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キリスト教とともに日本に伝来したクリスマス
近年、11月ともなればデパートなど商業施設にはクリスマスツリーが飾られ、コンビニなどにクリスマスケーキのカタログが置かれ、街はクリスマスムードに染まり始めます。
「ちっ、クリスマスなんてポッと出のイベントのくせに…」と苦々しく思う向きもあるでしょう。しかし、キリストの降誕を祝う「クリスマス」が日本に伝来したのはなんと戦国時代のことだとか。
こちらは教科書でもおなじみ、日本に初めてキリスト教を伝えたスペイン人宣教師フランシスコ・ザビエルです。ザビエルは1549年(天文18年)に鹿児島に上陸し、およそ2年間にわたり九州、中国、近畿エリアでキリスト教の布教活動に励みました。このザビエル訪日と同時に、「クリスマス」も日本に伝わったんじゃないかといわれています。
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完全に余談ですが、先ほどの有名な肖像画から「ハゲ」というイメージが強いザビエルですが、実際にはハゲていなかったようです。カトリック系修道士には頭頂部+後頭部、側頭部を剃る「トンスラ(トンスーラ)」というヘアスタイルがあり、あの肖像画もその髪型を描いているんじゃないかと思われます。
また、ザビエルそもそもあんなヘアスタイルじゃなかった説もあります。その根拠は、
- あの肖像画はザビエルの死後だいぶ経ってから描かれたもの
- ザビエルのほかの肖像画は髪がフサフサ
- ザビエルが所属していたイエズス会に「トンスラ」の習慣がない
どっちにしても、ザビエルはきっとハゲじゃなかった。
話をクリスマスに戻して。
日本初のクリスマス会が行われたのは460年前以上前のこと。日本にキリスト教が伝来した3年後の1552年12月10日(天文21年12月25日)のこと。記念すべき日本初のクリスマス会の舞台となったのは、周防国山口(現在の山口県山口市)で、イエズス会の宣教師が日本人の信者を招いて降誕祭のミサを行ったのだとか。
記録によれば、前夜から信者たちが集まり、夜通しでミサと説教を行ったあと、みんなで食事を囲んだそう。現在のような“お祭り騒ぎ”ではなく、まあ、とても厳かだったでしょう。貧しい人への施しも行われたとか。ちなみに当時、「クリスマス」ではなく「ナタラ」と呼ばれていたんだとか。
また余談ですが、戦国時代、武将・松永弾正久秀がクリスマスを理由に「クリスマス休戦」を命じたという有名なエピソードがあります。真偽のほどは不明ですが、あの松永弾正なら戦国時代版“戦場のメリークリスマス”を実現させていてもおかしくない!という、ファンの熱い気持ちが生んだ巷説かもしれません。今後、新資料が発見される可能性を待ちましょう。
宣教師ルイス・フロイスの記録によれば、当時、合戦中だった松永家中の武士と三好家中の武士のなかにいた一部のキリシタンが敵味方の垣根を越えて共にクリスマスを祝ったんだとか。局所では本当に「クリスマス休戦」が行われていたのかもしれません。
天下統一に王手をかけていた織田信長はキリスト教を認めていましたが、信長の死後、天下人となった豊臣秀吉は一転、伴天連(バテレン)追放令を出すなどキリスト教排除を始めます。
しかし、豊臣政権時代にはそれでもキリシタンは増え続け、クリスマスも各地で行われていたようです。
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