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写楽の代表作といったらやっぱりこれでしょう! 現代でもポスターやCMなどでよく使われています(『三代目大谷鬼次の江戸兵衛』)
写楽ってこんな人物
作品を紹介する前にまずは、写楽の簡単なプロフィールを。
東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく)
生没年不明。出身地不明。経歴不明の伝記も不明。というか、そもそも正体不明(正体についてはあとでくわしく)。とまぁ、不明だらけの謎の浮世絵師。活躍したのは江戸時代中期。ちょうど老中・松平定信による「寛政の改革」が失敗に終わった翌年の1794年(寛政6)に華々しくとデビュー。しかし、わずか10カ月ほどの間に145点余りの作品を発表すると突如、姿を消す。そして、その後の消息もまた不明。
生没年不明。出身地不明。経歴不明の伝記も不明。というか、そもそも正体不明(正体についてはあとでくわしく)。とまぁ、不明だらけの謎の浮世絵師。活躍したのは江戸時代中期。ちょうど老中・松平定信による「寛政の改革」が失敗に終わった翌年の1794年(寛政6)に華々しくとデビュー。しかし、わずか10カ月ほどの間に145点余りの作品を発表すると突如、姿を消す。そして、その後の消息もまた不明。
プロフィールの意味があるのかってくらい「不明」だらけです。写楽をひと言で表現すると「有名なのに謎だらけ」ということになるでしょうか。
写楽にはたくさんの謎があるのですが、それについては途中途中でお話しすることとして、まずは世に衝撃を与えたデビュー作28点をご覧ください。
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これが新人の作品!? 前代未聞の作風で衝撃を与えた「これぞ写楽」なデビュー作

市川鰕蔵(えびぞう)の竹村定之進
こちらも代表的な写楽作品。シンプルな色づかい、着物の襟のリズミカルな線の表現、そして大きく描かれた役者の表情が見事です。描かれているのは当代きっての名優とうたわれた市川蝦蔵。見開いたまん丸な眼、異様なまでにつり上がった眉毛、見ている者が思わず力んでしまうような口元、そしてシワーーコミカルなまでにデフォルメされた表情からは、偉大なる名優の演技力を画面にこれでもかと表現しようとした写楽のチャレンジ精神のようなものが感じられるようです。
背景がギラギラしていますが、これは「雲母摺(きらずり)」という浮世絵の手法のひとつ。雲母(うんも)という鉱石を粉末にしたものを背景に塗り込んだ見た目にも金銭的にもゴージャス☆なものです。写楽のデビュー作28点には全てこの雲母摺が使われているのですが、新人がこんなゴージャスな手法を使うのは異例中の異例で、写楽の謎のひとつ。
ちなみに、こちらの作品は1794年(寛政6年5月)に河原崎座で上演された『恋女房染分手綱』という狂言に取材したもので、同狂言の登場人物を描いた作品はほかにもあります。

二代目小佐川常世(おさがわつねよ)の竹村定之進の妻・桜木
蝦蔵演じる竹村定之進の妻を演じた女形・小佐川常世を描いたもの。グラデーションのような着物の配色が美しいです。いわゆる「美人」に描かれているわけではありませんが、妙に色っぽい。クイッと袖をつまむ手の表情がイイ!

二代目市川門之助の伊達与作
当時、若手人気役者として黄色い声援を集めた二代目市川門之助が演じる同狂言の色男を描いたもの。いかにも頼りなげなオーラが漂いますが、当時は母性本能をくすぐる系の優男が女性に人気だったんだとか。現代ならば星野源タイプ?

四代目岩井半四郎の乳人(めのと)重の井
色男・伊達与作の恋人・重の井を演じたのは、「江戸を代表する女形」と評判をとった四代目岩井半四郎。「お多福半四郎」の愛称を持つ岩井半四郎の特徴的な丸顔を愛嬌たっぷりに描いています。まぁ、本人がこれを見て喜んだかはわかりませんが……。

三代目坂東彦三郎の鷺坂左内(さぎさかさない)
伊達与作を助けるポジションの役柄。凛々しい表情には「情にアツい」というこのキャラクターの性格がよく表現されています。手にしているのは「手燭(てしょく)」という携帯できる蝋燭立てで、手燭の枠のくっきりとした黒いラインが画面にインパクトを与えます。

谷村虎蔵の鷲塚八平次
こちらは憎々しげな表情でもわかるように悪役です。グッと食いしばった口元からはよく見ると歯が3本のぞいているのがユニーク。歯が見えている役者絵ってあんまり見ないような気がします。目元の赤い化粧やヒゲの表現などパッと目を引く華やかさがあり、「いかにも歌舞伎絵」という印象を受けます。外国人受けしそうです。

岩井喜代太郎の鷺坂左内妻・藤浪と坂東善次の鷲塚官太夫妻・小笹
左の女性は善人役・鷺坂の妻、右の女性は悪役・鷲塚の妻。夫の善&悪がそのまま妻たちにも反映されています。着物の色や目の表情、手のしぐさなどとことん対照的に表現することで、善と悪の対比をより明確にしています。それにしても、絶妙な憎たらしさ! こんな顔のイジワルばあさん、いるいる。
「写楽」というと「ひとりの役者の上半身を描いた作品」という印象が強いので、2人組を描いた作品もあったんだなぁ、と意外に思う方もいるんではないでしょうか。のちほど紹介しますが、2人組を描いた作品はユニークなものが多いので、新たな写楽作品の魅力発見になると思います。
さて続き。

市川男女蔵(おめぞう)の奴(やっこ)一平
悪役に立ち向かう勇敢な姿を切り取った緊張感にあふれる傑作。演じる市川男女蔵は当時まだ14歳という少年役者で、その若さが顔の輪郭や口元、目などの表現から伝わってきます。画面全体が初々しい爽やかさに満ちているようです。単純にイケメンなので目の保養になる作品です。
そんなイケメン一平が斬りかかろうとしているのが、

冒頭で紹介した江戸兵衞。かっこいい絵だなと思っていたんですが、描かれているのは悪役だったんですねぇ。
以上、『恋女房染分手綱』の登場人物を描いたデビュー作9点でした。
『恋女房染分手綱』と同時上演された『義経千本桜』という狂言からも1点役者絵を描いています。こちら。

二代目沢村淀五郎の川つら法眼と坂東善次の鬼佐渡坊
こちらも対照的な2人組を描いている作品。なんとなーくわかるかと思いますが、左の人物(川つら法眼)が悪役で右の人物(鬼佐渡坊)が善役です。善役が長髪なら悪役は丸坊主(もみあげは長髪!?)、善役が手を握っていれば悪役は手をパッと開く、善役の口が開いていれば悪役の口は引き結ぶ……と、ここでも各所に対照的な表現をうまく散りばめ両者のコントラストを強めています。悪役の隈取りはなんだかアメコミヒーローみたいでちょっとかっこいい。
余談ですが、写楽の役者絵のタイトルは「役者名」+「役名」となっています。
さて、お次は別の興行を題材にした役者絵11点をご紹介。
先ほどご紹介した『恋女房染分手綱』と同時期(寛政6年5月)に都座で上演された『花菖蒲文禄曽我(はなあやめぶんろくそが)』という実際に起きた敵討ち事件を脚色した狂言の登場人物たちを描いています。では、どうぞ。

三代目坂田半五郎の藤川水右衛門
ヒゲ、青すぎなこの人物・藤川水右衞門は、数ある歌舞伎作品のなかでも有名な超悪役。主人公の兄弟が「父と兄の敵」と狙う悪党です。着物の色も隈取りもとにかく色づかいは地味。ですが、それがこの人物の持つ「悪の凄み」を効果的に演出しています。腕をまくる威圧的なポーズも秀逸です。
ちなみに、『がんばれゴエモン』みたいなこの髪型は「五十日鬘(ごじゅうにちかずら)」という月代(さかやき)がボサボサに伸びたヘアスタイルで、盗賊や囚人など悪役に使われました。
この超悪役を演じたのは悪役の大ベテランとして人気を博した三代目坂田半五郎。余談ですが、先代の二代目坂田半五郎もこの役をアタリ役としていたため、二代目の13回忌に当たるこの年、追善供養として『恋女房染分手綱』が上演され、三代目が藤川水右衞門を演じました。しかし、悲しいかな、三代目坂田半五郎は翌年、39歳の若さで世を去りました。合掌。

二代目坂東三津五郎(みつごろう)の石井源蔵
先ほどの超悪役・藤川水右衛門と対峙しているのが、こちらの若者。父の仇である藤川に今にも斬りかかろうという瞬間を描いています。なびく髪の毛に源蔵の決死の覚悟を感じます。ゾワゾワって感じ。切羽詰まった表情も見ているだけで息がつまるようです。
悪役の藤川水右衛門の着物が黒系、源蔵の着物が白というのも善と悪の対比になっています。ちなみに、源蔵の着物には「空摺(からずり)」という凸凹加工が施されています。今風にいえばエンボス加工ってところ。浮世絵ってオシャレです。

三代目市川八百蔵(やおぞう)の田辺文蔵
敵討ちに燃える兄弟を支えるポジションの人。いい人そうだけど病弱で貧乏。そんな雰囲気は画面からもビシバシ伝わってきます。演じている三代目市川八百蔵は芸達者な役者だったらしい。着物の赤茶と黒、色味は渋いですが、黒のラインの入りかたがリズミカルで地味な印象は受けません。モスグリーンがアクセントになっていてステキです。

三代目瀬川菊之丞の田辺文蔵妻おしづ
田辺文蔵の奥さんで、夫とともに兄弟をサポートします。が、やっぱり病弱で貧乏。頭にしめたハチマキは「病鉢巻(やまいはちまき)」というもので、病人役を象徴する小道具です。
おしづを演じた三代目瀬川菊之丞は江戸時代を代表する名女形で、抜群の実力と人気を誇りました。そんな偉大なる瀬川菊之丞の芸風まで写楽は描き出そうとしているようで、大俳優の風格が漂っています。

二代目瀬川富三郎の大岸蔵人妻やどり木
ちょっとケンのある美女。ですが、立派なアゴに男性らしさを感じさせます。まぁ、女形は男性ですから当然ちゃ当然ですが。
この役を演じた二代目瀬川富三郎は、先ほど登場の名女形・三代目瀬川菊之丞の弟子で、師匠の声音や身振りをマネたことから「にく富」とか「いや富」なんていうかなりヒドイあだ名をつけられていたらしい。
それにしても、黒髪、白い肌、着物の赤と黒というはっきりとしたコントラストの配色がシックなのに華やかでとてもすばらしいです。
ちょっと余談。
写楽のデビュー作はどれも華やかな印象を見る者に与えますが、使っている色数は多くても6色ほど、少ないものだと3色ほどとものすごく少ない色数で構成されています。でも全然物足りない感じはしない。写楽は色の組み合わせで最大の効果を生むというセンスに長けていたんでしょう。
前述したように背景には「雲母摺」というギラギラのゴージャス手法を使っているので、メインの人物はあえて少ない色数の方がインパクトを持たせらる、と考えたのかもしれません。
またコスパ的にも色数が少ない方が安くすむので、背景にお金をかけている分、全体の色数が少ないのは製作費の面から見ても経済的です。この辺りは版元の蔦屋重三郎の意向もあるでしょうね。
閑話休題。
さてさて、先ほどご紹介した二代目瀬川富三郎が演じたやどり木という役を写楽はもう1枚描いています。よほど印象的だったんでしょうかね。

二代目瀬川富三郎の大岸蔵人妻やどり木と中村万世(まんよ)の腰元・若草
丸い人と細長い人という対照的なコンビ。写楽は2人組を描くときはデフォルメが効きすぎるほど対照的にするのを常套としていました。細面の二代目瀬川富三郎に対し、中村万世はまん丸の顔。富三郎の手が上向きならば、万世の手は両手を揃えて下を向ける、やどり木の品格を示すようなピンと伸びた背筋に対し、腰元の若草は背を丸めへりくだったような姿という徹底した対照ぶり。
丸顔の女性の方が親しみやすそうです(個人的感想)。

三代目沢村宗十郎の大岸蔵人(くらんど)
主人公の兄弟の敵討ちを助ける家老・大岸蔵人。二代目瀬川富三郎演じるやどり木はこの大岸蔵人の妻です。
退色してしまってわかりにくいのですが、ヒゲの剃りあとはもっと青々としていたようです。また、扇は金色だったとか。ずいぶん印象が変わりそうです。当時の状態で見られないのが惜しい……。ちなみに扇に描かれている見ていると目の回りそうなこの模様は「観世水(かんぜすい)」と呼ばれる流水模様です。
大岸蔵人を演じた三代目沢村宗十郎は、体格も立派でいろんな役柄をこなせる芸達者な役者だったそうで、この絵からも実力派俳優らしいどっしりとした風格を感じます。

三代目佐野川市松の祇園町の白人(はくじん)おなよ
まずタイトルの「白人」というのは「白色人種」という意味の言葉ではありません。この「白人」とは「素人(しろうと)」という意味で、幕府非公認の私娼を「白人」と呼びました。ちなみに公娼は「黒人」つまり「玄人(くろうと)」といいます。
祇園町の私娼おなよさんですが、なんだかゴツいですね……。事実、おなよを演じた三代目佐野川市松は女形だけど隠しきれない男らしさが溢れていたそう。写楽はそんなところも美化せず描きました。
着物の柄がチェックというのもオシャレですね。このチェック模様は「市松模様」というもので、美貌の女形として一世を風靡した初代佐野川市松が舞台衣装で身につけたことから「市松模様」と呼ばれるようになり、人気の定番柄となりました。
最近ではあのエンブレムにもデザインされ話題になりました。

2020年の東京オリンピックのエンブレム。
ステキな模様というのは時代を超えてもやっぱりステキです。
おなよを描いた写楽の絵はもう1枚あります。こちら。

三代目佐野川市松の祇園町の白人おなよと市川富右衛門の蟹坂藤太
やっぱりやりすぎなくらい対照的。細面と丸顔、上がり眉と八の字眉毛、つり目とどんぐり眼……。
市川富右衛門が演じる蟹坂藤太から漂う“だめんず”感がいいですね。

二代目嵐龍蔵の金貸・石部金吉(きんきち)
主人公兄弟をサポートする貧乏で病弱ないい人、田辺文蔵から金を取り立てるイヤな役。袖をたくし上げてにらみをきかせるその姿はザ・悪役です。でも、悪役の魅力にあふれており、写楽の作品のなかでも代表的な1枚として人気があります。
この役を演じた二代目嵐龍蔵は悪役を得意とし、江戸で人気を博したのですが38歳という若さで世を去りました。次回以降ご紹介しますが、写楽はこの二代目嵐龍蔵を何度か描いています。
いよいよ『花菖蒲文禄曽我(はなあやめぶんろくそが)』の登場人物は次でおしまい。

大谷徳次の奴・袖助(そですけ)
「道化役」を得意とした大谷徳次の個性を余すところなく描いた佳作。下がり眉とつぶらな瞳で愛嬌たっぷり。ガッツポーズのように握った右手がまたいい味出してます。
極端に右側に余白を残すという画面構成も写楽ならでは大胆さで、渋い色味のなかで目を引く刀の鞘の赤が全体のアクセントになっています。
さて、お次も同年に上演されたまた別の興行を題材にした役者絵7点をご紹介。
興行が行われたのは1794年(寛政6年)5月、桐座にて。上演されたのは『敵討乗合話(かたきうちのりあいばなし)』という狂言で、剣豪・宮本武蔵と佐々木小次郎によるいわゆる「巌流島の決闘」を敵討ちストーリーに脚色した「敵討巌流島」と、父の敵討ちに奔走する姉妹を描いた「碁太平記白石噺」という2つの敵討ちストーリーをひとつの芝居に仕立てたもの。そんなユニークな狂言『敵討乗合話』に登場するキャラクターを写楽は7点の役者絵として残しました。
では、どうぞ。

松本米三郎のけはい坂の少将実はしのぶ
こちらは父の敵討に奔走する姉妹のうち妹ちゃん。ヒロイン格です。「けはい坂の少将」という名の花魁に身をやつし、敵討ちの機会を伺います。その設定がまたヒロインぽい。
しのぶを演じる松本米三郎は当時の人気女形で、ルックスも美しかったのでしょう。わかりやすく美しく描かないことがほとんどの写楽ですが、この作品は純粋に美人です。きりりとした眉毛とくっきり二重の強い眼差しには現代に通じる美しさがあります。ピンク、赤、えんじ色という赤系のグラデーションで描かれた着物もヒロインの美しさを際立たせています。
余談ですが、松本米三郎も31歳の若さで世を去ったそう。役者は早死にの人が多いなぁ。

初代中山富三郎の宮城野(みやぎの)
妹しのぶと一緒に父の敵討に奔走するもうひとりのヒロイン、姉の宮城野。
妹のしのぶがわかりやすく“美人”に描かれていたのに対し、姉の宮城野はかなり個性的です。この役を演じた中山富三郎は、女性らしさの表現法として仕種やセリフまわしなどがナヨナヨとしていたそうで、「ぐにゃ富」というユニークなあだ名がありました。個性的な演技と愛嬌から女形として人気を集めたんだとか。写楽はよく「役者の演技や性格までも絵のなかに描こうとした」といわれますが、この作品もまさにそれでしょう。

三代目市川高麗蔵(こまぞう)の志賀大七
そんな姉妹が敵と狙うのがこの志賀大七という男。極悪人です。超ヒールです。全体的に黒一色なところからも、いかにこの役が“悪”なのかがわかります。黒っぽい画面のなか、目元の隈取りとチラリと見える襦袢の赤がなんともいえない色気を添えています。はらりと目元にかかる数本の乱れ髪がまた色っぽい。
日本人離れした高い鼻はデフォルメ表現かと思いきや、実際、この三代目市川高麗蔵(のち五代目松本幸四郎)はとっても高い鼻としゃくれたアゴ、鋭い眼光が特徴的な役者だったんだとか。こんなルックスが江戸時代に存在したという驚きの事実。

尾上松助の松下酒造之進(みきのしん)
ものすっごい不幸そうなオーラを漂わせているこちらは、極悪人・志賀大七に殺される松下酒造之進さん。ヒロイン姉妹のお父さんです。浪人という境遇に身を落としたので、月代(さかやき)もボサボサ、無精ヒゲも生えてます。
描かれているのは、今まさに志賀大七に殺されそうになっている瞬間。落ちくぼんだ目には鬼気迫るものを感じます。

四代目松本幸四郎の肴屋五郎兵衞
こちらの作品も写楽の代表作のひとつなので、目にしたことのある方も多いんじゃないでしょうか。
ヒロイン姉妹による敵討ちの悲願成就をサポートする重要キャラクター。渋い。姉妹の話を聞き思案している場面だそうで、いかにも思慮深げで頼りがいのある人物として描かれています。着物の格子柄は演者である四代目松本幸四郎が好んだデザインだったんだとか。手にした極太の煙管(きせる)も幸四郎好みのもの。渋い色味のなかでアクセントになっています。
ちなみに、この四代目松本幸四郎は、極悪人・志賀大七を演じた三代目市川高麗蔵のお父さん。親子共演だったんですね。

八代目森田勘弥(かんや)の駕籠かき鶯の治郎作(じろさく)
ヒロインの宮城野(姉)を乗せる駕籠かき役を描いたもの。八の字眉毛とどんぐり眼、への字口がユーモラス。赤い襦袢がつくり出す流れるようなラインが画面全体に軽妙さを与えています。駕籠かきの鶯の治郎作が舞踊を披露するシーンを描いたものだそう。道理でリズミカル。

中島和田右衛のぼうだらの長左衛門と中村此蔵(このぞう)の船宿神奈川やの権(ごん)
漫才コンビのような雰囲気を漂わせるこの2人組は、船宿の主人・権さん(左)とお客の長左衛門さん(右)です。チョイ役なうえに演じている役者も三流役者。
またまた、ちょっと余談。
役者絵というのは現代風にいえばスターのブロマイド。つまり、描かれるのは人気役者であるのが一般的でした。しかし、写楽はこの作品のように無名の役者やチョイ役を描いています。これは異例です。浮世絵というのは版元(はんもと)という総合プロデューサーが全体を統括していたので、絵師が自由に描きたいものを描けたわけではありません。なので金にならない無名役者を役者絵に描くというのは通常ありえなかったわけです。ところが写楽にはそれが許された。これも写楽の大きな謎のひとつです。
さてさて、こちらの作品、じつにユニークですね。
徹底的に対照的に描かれているのはほかの2人組ものと同じ趣向ですが、なんというか凸凹感が秀逸です。特に左側のでっぷりした権さんが魅力的。なんかこんな雰囲気の名脇役、現代でもドラマとかで見かけますよね。
ちなみに、権さんを演じた中村此蔵は「写楽本人なんじゃないか?」という説もあった人物です。
以上、デビュー作28点でした。
「これ写楽だよね」と一般的に知られている作品はほとんどといっても過言ではないほど、このデビュー作に集中しています。裏を返せば、写楽はデビューこそ華々しかったものの先細りして消えていったともいえます。
現代は大人気絵師の写楽、当時は不人気だった!?
現代、「写楽」といえば、葛飾北斎や歌川広重、喜多川歌麿らとともに江戸時代を代表する偉大なる浮世絵師として有名ですよね。絶大な人気もあります。
がしかし! 写楽が活躍した当時はというとその評価と人気は現在の真逆でした。
写楽の大きな特徴といえば、まず強烈なデフォルメにあるでしょう。
役者絵といえば「役者をリアルより美しく描く」が常識だった当時にあって、写楽はあえて役者の欠点までも「個性」としてデフォルメさせて描きました。
現代人の目から見るとこのデフォルメこそが写楽のオリジナリティであり魅力なのですが、当時の役者ファンからすれば「なんでこんな風に描くわけ!?」と大激怒だったそう。さらにモデルとなった役者本人からも不評だったらしい。まぁ、シワとかも容赦なく描いてますからねぇ。
ちなみに、写楽と同時代に活躍した浮世絵師で役者絵の名人といわれたのが初代歌川豊国。その作品はこんな感じ。

初代岩井粂三郎を描いた役者絵
うん、美人です(男性ですが)。でも、現代人的感覚からすれば写楽の役者絵のほうが独創性もデザイン性も高いように感じますよね。しかし、江戸時代の購買者が役者絵に求めるのはそこじゃなかった、ということです。
写楽のデビュー作28点は当時においても相当なインパクトがあったに違いありませんが、人気はなかったのですなぁ。
写楽は、わずか10ヶ月ほどというめちゃくちゃ短い活動期間に、145点余りともいわれる多くの作品を残しました。驚異的な製作スピードも写楽の謎のひとつ。「写楽というのは工房の名前で複数人で製作していたのでは?」という説も生まれたほどのハイペースです。
しかも、写楽は短い活動期間の割に作風がコロコロ変わりました。この辺も謎のひとつ。
一般的に写楽の作品は大きく全4期に分けられ、デビュー作28点は第1期に分類されます。第2期以降の作品は次回から紹介していきますのでお楽しみに☆

第2期の作品のひとつ『二代目市川高麗蔵の亀屋忠兵衛と初代中山富三郎の梅川』。なんか写楽っぽくない!?
当時、賛否両論巻き起こし、どっちかというと否定意見が多かった写楽。写楽が忽然と姿を消したあとも絵師としての評価は低空飛行でしたが、その評価をガラリと変えたのがドイツの美術研究家ユリウス・クルトさん。彼が著書『SHARAKU』(1910年)のなかで「写楽はレンブラントベラスケスと並ぶ“世界三大肖像画家”のひとり」と写楽を絶賛したのです。
で、その写楽評が日本に逆輸入され「あれ?写楽って人、すごい画家なんじゃないの!?」となり、写楽の評価がうなぎのぼりに高まっていったんだそう。なんというかある意味日本人らしい評価のしかたです。
写楽の評価が高まると贋作が大量につくられるようになり、現代でも真贋をめぐる論争に結論が出ていない写楽作品もあり、写楽の全作品数は正確にはわかっていません。145点余り、と考えるのが現代では主流のようです。
さて、続いては写楽の作風に大きな変化が生まれた第二期についてお話しします。
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パンツを着用しない時代、女性の下着はどんなもの?
1963年(昭和38年)昭和の女性が、洋装で銀ブラ。和装から洋装への大転換は日本文化にとって大事件でした。[fluct device=PC num=0][fluct device=SP num=0]さて江戸時代、男性の下着は安定のふんどしですね。女性たちは下着としてどのようなものを使用していたかといいますと、それがこれ。
(『水鶏にだまされて』石川豊信 画)「湯文字(ゆもじ)」と呼ばれる四角い布です。今でいう「腰巻(こしまき)」。ヒモがついており、巻きスカートのように腰に巻きつけて使用しました。長さは膝より少し下くらいまで。うっかり裾がペラリと開くと陰部が見えてしまうので、そんなことがないよう下着の4ヵ所にはおもりが入っていたとか。素材は木綿で、色は白もしくは緋色。年配女性は浅黄(あさぎ)色が多かったそうです。さらに、湯文字の上に「蹴出(けだし)」というものを着用しました。「裾よけ」ともいいます。これは今でいう「ペチコート」で、歩く際に湯文字がチラ見えするのを防いだり、着物の裾さばきをよくするために使用されました。長さは湯文字より長く、足首までありました。湯文字と異なり蹴出は「見せ下着」、むしろ見られることを意識した下着のため華やかな柄の布が使われ、女性の足元をより色っぽく見せるのに一役買っていました。
(『浮世名異女図会(うきよめいしょずえ)』「江戸町芸者」歌川国貞 画)美しい芸者の足元を見ると緋色の蹴出がチラ見え。足の白さと赤い下着の組み合わせの色っぽさ。ちなみに農村部などでは湯文字を使用することもなく完全に「ノー下着」だったそうです。ですので、作業中に「よっこいしょ」と腰をかがめたりすると陰部が丸見えになる、というのは、農村によくあるのどかな風景でした。
江戸時代からナプキン派、タンポン派にわかれていた!?
パンツを着用しなかった時代。ふと頭に浮かぶ疑問は「江戸時代の女性たちは、生理のときどのように処理していたのか?」。現代にあるナプキンやタンポンといった便利な生理用品。ナプキンの原型ともいえる「アンネナプキン」が発売されたのは、わずか50年前、昭和38年(1961年)のことでした。お年寄りが生理のことを「アンネの日」というのはこれに由来しています。
「アンネナプキン」発売の広告。キャッチフレーズ「40年間お待たせしました!」は、アメリカで使い捨てナプキンが発売されてそれに遅れること40年にしてついに発売、ということを意味しています。[fluct device=PC num=1][fluct device=SP num=1]さて、ナプキンなどがない江戸時代、女性は生理になると前垂れのあるふんどし状の布で押さえていたそうです。これは見た目が馬の顔に似ていることから「お馬」とも呼ばれていました。この「お馬」のなかに再生紙やボロ布を折りたたんだものを入れ、陰部にあてがってナプキンのようにして使用しました。布は洗って何度も使ったとか。また、再生紙や布を丸めて膣に詰め込んだりすることもあったそうです。今でいうタンポンみたいな感じですね。再生紙や布を使うのは都市部のこと。農村部では綿など柔らかな植物を陰部にあてがったり、膣に詰め込んだりしていたといわれています。また、生理期間中は血による“穢れ(けがれ)”を忌み、家族と接しないよう「月経小屋」と呼ばれる場所で生活したとか。ちなみに、これは確認しようがないので定かではありませんが、一説には、江戸時代の女性たちは現代女性に比べインナーマッスルが発達していたため、経血を膣内にためておいて用をたす際に排泄したとも。今風にいうと「経血コントロール」で、そのため簡易な生理用品でも大丈夫だったとか。そもそも経血の量そのものが少なかったという説もあります(諸説あります)。いかんせん生理に関する資料が少ないので確かなことはわかりませんが、現在のような生理用品がなくともなんとかなっていたことだけは確かです。