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四コマ漫画のキャラみたい

これ、完全に四コマ漫画のキャラクターです。耳鳥斎(にちょうさい)が活躍したのは200年以上前。その頃にまん丸お目目の表現とか既にあったんですね。
描かれているのは当時の人気役者。江戸時代の役者絵というとイメージするのはこんな感じの絵ではないでしょうか。

描いたのは耳鳥斎と同時代に江戸で活躍した絵師・東洲斎写楽。こちらは有名浮世絵師の傑作特集でも紹介しました役者絵『市川鰕蔵の竹村定之進』。デフォルメされた役者の表情が迫力満点に描かれています。
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対して耳鳥斎の役者絵はこんな感じ。

うーん、かわいいな。ホニャっとした口元の表現なんか、どう見ても漫画のそれ。時代を先取りしすぎです。
ちなみに、これは耳鳥斎の最初の作品集にして代表作のひとつ『絵本水や空』(1780年)という役者絵集。
『水や空』というタイトルも素敵です。タイトルの意味は「水や空とも見分けがつかない、つまり、役者の仮の姿か本当の姿が見分けがつかない捉えどころのない作品」とも。
もう一丁、同作品集から。

これまたおもしろい。特に左の人!シャッシャッと描いた手足の表現もユニークですが、口が個人的にお気に入り。
もう一丁。

丸い人と細長い人。右ページは、『傾城反魂香』という浄瑠璃・歌舞伎の演目に登場する浮世又平が死ぬ前に自画像を手水(ちょうず)に描く、というかなりシリアスなシーンなのですが悲壮感まるでなし。楽しそうに落書きしているようにしか見えません。
もう一丁。

太い(確信)。
もちろん右ページの人のことですが、足の表現がオモシロイですね。まるで着物の一部みたいです。顔はなんだか水木しげる御大風。
もう一丁。

右の人、あっかんべーしてます。”主人公の友達グループにいるおバカキャラ的雰囲気”に思わず唸ります。
そして個人的意見なのですが、このキャラに似ている。

『THE MOMOTAROH』(にわのまこと)に登場する牛馬鹿丸。
1980年代に週刊少年ジャンプで連載された懐かし漫画。目とマロ眉がそっくり。
さて、ここで耳鳥斎とは何者なのか? について。
じつは耳鳥斎についての記録は少なく、はっきりした生没年も画業も不明という謎多き絵師。今から250年ほど前の江戸時代中期、1750年前後に大坂で誕生し、1803年前後に亡くなったと考えられています。俗名、松屋平三郎。
商人の町・大坂で生まれた耳鳥斎も酒造業を営む商家に生まれ、酒造業、次いで骨董業を生業とし、商売の傍ら趣味の絵を描いていました。決まった絵の師匠はおらず、ほぼ独学の素人絵師として出発した異端児ゆえ、自由でユーモラスな作品を数多く残しました。ちなみに、耳鳥斎の作品は「戯画」と呼ばれる世相を笑いと風刺を交えて描いたものにジャンルされます。
ユニークな耳鳥斎の作品は大坂の人々のハートを掴み「浪花の奇才」として人気を集め、「江戸の写楽、浪花の耳鳥斎」とまでいわれたそう。
近代になるとその存在は忘れ去られましたが、明治から大正にかけて活躍したジャーナリストの宮武外骨(みやたけがいこつ)や芸術家の岡本一平らにより再評価され、最近では耳鳥斎を特集した展覧会も開催され図録も人気です。
岡本一平は耳鳥斎をリスペクトし、先ほどの『絵本水や空』のオマージュ作品『新絵本水や空』を昭和に入ってつくっています。

昭和の名優を耳鳥斎のようなゆるタッチで岡本一平が描いた『新絵本水や空』
ちなみに、岡本一平の息子は、「芸術は爆発だ」でおなじみ、岡本太郎です。芸術家の子は芸術家。
さあ、耳鳥斎のユルかわ面白作品をどんどん見ていきましょう。
地獄の閻魔もこの笑顔

これは人気歌舞伎役者・嵐小六(初代・嵐雛助)を主人公にした『あらし小六過去物語』(1797年)という作品のなかの挿絵。出版前年に急死した嵐小六が地獄めぐりをするという荒唐無稽なストーリーで、耳鳥斎が挿絵を担当しました。
で、こちらの絵は主人公の嵐小六が地獄の閻魔の前でお裁きを受けるシーンなのですが、閻魔(右ページの上中央)がちっとも怖くない。まんまるお目目に三角お口。左右に居並ぶ面々もニカっとしてます。
次も同作品から。

なんだか登場人物がワチャワチャしていますが、みんなかわいいです。ちょっとドジョウとかカエルとか両生類的愛くるしさがあります。
あと、左ページの力士、こっち見んな。
次は、耳鳥斎の没後に出版された『絵本古鳥図賀比(えほんことりつかい)』(1805年)。「大胆者」と「臆病者」、「祝儀」と「不祝儀」など対照的な事柄を耳鳥斎らしいユーモラスなタッチで描いた作品です。
1枚絵に込められたストーリー性

こちら、「臆病者」の図。
大の大人、しかも武士ともあろう者が1匹のカタツムリにビビりまくっています。文を読むと、武士たちは「待って待って、カタツムリいるよぅ...」「こいつ、2本のツノを振り回して、こっちに立ち向かってくる気だぜ...!」なんてことをへっぴり腰で言ってます。これは確かに臆病者だ。
そんな臆病者の武士をバカにしたように、「カタツムリの這ったあとは“アホよアホよ”と書いてあるようにみえる」と、書いてあるのがまたオモシロイ。そう言われるとカタツムリのつぶらな目には憐憫の色が……。
ちなみに「臆病者」の前ページに収録されているのは「大胆者」。


見開き4ページにわたって描かれた「大胆者」は、障子からのぞくブキミな化け物にも動じない豪胆な武士。とりあえず、エロ目のオッサンみたいな化け物よ、君は鼻毛を切ろうか。
同作品からもうひとつ。今度は「養生」と「不養生」。

こちらは「養生」と題された絵。いかにもお金持ちそうな男性が、栄養満点で体もあったまる玉子酒を飲んでいます。養生してますね~。

対してこちらは「不養生」。もろ肌脱いで見るからにだらしなさそうな男たちが食事中。お腹も丸いが、おでこも丸い。どうやら食べているのはフグ? 危ないよ!不養生ってレベルじゃないよ!!
ここで「絵師・耳鳥斎について」第二弾を。
ご紹介したように耳鳥斎の作品の特徴は「ユーモラス」。大坂は今でも“笑い”に厳しい土地ですが、江戸時代もそれは同じだったようで、大坂出身の耳鳥斎も「おかしみ」「ユーモラス」にあふれる絵を描きました。
「世界ハ是レ即チ一ツノ大戯場」
これは耳鳥斎がよく言っていたといわれる言葉。身分に縛られ、家に縛られ、しきたりに縛られ、いろんなものに縛られる堅苦しい世の中を「戯れの場」として笑い飛ばそうとしたのでしょう。
さて、お次も代表作のひとつ。
リズミカルな構図の心地よさ

猫、かわいい。人もかわいい。屋根すらもかわいい。
かわいいだけでなく、斜めに並んだ人の列と傾斜した屋根と瓦の丸が対をなし、心地よいリズムを生んでいます。そして、アクセントに猫。二重、三重になった輪郭線もオリジナリティ高し。
これは、耳鳥斎の没後に出版された『かさねつらね』という作品(1803年)で、上方の年中行事が描かれています。
もう一丁、同作品から。

雷さまの表情と躍動感あふれるポーズが秀逸ですねぇ。雷鳴に驚いてひっくり返る人もいい味出してます。木から落っこちてきたんでしょうか。
次は代表作のなかでも一番人気(たぶん)。
地獄なのに楽しそう

こちら、「煙草好きの地獄」。つまり、ヘビースモーカーは地獄行き。地獄でどんな責め苦が待っているかというと……なんと、大好きな煙草になっちゃいました。
口から煙をモクモク~。これはある意味、本望なのでは? また、ある者は赤鬼の傍らで煙草入れとなって転がっています。その表情はどこか幸せそうです。
次なる地獄は――

「太鼓持ちの地獄」です。太鼓持ちとは、遊郭などの宴席で場を盛り上げる男芸者のこと。生前、芸をもってお客を笑わせていた太鼓持ちたち、地獄では鬼に猿回しの猿のごとく縄でつながれながら、笑うはずもない羽織や刀を相手に必死の芸を披露しています。
しかし、羽織や刀が笑うはずもなく……太鼓持ちたちのご機嫌取りは無限に続きます。これはたしかに地獄かも。
とまぁ、こんな感じのユニークな地獄が21種類も登場するこちらは『別世界巻』(1793年)という作品。巻物スタイルで全長10m以上という大作です。
他にどんな地獄があるかというと、

大根役者ということで、野菜の大根と煮込まれる歌舞伎役者の地獄だったり、

飴屋の地獄だったり、

ところてん屋の地獄だったり、

立花師(お花の先生)の地獄だったり、

そば切好きの地獄だったり、
非常にニッチな地獄がたくさん。
この作品、おもしろいだけでなく「どんな職業の人でも行いが悪ければ地獄へ落ちる、という当たり前ながら泰平の世で忘れがちなことを“笑い”と“恐怖”をもって人々に思い出させよう」という作者の深イイ思いがあるんだとか。
『別世界巻』については別記事「【画像あり】江戸時代の妖怪絵巻がゆるカワ過ぎてほっこりする【厳選5作品】」でも特集してます。合わせてご覧ください。
では、次の作品。
丸いのがぎゅうぎゅう

丸っこい人がぎゅうぎゅうと集まって演奏会を聴衆中。談笑したり飲み食いしたりとじつに楽しそうです。なにせ、丸い。丸いのがニコニコしていたら、それ即ち幸せ空間。
これは琴や尺八の演奏会「さらえ講」のようすを描いたもので、大坂の文化人・流石庵羽積の著書『歌系図』(1782年)のなかの挿絵の一枚。
どっちが長い?

天狗は鼻が長いのが自慢。七福神のひとり寿老人は長い頭がチャームポイント。はてさて、どちらが長いかな? と比べっこ。「オレ(わし)の勝ち~!」とばかりにどちらも手をピンと挙げているのが微笑ましいです。
とても偉人には見えません

近所のおっちゃん、おばちゃんが集まって談笑している絵、ではありません。描かれているのは絵のモチーフとして人気があった「六歌仙」。
六歌仙とは、平安時代を代表する6人の歌人のことで、僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大友黒主がそれ。小野小町は“絶世の美人”として有名ですが、耳鳥斎の手にかかると……まるでピーナッツみたいにこじんまり(左から2人目)。
これが……関羽……だと?

こちらは『関羽図』。「三国志」に登場する軍神・関羽です。長くて美しいヒゲと青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)が自慢。関羽って、だいたい誰が描いても「あ、これ関羽だよね」とわかるものですが、耳鳥斎はちと違う。
こちらの絵に描かれた人物のうちどちらが関羽かというと、
後ろの人物です
...たぶん。
大英博物館の説明によれば、関羽とその盟友にして主君の劉備が描かれているそうなので、青龍偃月刀を持っている方が関羽でしょう。
でも、これって完全にあのディズニー映画のキャラクターですよね。

そう、ベイマックス。
まさかのベイマックス似の関羽です。いやはや耳鳥斎。
最後はちょっと耳鳥斎らしくない作品。

真っ赤な髪を風に揺らし、髪と同じく真っ赤な大盃をかたむけているのは猩々(しょうじょう)。中国の伝説に登場するお酒好きの精霊で、能の演目では赤い髪に赤い面(おもて)、赤い装束という赤尽くしの姿で登場するため、絵のモチーフとしても人気があります。
細い三日月が出る夜、咲き誇る菊の傍らで静かに酒を飲む猩々の後ろ姿を描く――なんとも美しく静けさに満ちた一枚です。あえての後ろ姿、というところがたまらないですねぇ。
浪花生まれらしい「笑い」に満ちたユーモラスな耳鳥斎の絵は、今見ても新しくそして楽しい気持ちにさせてくれます。
もう一人のユルかわ絵師・北尾政美の作品もあわせてどうぞ!
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パンツを着用しない時代、女性の下着はどんなもの?
1963年(昭和38年)昭和の女性が、洋装で銀ブラ。和装から洋装への大転換は日本文化にとって大事件でした。[fluct device=PC num=0][fluct device=SP num=0]さて江戸時代、男性の下着は安定のふんどしですね。女性たちは下着としてどのようなものを使用していたかといいますと、それがこれ。
(『水鶏にだまされて』石川豊信 画)「湯文字(ゆもじ)」と呼ばれる四角い布です。今でいう「腰巻(こしまき)」。ヒモがついており、巻きスカートのように腰に巻きつけて使用しました。長さは膝より少し下くらいまで。うっかり裾がペラリと開くと陰部が見えてしまうので、そんなことがないよう下着の4ヵ所にはおもりが入っていたとか。素材は木綿で、色は白もしくは緋色。年配女性は浅黄(あさぎ)色が多かったそうです。さらに、湯文字の上に「蹴出(けだし)」というものを着用しました。「裾よけ」ともいいます。これは今でいう「ペチコート」で、歩く際に湯文字がチラ見えするのを防いだり、着物の裾さばきをよくするために使用されました。長さは湯文字より長く、足首までありました。湯文字と異なり蹴出は「見せ下着」、むしろ見られることを意識した下着のため華やかな柄の布が使われ、女性の足元をより色っぽく見せるのに一役買っていました。
(『浮世名異女図会(うきよめいしょずえ)』「江戸町芸者」歌川国貞 画)美しい芸者の足元を見ると緋色の蹴出がチラ見え。足の白さと赤い下着の組み合わせの色っぽさ。ちなみに農村部などでは湯文字を使用することもなく完全に「ノー下着」だったそうです。ですので、作業中に「よっこいしょ」と腰をかがめたりすると陰部が丸見えになる、というのは、農村によくあるのどかな風景でした。
江戸時代からナプキン派、タンポン派にわかれていた!?
パンツを着用しなかった時代。ふと頭に浮かぶ疑問は「江戸時代の女性たちは、生理のときどのように処理していたのか?」。現代にあるナプキンやタンポンといった便利な生理用品。ナプキンの原型ともいえる「アンネナプキン」が発売されたのは、わずか50年前、昭和38年(1961年)のことでした。お年寄りが生理のことを「アンネの日」というのはこれに由来しています。
「アンネナプキン」発売の広告。キャッチフレーズ「40年間お待たせしました!」は、アメリカで使い捨てナプキンが発売されてそれに遅れること40年にしてついに発売、ということを意味しています。[fluct device=PC num=1][fluct device=SP num=1]さて、ナプキンなどがない江戸時代、女性は生理になると前垂れのあるふんどし状の布で押さえていたそうです。これは見た目が馬の顔に似ていることから「お馬」とも呼ばれていました。この「お馬」のなかに再生紙やボロ布を折りたたんだものを入れ、陰部にあてがってナプキンのようにして使用しました。布は洗って何度も使ったとか。また、再生紙や布を丸めて膣に詰め込んだりすることもあったそうです。今でいうタンポンみたいな感じですね。再生紙や布を使うのは都市部のこと。農村部では綿など柔らかな植物を陰部にあてがったり、膣に詰め込んだりしていたといわれています。また、生理期間中は血による“穢れ(けがれ)”を忌み、家族と接しないよう「月経小屋」と呼ばれる場所で生活したとか。ちなみに、これは確認しようがないので定かではありませんが、一説には、江戸時代の女性たちは現代女性に比べインナーマッスルが発達していたため、経血を膣内にためておいて用をたす際に排泄したとも。今風にいうと「経血コントロール」で、そのため簡易な生理用品でも大丈夫だったとか。そもそも経血の量そのものが少なかったという説もあります(諸説あります)。いかんせん生理に関する資料が少ないので確かなことはわかりませんが、現在のような生理用品がなくともなんとかなっていたことだけは確かです。