には子どもだけでなく大人も夢中になるほど大人気!

凧は平安時代頃に中国から伝わったといわれ、古くは中国呼びの「紙鳶(しえん)」という名で呼ばれていました。戦国時代には密書の伝達など実用として利用されていた凧ですが、江戸時代になると“遊び”へと変化しました。

江戸時代前期の凧は半円形の紙に数本の尻尾という形状で、その見た目から「いかのぼり」と呼ばれました。



…え?



「たこ」じゃなくて「いか」!?


驚きの事実。しかも、明治時代初め頃までは関西では「いか」、関東では「たこ」と呼んでいたそう。

さて、江戸時代前期に庶民の間で大人気となった凧あげですが、参勤交代の行列に凧が落下するなど事故も起きるようになり、幕府によって「いかのぼり禁止令」が出されてしまいます。

善光寺御開帳法要におけるドローン事故
現代におきかえると、ドローンの事故が相次ぎ物議をかもしてることにイメージが近い?写真は「御開帳」の行事中の善光寺にドローンが墜落した様子。画像引用元:NewsTimes
一説に「いかのぼり」が「たこあげ」になった理由は、幕府から禁じられた凧揚げをやりたいがために「これは“いか”じゃなくて“たこ”です」と強引な屁理屈でやり過ごそうとしたためとも。

現代のように凧揚げが“正月の遊び”として定着したのは江戸時代も終わり頃になってからだそう。正月の風物詩となった凧揚げは浮世絵にも多数描かれました。ちなみに、江戸時代、凧揚げは男の子の遊びだったそうです。

次。

女の子の正月限定のお楽しみ!

江戸時代の羽根つき(『子供十二月』「春」 歌川貞広 画)
『子供十二月』「春」歌川貞広 画
羽根つき

  • 遊ぶ子どもの性別:女の子
  • 今でも見る度:★☆☆☆☆

男の子の正月遊びが凧あげなら、女の子の正月遊びは羽根つき(おいばね、とも)でした。羽根つきのルーツは室町時代にさかのぼるといい、公家の遊びだったとか。羽根つきの原形は正月の厄払い行事にあるといわれ、もともとは子どもの無病息災を願うものだったそう。

それが江戸時代には女の子の遊びとして定着し、羽子板の形状も現在に近いものになりました。また、遊戯用のものとは別に正月飾り用の「押絵羽子板」も登場し、縁起物、祝儀用として人気に。女の子が誕生した家に羽子板をプレゼントするという風習もあったそう。

羽根つきのほか、鞠(まり)つきも女の子の正月遊びのド定番でしたが、どちらも今はあまり見かけなくなってしまいましたね。

次。

女の子のお祭り、ひな祭りにも楽しみいっぱい!

江戸時代のおままごと(『子宝五節遊』「雛遊」鳥居清長 画)
『子宝五節遊』「雛遊」鳥居清長
人形遊び、おままごと

  • 遊ぶ子どもの性別:女の子
  • 今でも見る度:★★☆☆☆

3月3日は女の子のお祭り「ひな祭り」。華麗なひな人形に女の子たちは胸をときめかせました。近年はライフスタイルの変化からひな飾りもコンパクトなものが人気で、ひな人形の婚礼道具もめっきり数が減りました。

また現代では「あくまで飾って楽しむもの」というイメージがありますが、江戸時代の女の子たちはひな飾りの道具や人形でおままごとを楽しんでいたようです。


続いて、夏の遊びを紹介!

男の子のお祭り、端午の節句の遊びとは?

江戸時代の端午の節句の遊び「菖蒲打ち」(『雅遊五節句之内端午』 歌川国芳 画)
『雅遊五節句之内端午』歌川国芳
菖蒲打ち(しょうぶうち)



  • 遊ぶ子どもの性別:男の子

  • 今でも見る度:☆☆☆☆☆




5月5日は端午の節句、男の子のお祭りです。鯉のぼりを飾る風習は江戸時代に始まり、男の子の立身出世を願いました。また、邪気払いとして菖蒲を飾る風習も古くからありましたが、江戸時代になると「菖蒲(しょうぶ)」が「尚武」「勝負」に通じることから菖蒲を巻いた太刀「菖蒲刀」を飾るように。さらにこれが進化し武者人形を飾る風習も生まれました。

端午の節句に男の子たちが興じたのが「菖蒲打ち」という遊びです。これは、菖蒲の葉を編んだものをエイヤと地面に打ちつけて音の大きさを競うもの。上の画像にも真剣な表情で菖蒲打ちをする男の子たちが描かれています。

ほかに端午の節句では、“ヤンチャ”な遊びとして「菖蒲切」というチャンバラごっこなどがありましたが、紹介したいのは「印地(いんじ)」という遊び。

「印地」とは二手に分かれての石投げ合戦なのですが、負傷者が後を絶たないほどのデンジャラスゲームだったので、江戸時代前期以降、禁止になったとか。

なにやってんの、江戸時代...。

次。

夏だ!暑いぞ!水遊びだ!!

江戸時代の魚釣り(『すな鳥子供遊』英山 画)
『すな鳥子供遊』英山 画
江戸時代 釣りをする子ども(『東都花暦十景』より「木場ノ魚釣」渓斎英泉)
(『東都花暦十景』より「木場ノ魚釣」渓斎英泉 画)
水遊び、魚釣り



  • 遊ぶ子どもの性別:男の子、女の子

  • 今でも見る度:★★★☆☆




大都市・江戸でも今とは格段に自然が身近にありました。夏にお金をかけず手軽にあそぶとなれば人気なのが、水遊び。

子どもたちは近くの川へ行き、泳いだり水をかけあったり、魚を獲ったりと思い思いに水と戯れました。冷房もなかった江戸時代、水遊びは楽しいうえに涼もとれる一石二鳥の遊びでした。

次。

これでもくらえ!!

江戸時代の水鉄砲(『江戸名所道化尽』「下谷御成道」歌川広景 画)
『江戸名所道化尽』「下谷御成道」歌川広景 画
水鉄砲



  • 遊ぶ子どもの性別:男の子、女の子

  • 今でも見る度:★★★★☆




こちらの絵は幕末に描かれたものですが、あろうことか武士に向かって子どもが水鉄砲を発射! 武士の権力が低下した幕末ならではの風景です。

江戸時代の水鉄砲は竹製で、ポンプの原理を応用したおもちゃでした。手作りすることもあれば、売っているものを買うこともありました。

次。

今の東京では考えられない夏の遊び

ほうきのようにした笹の葉で子どもが蛍を捕まえようとしています(『江戸砂子子供遊』「早稲田蛍がり」歌川芳幾 画)
ほうきのようにした笹の葉で子どもが蛍を捕まえようとしています(『江戸砂子子供遊』「早稲田蛍がり」歌川芳幾 画)
蛍狩り



  • 遊ぶ子どもの性別:男の子、女の子

  • 今でも見る度:★☆☆☆☆




現在、都市部で蛍を見かけることはほぼありませんが、江戸時代には都市部にも蛍がたくさんいました。蛍は動きがゆったりしているので子どもでも簡単に捕まえることができ、夏の夕暮れともなると大勢の子どもたちが団扇や笹の葉などを手に蛍狩りを楽しみました。

似たような遊びに「コウモリこいこい」というものもあり、竹竿の先に手ぬぐいを結びつけ、コウモリと戯れました。これも今では見なくなった遊びですね。

次。

夏といえばこれ

江戸時代の花火(『子供遊花火の戯』)
『子供遊花火の戯』
花火



  • 遊ぶ子どもの性別:主に男の子

  • 今でも見る度:★★★★☆




夏ならではの遊びとして今も大人気の花火。諸説ありますが、日本で最初に花火を見物したのは神君・徳川家康だとも。平和な江戸時代に花火は進化し、今に続く両国の花火大会も開かれるようになり、大勢の人々が花火見物を楽しみました

線香花火や癇癪玉などの“おもちゃ花火”が誕生したのも江戸時代で、子どもたちは花火が生む音と火花の競演に大興奮しました。

続いて、冬の遊びはなにがあったのでしょうか?

たっぷり雪が積もったら外で遊ぼう!

江戸時代の雪合戦、雪だるま(『新板子供遊び之内雪遊び』歌川国芳 画)
『新板子供遊び之内雪遊び』歌川国芳
雪合戦、雪だるま



  • 遊ぶ子どもの性別:男の子、女の子

  • 今でも見る度:★★★★☆




子どもは風の子、寒さなんてヘッチャラです。雪の積もる寒い冬の日にも子どもたちは元気に外で遊びました。江戸時代は“ミニ氷河期”にあり、現代の冬よりうんと寒く、隅田川が氷結したこともあったとか。江戸でもたくさんの雪が積もり、子どもたちは雪をおもちゃにいろいろな遊びをしました。

上の絵は雪の日の遊びを描いたものですが、じつにバラエティ豊かな遊びがそこにはあります。まず画像左、大きなダルマがありますが、これは「雪ダルマ」。現代では雪ダルマというと、丸めた雪を2つ重ねたものをイメージしますが、江戸時代の雪ダルマはその名の通りダルマ型だったんですね。

ちなみに、雪を大きく丸める遊びは「雪まろげ」と呼ばれ、画像右にそのようすが見えます。

画像中央には雪合戦をする子どももいます。また、画像左奥の子どもたちは、丸く凍った氷にヒモを通し棒に吊るして担いでます。小枝をバチにし太鼓のように叩いたりして遊びました。

ほかに、ものすごい高さの竹馬をする子どももいます。

え、いや、高い、高すぎる...。

ちなみに竹馬が現代に通じるこのスタイルになったのは室町時代からだとか。

それにしても、雪景色のなか、子どもたちのなかには裸足で遊ぶ子も!元気いっぱいです。

今に残る遊びもいっぱいの室内遊び



さて、お次は1年を通して子どもたちが楽しんだ室内遊びいろいろをご紹介しましょう。

女の子はいつだってお人形が大好き

江戸時代の人形遊び(『四季の詠おさな遊』渓斎英泉 画)
『四季の詠おさな遊』渓斎英泉
人形遊び



  • 遊ぶ子どもの性別:女の子

  • 今でも見る度:★★★★☆




リカちゃん人形やバービー人形など、かわいらしいお人形を使っての着せ替え遊びやおままごとはいつの時代も女の子の遊びの定番。

江戸時代に女の子の遊び用人形として普及したのが「姉様人形」と呼ばれる人形です。手足はなく、顔も目鼻が省略されているのが特徴で、着物には粋なデザインの千代紙が使われました。

姉様人形(江戸時代に女の子の遊び用人形)
画像引用元:ボテキンパラダイス
髪型や帯の結び方には、遊女や町娘など職業や年齢が反映されており、女の子たちは人形を使って流行のファッションやヘアスタイルを楽しみながら覚えました。

地域ごとの特色を持つ姉様人形が全国各地に誕生し、江戸特有の「江戸姉様」は江戸土産としても人気がありました。

そのほか、今では手に取って遊ぶことはほとんどない市松人形も、江戸時代の女の子たちは抱っこしたり着せ替えをしたり、現代のポポちゃん人形のようにして遊びました。

江戸時代の女の子は市松人形でも遊んでいた(『風流子供遊』二代目勝川春好 画)
お母さんでしょうか、女性が操る人形に子どもは大喜び。いろいろなタイプの人形が遊びの場に登場しました(『風流子供遊』二代目勝川春好 画)

次。

シンプルだからこそ夢中になる

江戸時代のあやとり(『あやとり』鈴木春信 画)
『あやとり』鈴木春信
あやとり



  • 遊ぶ子どもの性別:女の子

  • 今でも見る度:★★★★☆




1本のヒモを指にからめてさまざまな形をつくるシンプルな遊び「あやとり」。なんとなく日本固有の遊びというイメージがありますが、じつは世界中に同じような遊びがあります。起源については諸説あり、一説には世界中で自然発生的に誕生したとも。

日本では江戸時代に女の子たちの遊びとして定着し、浮世絵にもそのようすが描かれています。呼び方も各地で違いがあり、江戸では「あやとり」、上方では「いととり」、地域によっては「たすきどり」「とりこ」などさまざまな呼称があったそう。子どもだけでなく大人の女性もあやとりを楽しみました。

次。

江戸時代から今に続く紙の芸術

江戸時代の折り紙(『西川筆の海』より 西川祐信 画)
『西川筆の海』より 西川祐信 画
折り紙



  • 遊ぶ子どもの性別:主に女の子

  • 今でも見る度:★★★★☆




1枚の紙が鶴になったり、舟になったり、箱になったり、人形になったり……折り紙の可能性は無限大。現代では「これが折り紙!?」と仰天するようなものすごい芸術的な折紙を生み出す達人もいますよね。

ちなみに、「折り紙」という呼び方がされるようになったのは明治時代からで、江戸時代には「おりすえ(折居)」とか「折形(おりがた)」とか「をりもの」などと呼ばれていました。また、江戸時代の折り紙は、遊びとして広まった“遊戯用折り紙”と、儀礼の席での飾りや贈答品の飾りとして使われた“儀礼折り紙”の2種類がありました。

「遊び」としての折り紙は女の子の代表的な遊びのひとつでしたが、折り紙に夢中になったのは子どもだけでなく、大人の女性や下級武士にも折り紙好きがたくさんいました。さらに、折り紙の芸術性の高さはファッションにも取り入れられ、折り鶴をデザインした着物もありました。

次。
老若男女が夢中になった室内ゲームの代表格

江戸時代のすごろく(『男女一代婚礼寿語六』落合芳幾 画)
『男女一代婚礼寿語六』落合芳幾
すごろく(双六)



  • 遊ぶ子どもの性別:男の子、女の子

  • 今でも見る度:★★★☆☆




テレビゲームや携帯ゲームの人気に押されすっかりなじみが薄くなってしまったすごろくですが、江戸時代には子どもだけでなく大人も夢中になる大人気ボードゲームでした。

すごろくの歴史はとっても古く、その起源はインドとも中国とも。日本にやってきたのは奈良時代といわれ、木版印刷が発達した江戸時代には安価なすごろくが出回るようになったこともあり大人気に。

江戸時代のすごろくにはさまざまなタイプがあり、たとえば上の画像のすごろくは、ある男女の子ども時代からスタートし、結婚、子どもの誕生、育児……と結婚生活を営んでいくストーリー。

いわば“江戸時代版人生ゲーム”

ほかにも、女の子がさまざまな職業を経て幸せな晩年を迎えてゴール、という“出世すごろくもの”や、江戸の名所や人気店などを巡るガイドブック的なすごろくなどもありました。すごろくをしながら道徳を学べるすごろくなど、今風にいうなら知育玩具の役割をしたすごろくもありました。江戸時代のすごろく、ちょっとやってみたいぞ。

次。

華麗なるペーパークラフト

江戸時代のおもちゃ絵(『新板鬘尽くし(しんばんまげづくし)』歌川芳藤 画)
『新板鬘尽くし(しんばんまげづくし)』歌川芳藤 画
おもちゃ絵



  • 遊ぶ子どもの性別:男の子、女の子

  • 今でも見る度:★★☆☆☆




浮世絵といえば江戸時代を代表する芸術ですが、子ども向けに作られた“遊び用の錦絵”というものがありました。それらは「おもちゃ絵」と呼ばれ、江戸時代後期から明治時代中期にかけ子どもたちに愛されました。

その種類はじつに多彩。

「〇〇尽くし」という身近な動物や道具などを集めた図鑑のようなものや、「切組灯籠」「立版古(たてばんこ)」と呼ばれたパーツを切り取り組み立てると立体になるペーパークラフトもありました。

ちなみに上の画像は歌舞伎役者の着せ替えで、当時の人気役者・八代目市川團十郎の顔に、役ごとに異なる髪型を貼り付けその役に変身させる、というもの。アイデア、斬新!!

明治時代のおもちゃ絵(『魚つり当物』)
『魚つり当物(あたりもの)』
こちらは明治時代の「おもちゃ絵」ですが、竿の先についた糸をひっぱると「金魚」や「かめ」「うなぎ」などが釣れるしかけになっています。これは楽しそう! 今でも子ども雑誌の付録にありそうですね。

そのほか、室内ゲームの定番「いろはかるた」も江戸時代に誕生し人気を集めました。江戸時代から「い」は「犬も歩けば棒に当たる」だったんですよ~。

小さい子も大きい子も一緒に遊べる外遊び



室内遊びの次は外遊び。江戸時代の子どもたちが夢中になった外遊びにはどんなものがあったのでしょうか。

鬼から子を守れ!

江戸時代の遊び「子をとろ子とろ」(『幼童遊び子をとろ子とろ』歌川広重 画)
『幼童遊び子をとろ子とろ』歌川広重
子をとろ子とろ



  • 遊ぶ子どもの性別:男の子、女の子

  • 今でも見る度:☆☆☆☆☆




外遊びの代表格で、ルールは簡単。「親」を先頭に何人かの「子」がつながって1列になります。「鬼」は最後尾の「子」を捕まえたらクリア。捕まった「子」が次に「鬼」になります。

なので、先頭の「親」は「子」が「鬼」に捕まらないよううまくガードしながら逃げなければならず、グループの年長者が「親」になることが多かったとか。

子どもたちはこの遊びを通して「年長者が年下の子を守る」という意識を学んだそうで、明治時代には道徳の授業にも取り上げられることも。

子をとろ子とろ(明治時代の絵ハガキより)
「子をとろ子とろ」の遊びは明治時代の絵ハガキにも
「子をとろ子とろ」は、ルールも簡単だし楽しそうなので現代っ子にも意外と人気が出そうな気がする。

次。

見た目のかわいさに反してかなりキツそう!?

江戸時代の遊び「芋虫ごろごろ」(『風流をさな遊び』 歌川広重 画)
『風流をさな遊び』(歌川広重 画)より
芋虫ごろごろ



  • 遊ぶ子どもの性別:男の子、女の子

  • 今でも見る度:☆☆☆☆☆




なんといっても名前がかわいい「芋虫ごろごろ」。

子どもたちがしゃがんで一列につながっている見た目もまた格別にかわいい。

しかも、「芋虫ころころひょうたんぼっくりこ♪」(江戸ver.)と歌いながらにじり歩くのだからたまらない。

ただ、このしゃがみ歩きはやってみるとめちゃくちゃキツイ……。ちょっとしたトレーニングにもなったことでしょう。体があったまるので寒くなってくる秋口から「芋虫ごろごろ」人気が高まったそう。

次。

はけよーい、のこった!

江戸時代の相撲遊び(『新板子供遊び之内相撲』)
『新板子供遊び之内相撲』
相撲(すもう)



  • 遊ぶ子どもの性別:男の子

  • 今でも見る度:★★☆☆☆




江戸時代の大人気娯楽、相撲。力士どうしの白熱した立ち合いは大人の男性だけの楽しみでしたが、男の子たちも相撲が大好きで遊びの定番として定着しました。

今だとあまり相撲ごっこをする子どもは見かけませんが、『キン肉マン』世代ならプロレスごっこに熱中した記憶があるのではないでしょうか。あれと同じような感じでしょう。

上の画像は町内の子ども相撲大会のようす。たくさんの子どもたちが、熱戦が繰り広げられる土俵を見つめています。よく見ると女の子のお相撲さんも!

次。

江戸時代に誕生したメンコのルーツ

江戸時代の泥メンコ
画像引用元:神田雑学大学
泥メンコ



  • 遊ぶ子どもの性別:男の子

  • 今でも見る度:☆☆☆☆☆




今ではほとんど知る人のいない江戸時代の大人気おもちゃ「泥メンコ」。これは素焼きの素朴なおもちゃで、文字や動物、家紋、歌舞伎役者などさまざまなデザインがありました。当時は「泥メンコ」という呼称ではなく「めんがた」とか「面打(めんちょう)」などと呼ばれていたそう。

大きさはちょうど100円玉くらいで、おはじきなどのように友だちと泥メンコの取り合いゲームをして楽しみました。

泥メンコ遊びのうち代表的なのが「穴一(あないち)」というゲーム。これは、地面に穴を掘って、穴から離れた場所から泥メンコを投げ、穴に入ったら勝ち、というもの。

江戸時代中期に誕生し幕末に大人気となった泥メンコですが、明治時代になり西洋風デザインの鉛メンコが登場すると人気は急降下、やがて姿を消していきました。しかし、今でもわずかですが泥メンコを製造しているところがあり、民芸品として生き残っています。

次。
いつの世もヒーローは男の子の憧れ

江戸時代の火消ごっこ(『風流をさな遊び』より 歌川広重 画)
『風流をさな遊び』より(歌川広重 画)
火消ごっこ



  • 遊ぶ子どもの性別:男の子

  • 今でも見る度:☆☆☆☆☆




命がけで火から人々を守る町火消は江戸の子どもたちにとって憧れのヒーローでした。

現代っ子たちも戦隊もののヒーローやライダーになりきって「ヒーローごっこ」をしたりしますが、それは江戸時代の子どもたちも同じ。カッコイイ町火消になりきって遊んだようです。特に火事が多くなる秋から冬にかけて火消ごっこは人気だったとか。

町火消のほか、物語や芝居に登場するヒーローになりきる“ごっこ遊び”も男の子たちに大人気でした。

次。

今に残るワールドワイドな男の子の遊び

江戸時代の輪回し・たが回し(『江戸自慢三十六興 日本橋 初鰹』二代歌川広重・三代歌川豊国 画)
『江戸自慢三十六興 日本橋 初鰹』二代歌川広重・三代歌川豊国 画
輪回し・たが回し



  • 遊ぶ子どもの性別:男の子

  • 今でも見る度:★★☆☆☆




桶や樽の「たが」にY字形の棒を当てて、「たが」が倒れないようにバランスを取りながら転がす遊びで、江戸時代の男の子たちのポピュラーな遊びでした。上の画像左、丁稚の男の子がやっているのがそれです。

世界的にも古くからある子どもの遊びだそうで、なんと紀元前の古代ギリシアの子どももやっていたそう。インディアンやエスキモーの子どもも輪回しをしたというからすごい。

昭和には「たが」の代わりに自転車の車輪(リム)を回す「リム回し」が大流行し、今では運動会の競技のひとつに取り入れられることもある息の長い遊びです。

次。

遊びながら闘争心を育てる

江戸時代の遊び『打球』(『子供あそび』貞房 画)
『子供あそび』貞房 画
打球(だきゅう)



  • 遊ぶ子どもの性別:武士の男の子

  • 今でも見る度:☆☆☆☆☆




描かれているのは武士の子どもたちによる「打球」の試合のようす。打球は現代の「ポロ」に似た競技で平安時代以前に中国から日本に伝わったといわれます。

江戸時代中期、“暴れん坊将軍”八代将軍・徳川吉宗が衰退していた打球を武芸奨励のために再興、武士の訓練に取り入れました。それが武士の子どもたちの遊びとしても定着、遊びながら武士に必要な心身の鍛錬を養いました。

余談ですが、厳しい身分制度があった江戸時代子どもの世界にも歴然とした“身分の違い”があり、武家の子どもが町人の子どもと遊ぶ、ということはまずなかったようです。武家のなかでも勇猛な気風で知られる薩摩藩の子どもたちは、軍事色の強い遊びをし、幼い頃から闘争心を養ったようです。そりゃ幕末に大暴れもするわけだ。

次。これも遊びかな。

いつの世も悪ガキはいるもの

江戸時代のイタズラ(『江戸砂子々供遊 神田明神東坂』落合芳幾 画)
『江戸砂子々供遊 神田明神東坂』落合芳幾
イタズラ



  • 遊ぶ子どもの性別:主に男の子

  • 今でも見る度:★★★★☆




物陰に隠れた悪ガキたちが目の悪いご老人を相手になにやらイタズラの真っ最中。落とし物に見せかけた煙草入れにひもを付け、拾おうとしたら引っ張り「やーい、ひっかかった、ひっかかった~」とからかおうとしているようです。悪いな〜。

ほかにも、「かくれんぼ」「じゃんけん」「木登り」「なわとび」など今も続く遊びも江戸時代から子どもたちに大人気でした。地域ごとのローカルルールや呼び名があったとはいえ、基本ルールは全国共通だったようです。

おもちゃ屋さんも登場



最後は江戸市中で見られたおもちゃ屋さんをご紹介。

江戸時代の子どもたちは、草で笛をつくったり、花で冠をつくったり身近なものを駆使して遊びました。木や土、余り布や糸、使い古しの紙などを使っておもちゃを自作するのも当たり前。

ですが、江戸時代中期以降、おもちゃを専門に売る「おもちゃ屋さん」が登場し、子どもの遊びの幅をますます広げました。さて、どんなおもちゃが売られていたのでしょうか。

幻想的な虹色のしゃぼんにくぎづけ

江戸時代のシャボン売り(守貞謾稿より)
『守貞謾稿(もりさだまんこう)』より
シャボン売り



  • 遊ぶ子どもの性別:男の子、女の子

  • 今でも見る度:★★★★☆




子どもの頃、シャボン玉の持つ幻想的なおもしろさにトリコとなった人は多かったはず。江戸時代の子どもたちもシャボン玉が大好き

上の画像は江戸時代末期の風俗百科『守貞謾稿(もりさだまんこう)』に描かれた「サボンウリ(シャボン売り)」。夏になると登場する行商人で、江戸では「玉屋~玉屋~」と呼ばわって売り歩きました。

江戸時代にはストローの代わりに竹の細い管や葦(あし)の茎などを使い、石鹸水の代わりには天然の界面活性剤を含むムクロジという植物の果皮などの水溶液が使われました。

江戸時代のシャボン玉遊び(『風流十二月十月』豊雅 画)
シャボン玉に大はしゃぎの子どもたち。今でもこうした光景はよく見かけます(『風流十二月十月』豊雅 画)

次。

珍しいガラスのおもちゃ、どんな音?

江戸時代のビードロ(『当世好物八景』「さわき好」喜多川歌麿 画)
『当世好物八景』「さわき好」喜多川歌麿 画
ビードロ(ぽぴん)



  • 遊ぶ子どもの性別:男の子、女の子

  • 今でも見る度:☆☆☆☆☆




お母さんの耳元でビードロを吹く子ども。「もう~やかましいわねぇ」という声が聞こえてきそうです。子どもが持っているビードロというおもちゃは、ガラスでできており、息を吹き込むと底がペコペコ動き「ぽっぺん、ぽっぺん」という音がしました。

ガラス製品が庶民レベルにまで浸透するのは江戸時代も終わり頃まで待たねばならず、ガラスが高価だった頃は、ビードロも庶民的なおもちゃではありませんでした。

次。

子どもたちの熱視線の先にあるのは!?

江戸時代の都鳥売り(『絵本家賀御伽』より)
『絵本家賀御伽(かがみとぎ)』より
都鳥売り



  • 遊ぶ子どもの性別:男の子、女の子

  • 今でも見る度:☆☆☆☆☆




江戸時代中期の風俗図絵集『絵本家賀御伽』に描かれたおもちゃ屋さんのひとつ。道端で何かを手に持ったおじいさんがおり、その周りには楽しそうな子どもがワラワラ。

おじいさんが持っているのは「都鳥」というおもちゃで、棒から出たヒモの先には紙でできた小鳥が結ばれており、棒を振り回すと小鳥がまるで飛んでいるように舞いました。さらに尾がクルクルまわる仕かけになっていて音まで出たそう。

これは子どもたちが食いつくのも納得。気になる値段はひとつ4文(約80~100円)ほど。売り手であるおじいさんが手作りして実演しながら道端や縁日などで売りました。また、子どものおもちゃ作りは内職としてもポピュラーでした。

次。

江戸時代版ヨーヨー

江戸時代版ヨーヨー「手車」売り(『絵本家賀御伽』より)
『絵本家賀御伽(かがみとぎ)』より
手車



  • 遊ぶ子どもの性別:男の子、女の子

  • 今でも見る度:☆☆☆☆☆




こちらも同じく江戸時代中期の風俗図絵集『『絵本家賀御伽』に描かれたおもちゃ屋さん。おじさんが売っているのは、菊の花のかたちのデザインになっている土でできたヨーヨーのようなもの。「手車」とか「釣りごま」などと呼ばれました。江戸時代にまさかヨーヨーそっくりなおもちゃがあったなんて驚きです。

おもちゃ屋さんにはほかにも、「笛売り」とか「弥次郎兵衛売り」、カラフルな新粉で動物などをつくる「新粉細工売り」などさまざまなものがありました。

売られているおもちゃは“仕かけ”のあるものが特に人気で、バネ仕かけの人形「とんだりはねたり」、細い竿を猿の人形が上り下りする「猿柿のぼり」、おもりのはいった俵型の張子が半分に割った竹の上をヒョコヒョコと転がる「評判俵」など素朴ながらユーモラスなものがたくさんありました。想像以上に江戸時代のおもちゃ事情は豊かだ。

現代の子どもたちは学校のほかにいろんな習い事もあり多忙ですが、江戸時代の子どもたちも寺子屋に通ったりお稽古にいそしんだり、お手伝いをしたりとなかなか忙しい毎日を送っていました。

しかも12歳頃にもなると、商人の子なら奉公へ、職人の子なら職人修行へ、女の子も花嫁修業のため奉公へ出たりと大人の階段を登り始めます。

しかし、子どもたちは忙しい合間を縫って目いっぱい仲間たちと遊びました。

江戸時代の男の子の代表的遊びを描いた『風流をさな遊び』
江戸時代の男の子の代表的遊びを描いた『風流をさな遊び』

江戸時代の女の子の代表的遊び
こちらには女の子の代表的遊びが描かれています
今も残る遊び、消えてしまった遊び、いろんな遊びがありましたが、元気いっぱい遊ぶ子どもの姿はいつの時代も変わらないようです。

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パンツを着用しない時代、女性の下着はどんなもの?

銀ブラをする昭和の女性1963年(昭和38年)昭和の女性が、洋装で銀ブラ。和装から洋装への大転換は日本文化にとって大事件でした。[fluct device=PC num=0][fluct device=SP num=0]さて江戸時代、男性の下着は安定のふんどしですね。女性たちは下着としてどのようなものを使用していたかといいますと、それがこれ。『水鶏にだまされて』石川豊信 画(『水鶏にだまされて』石川豊信 画)「湯文字(ゆもじ)」と呼ばれる四角い布です。今でいう「腰巻(こしまき)」。ヒモがついており、巻きスカートのように腰に巻きつけて使用しました。長さは膝より少し下くらいまで。うっかり裾がペラリと開くと陰部が見えてしまうので、そんなことがないよう下着の4ヵ所にはおもりが入っていたとか。素材は木綿で、色は白もしくは緋色。年配女性は浅黄(あさぎ)色が多かったそうです。さらに、湯文字の上に「蹴出(けだし)」というものを着用しました。「裾よけ」ともいいます。これは今でいう「ペチコート」で、歩く際に湯文字がチラ見えするのを防いだり、着物の裾さばきをよくするために使用されました。長さは湯文字より長く、足首までありました。湯文字と異なり蹴出は「見せ下着」、むしろ見られることを意識した下着のため華やかな柄の布が使われ、女性の足元をより色っぽく見せるのに一役買っていました。『浮世名異女図会(うきよめいしょずえ)』「江戸町芸者」歌川国貞 画(『浮世名異女図会(うきよめいしょずえ)』「江戸町芸者」歌川国貞 画)美しい芸者の足元を見ると緋色の蹴出がチラ見え。足の白さと赤い下着の組み合わせの色っぽさ。ちなみに農村部などでは湯文字を使用することもなく完全に「ノー下着」だったそうです。ですので、作業中に「よっこいしょ」と腰をかがめたりすると陰部が丸見えになる、というのは、農村によくあるのどかな風景でした。


江戸時代からナプキン派、タンポン派にわかれていた!?

パンツを着用しなかった時代。ふと頭に浮かぶ疑問は「江戸時代の女性たちは、生理のときどのように処理していたのか?」。現代にあるナプキンやタンポンといった便利な生理用品。ナプキンの原型ともいえる「アンネナプキン」が発売されたのは、わずか50年前、昭和38年(1961年)のことでした。お年寄りが生理のことを「アンネの日」というのはこれに由来しています。「アンネナプキン」発売の広告「アンネナプキン」発売の広告。キャッチフレーズ「40年間お待たせしました!」は、アメリカで使い捨てナプキンが発売されてそれに遅れること40年にしてついに発売、ということを意味しています。[fluct device=PC num=1][fluct device=SP num=1]さて、ナプキンなどがない江戸時代、女性は生理になると前垂れのあるふんどし状の布で押さえていたそうです。これは見た目が馬の顔に似ていることから「お馬」とも呼ばれていました。この「お馬」のなかに再生紙やボロ布を折りたたんだものを入れ、陰部にあてがってナプキンのようにして使用しました。布は洗って何度も使ったとか。また、再生紙や布を丸めて膣に詰め込んだりすることもあったそうです。今でいうタンポンみたいな感じですね。再生紙や布を使うのは都市部のこと。農村部では綿など柔らかな植物を陰部にあてがったり、膣に詰め込んだりしていたといわれています。また、生理期間中は血による“穢れ(けがれ)”を忌み、家族と接しないよう「月経小屋」と呼ばれる場所で生活したとか。ちなみに、これは確認しようがないので定かではありませんが、一説には、江戸時代の女性たちは現代女性に比べインナーマッスルが発達していたため、経血を膣内にためておいて用をたす際に排泄したとも。今風にいうと「経血コントロール」で、そのため簡易な生理用品でも大丈夫だったとか。そもそも経血の量そのものが少なかったという説もあります(諸説あります)。いかんせん生理に関する資料が少ないので確かなことはわかりませんが、現在のような生理用品がなくともなんとかなっていたことだけは確かです。