桜吹雪の刺青や名裁きは作り話?それでも遠山の金さんのモデルがヒーローだった理由

  • 更新日:2017年5月5日
  • 公開日:2016年11月18日

決め台詞「この桜吹雪に見覚えがねぇとは言わせねぇぜ!」で悪役たちに啖呵をきるシーンでおなじみ、時代劇ドラマのヒーロー「遠山の金さん」。大岡越前とともに“江戸時代を代表する名奉行”として知られる金さんの嘘と真実をまとめました。

松方弘樹演じる遠山の金さん
桜吹雪の刺青を見せつける金さん、カッコイイ!

若い頃はヤンチャな家出フリーター!? 刺青の真相は?


遠山の金さんといえば、時代劇の人気者。歴代俳優中村梅之助、市川段四郎、橋幸夫、杉良太郎、高橋英樹松方弘樹松平健と超豪華。

あの名奉行・遠山の金さんには、モデルとなった人物が実在しました

スポンサーリンク


「金さん」のモデルとなったのは江戸時代後期の旗本で南北町奉行を務めた遠山左衛門尉景元(さえもんのじょうかげもと)。幼名は通之進、通称は金四郎

歌舞伎役者が扮する遠山景元(『大山左衛門尉 市川左団次』豊原国周 画)
歌舞伎役者が扮する遠山景元。幕府をはばかって役名は「大山左衛門尉」になっています(『大山左衛門尉 市川左団次』豊原国周 画)
父親は、長崎奉行や勘定奉行など幕府の要職を歴任した“能吏”遠山景晋(かげくに)。若い頃から秀才で知られ、異例の出世を果たした人物です。“できる男”のお父さんも“できる男”。ちなみにお父さんも通称は金四郎でした。

「金さん」こと遠山景元はちょっと複雑な家庭事情の家で生まれました。

複雑すぎてややこしいので割愛しますが、簡単に言えば養子と実子の跡継ぎ問題がいろいろと長きにわたってありまして、青年となった景元は、複雑な家庭事情から逃げるように家出をします

家を出た景元は武士ながら町人に混じって町家に住み、放蕩無頼な生活を送っていたそう。時にはヤクザ者と交流することもあったとか、なかったとか。

ちなみに、「遠山の金さん」といえば鮮やかな桜吹雪が有名ですが、その刺青はこの放蕩時代に入れたのでは?と言われています。

ただし、刺青のデザインは桜吹雪ではなく、「口に紙切れを噛みしめている美女の生首」とも「桜の花びら1枚」とも。

また、そもそも刺青なんて入れていなかった、なんて夢のない説もあります。それはなんか悲しいからやめてほしい。

景元が本当に刺青を入れていたことを示す文献などがないため真相は藪の中ですが、後年、町奉行となった景元は袖がまくれるのを極端に嫌っていたそうで、これは若い頃に彫っちゃった刺青が見えないようにしたのでは?なんて憶測する向きもあります。

『御あつらへ三色弁慶』部分(三代歌川豊国 画)
派手な花柄の刺青を入れたイケメン。景元ももしかしたら本当にこんな刺青を入れていたかも!?(『御あつらへ三色弁慶』部分 三代歌川豊国 画)

江戸ブログ 関連記事

江戸ブログ 最新記事

あわせて読みたい 戦国・幕末記事