古代日本でも禁じられていた賭博
日本における賭博の歴史は非常に長く、記録に残る最古の賭博は『日本書紀』にまでさかのぼるそう。この時やっていたのは双六(スゴロク)の一種らしい。そして、689年(持統天皇3年)には持統天皇によって「双六禁止令」が出されています。よほど悪影響があったんでしょうか、双六。
古代日本でも賭博に対する処罰はかなり厳しく行われていたみたいです。
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江戸時代に大ブームとなったギャンブルとしての双六
「双六」というと、大きな紙にコマが描いてあって、サイコロを振って出た“目”だけ進みゴールを目指す遊びがまず思い浮かびます。
現代でもよく見かけるこのタイプの双六は江戸時代にも大人気で、大人も子どもも大好きな室内遊びの代表格でした。
このお馴染みの双六とは別に、もう一種類の双六がありました。
プレイ中のようすはこんな感じ。
2人の若衆(美少年)がなにやらボードゲームをしています。白・黒の駒を使っているので囲碁のようですが、囲碁ではなさそう。そう、これが「双六」なのです。
現代人にもおなじみの双六を「絵双六」と呼ぶのに対し、こちらは「盤双六」といいます。現代では姿を消してしまいましたが、江戸時代まで「双六」といえばこちらの「盤双六」のことでした。
「盤双六」は“世界最古のテーブルゲーム”のひとつといわれるバックギャモンに似たゲームで、飛鳥時代(奈良時代とも)に中国から日本に伝わったとか。
基本的な遊び方をざっくり説明するとーー
- 盤を挟んで2人が座る
- 盤上には白と黒それぞれ15個の石を置く
- プレイヤーはサイコロを振る
- 出た“目”だけ石を動かし、相手の陣地に先に全部の石を入れたほうが勝ち
となります。
「盤双六」ではサイコロの“目”が勝敗を大きく左右します。勝負のカギを「偶然」が握るとなれば、賭博にならないわけがない。
盤双六とともに室内遊戯として人気を集めた将棋や囲碁が頭脳合戦として発達していったのに対し、ギャンブル性の高い盤双六は時代ごとの政権に禁止されながらも、時代とともに宮中から武家、さらには庶民にまで広がり、人々を夢中にさせました。
かの兼好法師もあの『徒然草』のなかで「囲碁・双六好みて明かし暮らす人は、四重・五逆にもまされる悪事とぞ思ふ」(原文)というある僧侶の言葉を紹介しています。今風に超訳すると「囲碁・双六にうつつを抜かしている奴は殺人犯よりタチが悪い」という感じ?
そんなに悪いのか!?と思ってしまいますが、それほど双六には人を惑わす魔力があったのでしょう。
手軽でスリリング! バクチの定番となったサイコロ賭博
時代が戦国時代に入っていくと、悠長に道具を広げて賭博を楽しむ余裕はなくなっていきます。でも、明日がどうなるかわからない不安な時だからこそ、なにもかもを忘れさせてくれる楽しみが欲しい…!
ということで戦国時代以降、爆発的に人気を集まるようになったのが、サイコロ賭博です。
盤双六では道具のひとつにすぎなかったサイコロが、それだけで独立してバクチの定番にまで上り詰めたのですからサイコロ大出世。
戦場の陣中で楽しまれたサイコロ賭博は、単純なルールと短時間で勝負が決することがポイント。そのわかりやすさから、江戸時代に入ってもサイコロ賭博は武士、町人、農民などあらゆる層の博打好きを夢中にさせました。
サイコロ賭博にはさまざまなバリエーションの遊びがありましたが、代表的なものといえばアレ。
ご存知「丁半賭博」。
使うものは2つのサイコロとツボ。ルールは単純。
- ツボ振り役がサイコロ2つをツボに投げ入れ振る
- 盆に伏せます
- 参加者は、サイコロの出目の合計が偶数(丁)か奇数(半)になるかを予想
- 丁半どちらかに賭ける!!
と、いうもの。
丁半賭博は時代劇やヤクザ映画などでもよく見かけますが、ツボ振り役が上半身ハダカだったりしますよね。あれは、「イカサマしていないよ!」というアピールなんだとか。
余談ですが、室町時代末期には、サイコロのなかに重りを入れてある目が出やすくするなどの工夫を施したイカサマサイコロが発明されていたんだとか。イカサマ賽の歴史は古い。
さて、サイコロ賭博のうち、ひとつのサイコロだけでできるものの代表が「チョボイチ」。
サイコロのどの目が出るかを予想するだけの超シンプルルール。胴元がサイコロを振り、予想が当たれば4〜5倍のバック、外れれば賭け金は没収されました。
これなんかイカサマし放題な気がしますね。
ひとつのサイコロだけでやる博打として「大目小目(おおめこめ)」というのも人気がありました。これも単純なルールで、サイコロを振って出た目が「大目(4、5、6)」か「小目(1、2、3)」かを予想し、どちらかに賭けるというものです。
こうしてみると、すっごいわかりやすいルールですね。それだけに中毒性もハンパなさそうです。