左遷――からの町奉行にカムバック!!


とまぁ、事あるごとに老中・水野忠邦の改革に反対を唱えた景元は、庶民から絶大な人気を集めましたが、一方、水野忠邦鳥居耀蔵にからしてみたらなんとも煙たい存在。

ついに、景元はハメられ北町奉行をクビになり、代わって大目付に任ぜられました。

大目付は大名の監察役で旗本が就任できる最高位で、一見すると栄転ですが、当時は“名誉職”の色合いの強い閑職。つまり体のいい左遷です。

スポンサーリンク


しかし、これで終わらないのが我らが金さん。

あまりに厳しすぎる「天保の改革」は失敗に終わり、その責任を取って老中・水野忠邦は失脚、さらに水野と仲間割れを起こしていた鳥居耀蔵も失脚するという展開になるや、左遷から2年後、遠山景元は再び表舞台に登場します。今度は南町奉行として。

同じ人が南北の両奉行を務めるのは異例中の異例

合わせて10年間、町奉行としての職務を果たした景元は60歳の時に隠居し、家督を嫡男に譲ると悠々自適の隠居生活を送りました。

晩年の遠山景元
晩年の遠山景元。隠居後は頭を丸めていました
そして、それから3年後、庶民と庶民の文化のために力を尽くした“庶民のヒーロー”遠山景元は世を去りました。享年63。

江戸時代の2大名奉行、大岡越前遠山景元

時代劇ドラマで庶民の立場に立った見事な裁判を行い、名奉行っぷりを見せている2人ですが、じつはドラマなどで語られる名裁きはほぼフィクションです。

ただし、桜吹雪の刺青も鮮やかな名奉行・遠山の金さんがフィクションであったとしても、実在の町奉行・遠山景元は確かに江戸の庶民のヒーローでした。

そして、時代が江戸から幕末明治大正昭和、平成と移り変わっても、遠山景元を慕う人々の心は講談や映画、ドラマの中に受け継がれ“遠山の金さん”としてずっと愛され続けているのです。

遠山景元の墓(巣鴨の本妙寺)
東京は巣鴨にある本妙寺に遠山景元のお墓はあります

江戸ブログ 関連記事

江戸ブログ 最新記事

あわせて読みたい 戦国・幕末記事