男性の平均身長が155cmだった江戸時代。坂本龍馬など有名人の身長は?【22人】

  • 更新日:2022年4月2日
  • 公開日:2016年1月31日

縄文時代〜江戸時代の日本人の男女平均身長は?坂本龍馬や西郷隆盛ら22人の気になる身長も紹介。そして、江戸時代に227cmを誇った伝説の力士が実在しました。

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長い歴史のなかで江戸時代がもっとも低身長!?

長い歴史のなかで江戸時代がもっとも低身長!?


厚生労働省によりますと2012年における日本人20代男性の平均身長は約171cm、女性は約158cmとなっています。

1950年の平均身長は約161cm、女性は約150cmなので、わずか60年ほどで男性は10cm、女性も8cm平均身長が伸びています。

1956年(昭和31年)の東京有楽町の町並み
1956年(昭和31年)の東京有楽町の町並み

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現代人の若者が歩いていたらさぞ目立ったことでしょう。では、江戸時代の人々の平均身長はどれくらいだったのでしょうか?

と、その前に縄文時代から順に平均身長をみていきましょう。諸説ありますが、出土した骨(主に大腿骨)などからおおよその身長を推定することはできます。

縄文時代の様子
縄文時代の様子(注:あくまでイメージ)

男性の平均身長=約158cm
女性の平均身長=約149cm


かなり背が低い。
次。弥生~古墳時代。

弥生時代の様子
弥生時代の様子(注:あくまでイメージ)

男性の平均身長=約163cm
女性の平均身長=約152cm


伸びた。
稲作が始まって栄養状態が良くなったから?

次は鎌倉時代。武士の時代のはじまりです。

『蒙古襲来絵詞』の一部分
『蒙古襲来絵詞』部分

男性の平均身長=約159cm
女性の平均身長=約145cm


あれ、低くなっちゃった…。
武士、むしろ小柄です。平均身長が低くなった理由について「肉食をタブー視する考えが広まり、動物性たんぱく質の摂取量が減ったから」という説もあります(諸説あり)。

さて、江戸時代はどうなるかというと、

江戸時代の日本橋(熈代勝覧)
江戸時代の日本橋(熈代勝覧)

男性の平均身長=約155cm
女性の平均身長=約143cm


なんと、さらに低い。
多少の幅はありますが、男性155~158cm、女性143~146cmの範囲におさまるくらいだったそうです。

じつは、日本の歴史において江戸時代が最も身長が低かったといわれています。体重は諸説あります。が、ひとつ言えるのは、デスクワークよりも肉体労働が多かっただったので、総じてムチリと筋肉質だったといわれています。

駕籠かき(幕末に撮影)

幕末に撮影された駕籠(かご)かきの写真。ムチリ。

その後、しばらく横ばい状態が続き、食生活の欧米化などもあり平均身長は伸びていきました。


徳川家康は? 坂本竜馬は? 偉人たちの気になる身長



意外と平均身長が低かった江戸時代。幕府のトップに君臨した歴代の将軍偉人たちの気になる身長をご紹介。

まずは将軍家から。



徳川家康の肖像画
初代 徳川家康
身長 159cm


徳川秀忠の肖像画
2代 徳川秀忠
身長 160cm


徳川家光の肖像画
3代 徳川家光
身長 157cm


徳川家綱の肖像画
4代 徳川家綱
身長 158cm


徳川綱吉の肖像画
5代 徳川綱吉
身長 124cm(!?)


徳川家宣の肖像画
6代 徳川家宣
身長 156cm


徳川家継の肖像画
7代 徳川家継
(7歳で死去)
身長 135cm


徳川吉宗の肖像画
8代 徳川吉宗
身長 155.5cm


徳川家重の肖像画
9代 徳川家重
身長 151.4cm


徳川家治の肖像画
10代 徳川家治
身長 153.5cm


徳川家斉の肖像画
11代 徳川家斉
身長 156.6cm


徳川家斉の肖像画
12代 徳川家慶
身長 153.5cm


徳川家定の肖像画
13代 徳川家定
身長 149.9cm


徳川家茂の肖像画
14代 徳川家茂
身長 151.6cm


徳川家茂の肖像画
15代 徳川慶喜
身長 不明 (150cm台?)



ちなみに、歴代将軍の身長のもとになっているのは、徳川氏の菩提寺である三河国(現・愛知県)の大樹寺にある歴代将軍の位牌。

この位牌は将軍の身長にあわせてつくられているといわれてます。遺骨改葬時の調査による推定身長との誤差もありますが、おおよそこんな感じだったよう。なお、最後の将軍である慶喜は位牌がないため不明となってます。

注目は、生類憐みの令で有名な5代将軍・綱吉。124cmだそう。

あと、「暴れん坊将軍」として人気の8代将軍・吉宗が意外と小柄で、歴史トリビア特有のソウジャナイ感が半端ない。156cmというとナイナイの岡村隆史ぐらい。ただ、吉宗は180cmを超える大男だった、という伝承もありますので、脳内ではそちらを採用したい。
では、江戸時代の偉人たちの身長も見てみましょう。※推定。諸説あり。

勝海舟の写真

勝海舟
幕末に江戸城を無血開城に導いた幕臣です。ちゃきちゃきの江戸っ子。激動の時代に生きた海舟の身長はといいますと……

身長=156cm

平均ど真ん中。

和宮親子内親王の写真

和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)
天皇家出身のお姫さまで、14代将軍・徳川家茂の正室。明治天皇の叔母にあたるお方。天璋院篤姫大奥でバトルを繰り広げたのは有名。

身長=143cm
体重=34kg


ありえないぐらい華奢。現代の小学生のほうが体格良いのでは?

大塩平八郎の肖像画

大塩平八郎
教科書でおなじみ「大塩平八郎の乱」の首謀者。もと役人ながら幕府に反旗を翻しました。

身長=217cm

インターネット上をたびたび騒がすジャイアント平八郎。まあ、これは、さすがに信ぴょう性が…。

坂本龍馬の写真

坂本龍馬
幕末のヒーロー。颯爽としたイメージがあるので高身長な気がしますが果たして。

身長=173cm
体重=80kg


なかなかしっかりした身体してます。これはブーツが似合いそう。

西郷隆盛の肖像画

西郷隆盛
維新の最大の功労者。薩摩藩出身上野公園の像でおなじみ。大柄なイメージがありますが……。

身長=179cm
体重=108kg


よかった!イメージ通り!やっぱり西郷さんはでっかくないと。

最後に、平均身長155cmの江戸時代にあって規格外の巨漢を誇った人物をご紹介。

『化粧回し姿 雷電為右衛門』(画・勝川春亭)

雷電為右衛門(らいでんためえもん)
江戸時代後期に活躍した力士。勝率.962という無双の強さで、「大相撲史上未曾有の最強力士」ともいわれる伝説的な力士です。

身長=197cm
体重=172kg


でかい、でかすぎる。ジャイアント平八郎にはおよばないにしても、ものすごい巨漢です。雷電の手形がいくつか残っていますが、手形も超ビッグ! ほかにも江戸時代の力士は巨漢がたくさんいました。

生月鯨太左衛門五人掛の図

生月鯨太左衛門(いきつきげいたざえもん)
江戸時代後期の力士ですが、とにかく巨大なことで有名。

身長=227cm
体重=169kg
手形=長さ25cm、幅11cm


すごい。
生月は赤ちゃんの時から大きかったとか。しかし、巨漢ながらとっても優しかったそうです。気は優しくて力持ち。

いかがだったでしょうか。身長にはまだまだ解明されていない点も多いので推定もありますが、興味がつきません。
厚生労働省によりますと2012年における日本人20代男性の平均身長は約171cm、女性は約158cmとなっています。

1950年の平均身長は約161cm、女性は約150cmなので、わずか60年ほどで男性は10cm、女性も8cm平均身長が伸びています。

1956年(昭和31年)の東京有楽町の町並み
1956年(昭和31年)の東京有楽町の町並み

現代人の若者が歩いていたらさぞ目立ったことでしょう。では、江戸時代の人々の平均身長はどれくらいだったのでしょうか?

と、その前に縄文時代から順に平均身長をみていきましょう。諸説ありますが、出土した骨(主に大腿骨)などからおおよその身長を推定することはできます。

縄文時代の様子
縄文時代の様子(注:あくまでイメージ)

男性の平均身長=約158cm
女性の平均身長=約149cm


かなり背が低い。
次。弥生~古墳時代。

弥生時代の様子
弥生時代の様子(注:あくまでイメージ)

男性の平均身長=約163cm
女性の平均身長=約152cm


伸びた。
稲作が始まって栄養状態が良くなったから?

次は鎌倉時代。武士の時代のはじまりです。

『蒙古襲来絵詞』の一部分
『蒙古襲来絵詞』部分

男性の平均身長=約159cm
女性の平均身長=約145cm


あれ、低くなっちゃった…。
武士、むしろ小柄です。平均身長が低くなった理由について「肉食をタブー視する考えが広まり、動物性たんぱく質の摂取量が減ったから」という説もあります(諸説あり)。

さて、江戸時代はどうなるかというと、

江戸時代の日本橋(熈代勝覧)
江戸時代の日本橋(熈代勝覧)

男性の平均身長=約155cm
女性の平均身長=約143cm


なんと、さらに低い。
多少の幅はありますが、男性155~158cm、女性143~146cmの範囲におさまるくらいだったそうです。

じつは、日本の歴史において江戸時代が最も身長が低かったといわれています。体重は諸説あります。が、ひとつ言えるのは、デスクワークよりも肉体労働が多かっただったので、総じてムチリと筋肉質だったといわれています。

駕籠かき(幕末に撮影)

幕末に撮影された駕籠(かご)かきの写真。ムチリ。

その後、しばらく横ばい状態が続き、食生活の欧米化などもあり平均身長は伸びていきました。


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徳川家康は? 坂本竜馬は? 偉人たちの気になる身長



意外と平均身長が低かった江戸時代。幕府のトップに君臨した歴代の将軍偉人たちの気になる身長をご紹介。

まずは将軍家から。



徳川家康の肖像画
初代 徳川家康
身長 159cm


徳川秀忠の肖像画
2代 徳川秀忠
身長 160cm


徳川家光の肖像画
3代 徳川家光
身長 157cm


徳川家綱の肖像画
4代 徳川家綱
身長 158cm


徳川綱吉の肖像画
5代 徳川綱吉
身長 124cm(!?)


徳川家宣の肖像画
6代 徳川家宣
身長 156cm


徳川家継の肖像画
7代 徳川家継
(7歳で死去)
身長 135cm


徳川吉宗の肖像画
8代 徳川吉宗
身長 155.5cm


徳川家重の肖像画
9代 徳川家重
身長 151.4cm


徳川家治の肖像画
10代 徳川家治
身長 153.5cm


徳川家斉の肖像画
11代 徳川家斉
身長 156.6cm


徳川家斉の肖像画
12代 徳川家慶
身長 153.5cm


徳川家定の肖像画
13代 徳川家定
身長 149.9cm


徳川家茂の肖像画
14代 徳川家茂
身長 151.6cm


徳川家茂の肖像画
15代 徳川慶喜
身長 不明 (150cm台?)



ちなみに、歴代将軍の身長のもとになっているのは、徳川氏の菩提寺である三河国(現・愛知県)の大樹寺にある歴代将軍の位牌。

この位牌は将軍の身長にあわせてつくられているといわれてます。遺骨改葬時の調査による推定身長との誤差もありますが、おおよそこんな感じだったよう。なお、最後の将軍である慶喜は位牌がないため不明となってます。

注目は、生類憐みの令で有名な5代将軍・綱吉。124cmだそう。

あと、「暴れん坊将軍」として人気の8代将軍・吉宗が意外と小柄で、歴史トリビア特有のソウジャナイ感が半端ない。156cmというとナイナイの岡村隆史ぐらい。ただ、吉宗は180cmを超える大男だった、という伝承もありますので、脳内ではそちらを採用したい。

では、江戸時代の偉人たちの身長も見てみましょう。※推定。諸説あり。

勝海舟の写真

勝海舟
幕末に江戸城を無血開城に導いた幕臣です。ちゃきちゃきの江戸っ子。激動の時代に生きた海舟の身長はといいますと……

身長=156cm

平均ど真ん中。

和宮親子内親王の写真

和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)
天皇家出身のお姫さまで、14代将軍・徳川家茂の正室。明治天皇の叔母にあたるお方。天璋院篤姫大奥でバトルを繰り広げたのは有名。

身長=143cm
体重=34kg


ありえないぐらい華奢。現代の小学生のほうが体格良いのでは?

大塩平八郎の肖像画

大塩平八郎
教科書でおなじみ「大塩平八郎の乱」の首謀者。もと役人ながら幕府に反旗を翻しました。

身長=217cm

インターネット上をたびたび騒がすジャイアント平八郎。まあ、これは、さすがに信ぴょう性が…。

坂本龍馬の写真

坂本龍馬
幕末のヒーロー。颯爽としたイメージがあるので高身長な気がしますが果たして。

身長=173cm
体重=80kg


なかなかしっかりした身体してます。これはブーツが似合いそう。

西郷隆盛の肖像画

西郷隆盛
維新の最大の功労者。薩摩藩出身上野公園の像でおなじみ。大柄なイメージがありますが……。

身長=179cm
体重=108kg


よかった!イメージ通り!やっぱり西郷さんはでっかくないと。

最後に、平均身長155cmの江戸時代にあって規格外の巨漢を誇った人物をご紹介。

『化粧回し姿 雷電為右衛門』(画・勝川春亭)

雷電為右衛門(らいでんためえもん)
江戸時代後期に活躍した力士。勝率.962という無双の強さで、「大相撲史上未曾有の最強力士」ともいわれる伝説的な力士です。

身長=197cm
体重=172kg


でかい、でかすぎる。ジャイアント平八郎にはおよばないにしても、ものすごい巨漢です。雷電の手形がいくつか残っていますが、手形も超ビッグ! ほかにも江戸時代の力士は巨漢がたくさんいました。

生月鯨太左衛門五人掛の図

生月鯨太左衛門(いきつきげいたざえもん)
江戸時代後期の力士ですが、とにかく巨大なことで有名。

身長=227cm
体重=169kg
手形=長さ25cm、幅11cm


すごい。
生月は赤ちゃんの時から大きかったとか。しかし、巨漢ながらとっても優しかったそうです。気は優しくて力持ち。

いかがだったでしょうか。身長にはまだまだ解明されていない点も多いので推定もありますが、興味がつきません。

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パンツを着用しない時代、女性の下着はどんなもの?

銀ブラをする昭和の女性1963年(昭和38年)昭和の女性が、洋装で銀ブラ。和装から洋装への大転換は日本文化にとって大事件でした。[fluct device=PC num=0][fluct device=SP num=0]さて江戸時代、男性の下着は安定のふんどしですね。女性たちは下着としてどのようなものを使用していたかといいますと、それがこれ。『水鶏にだまされて』石川豊信 画(『水鶏にだまされて』石川豊信 画)「湯文字(ゆもじ)」と呼ばれる四角い布です。今でいう「腰巻(こしまき)」。ヒモがついており、巻きスカートのように腰に巻きつけて使用しました。長さは膝より少し下くらいまで。うっかり裾がペラリと開くと陰部が見えてしまうので、そんなことがないよう下着の4ヵ所にはおもりが入っていたとか。素材は木綿で、色は白もしくは緋色。年配女性は浅黄(あさぎ)色が多かったそうです。さらに、湯文字の上に「蹴出(けだし)」というものを着用しました。「裾よけ」ともいいます。これは今でいう「ペチコート」で、歩く際に湯文字がチラ見えするのを防いだり、着物の裾さばきをよくするために使用されました。長さは湯文字より長く、足首までありました。湯文字と異なり蹴出は「見せ下着」、むしろ見られることを意識した下着のため華やかな柄の布が使われ、女性の足元をより色っぽく見せるのに一役買っていました。『浮世名異女図会(うきよめいしょずえ)』「江戸町芸者」歌川国貞 画(『浮世名異女図会(うきよめいしょずえ)』「江戸町芸者」歌川国貞 画)美しい芸者の足元を見ると緋色の蹴出がチラ見え。足の白さと赤い下着の組み合わせの色っぽさ。ちなみに農村部などでは湯文字を使用することもなく完全に「ノー下着」だったそうです。ですので、作業中に「よっこいしょ」と腰をかがめたりすると陰部が丸見えになる、というのは、農村によくあるのどかな風景でした。


江戸時代からナプキン派、タンポン派にわかれていた!?

パンツを着用しなかった時代。ふと頭に浮かぶ疑問は「江戸時代の女性たちは、生理のときどのように処理していたのか?」。現代にあるナプキンやタンポンといった便利な生理用品。ナプキンの原型ともいえる「アンネナプキン」が発売されたのは、わずか50年前、昭和38年(1961年)のことでした。お年寄りが生理のことを「アンネの日」というのはこれに由来しています。「アンネナプキン」発売の広告「アンネナプキン」発売の広告。キャッチフレーズ「40年間お待たせしました!」は、アメリカで使い捨てナプキンが発売されてそれに遅れること40年にしてついに発売、ということを意味しています。[fluct device=PC num=1][fluct device=SP num=1]さて、ナプキンなどがない江戸時代、女性は生理になると前垂れのあるふんどし状の布で押さえていたそうです。これは見た目が馬の顔に似ていることから「お馬」とも呼ばれていました。この「お馬」のなかに再生紙やボロ布を折りたたんだものを入れ、陰部にあてがってナプキンのようにして使用しました。布は洗って何度も使ったとか。また、再生紙や布を丸めて膣に詰め込んだりすることもあったそうです。今でいうタンポンみたいな感じですね。再生紙や布を使うのは都市部のこと。農村部では綿など柔らかな植物を陰部にあてがったり、膣に詰め込んだりしていたといわれています。また、生理期間中は血による“穢れ(けがれ)”を忌み、家族と接しないよう「月経小屋」と呼ばれる場所で生活したとか。ちなみに、これは確認しようがないので定かではありませんが、一説には、江戸時代の女性たちは現代女性に比べインナーマッスルが発達していたため、経血を膣内にためておいて用をたす際に排泄したとも。今風にいうと「経血コントロール」で、そのため簡易な生理用品でも大丈夫だったとか。そもそも経血の量そのものが少なかったという説もあります(諸説あります)。いかんせん生理に関する資料が少ないので確かなことはわかりませんが、現在のような生理用品がなくともなんとかなっていたことだけは確かです。