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江戸時代、浮世絵を売っていたのは「絵草紙屋」というお店。挿絵入りの小説「絵草紙」も販売。年齢・性別の区別なく大勢の人々が来店した(『今様見立士農工商』「商人」三代歌川豊国 画)
そもそも「浮世絵」ってなんだ?
「浮世絵とはなにか?」と聞かれたら、おおざっぱにはイメージできるけど説明するのはちょっと……という方は多いんじゃないでしょうか?
てことで、まずはじめに「浮世絵ってこんなもの」について。
浮世絵が誕生したのは江戸時代初めのこと。人々が生きるありのままの現世、つまり“浮き世”の風俗を描いたのが浮世絵です。
「浮世絵」というと「版画」というイメージがありますが、絵師が直接筆で描いた「肉筆画」も浮世絵です。版画のものは大量生産ができるので値段も安く、庶民でも気軽に楽しむことができました。対して肉筆画の浮世絵は1点ものなので高額でした。

北斎の娘・葛飾応為(おうい)の肉筆画。画面からあふれ出る濃密な色気にため息が出ます。天才の子はやはり天才(『三曲合奏図』)
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さて、浮世絵というとカラフルで斬新な表現の作品が有名ですが、誕生期の浮世絵版画は「墨摺絵(すみずりえ)」というモノクロ1色のものでした。その後、「墨摺絵」に単純な色彩を加えた「丹絵(たんえ)」、さらに色数を少し増やした「紅摺絵(べにずりえ)」などへと着実に進化していきました。

これは「丹絵」の代表的な作品で、朱色がインパクト大。描かれているのはヒーローを演じ江戸でスターとなった歌舞伎役者の市川團十郎(『市川團十郎の竹抜き吾郎』鳥居清倍 画)
そして、江戸時代中期、版画技術の革新により使える色数を爆発的に増やしたカラフルな浮世絵版画が誕生します。それまで2〜3色くらいで構成されていたのが、10〜20色くらいで構成できるようになったのですから、これはもう革命です。モノクロテレビがカラーテレビになったようなもんです(違う?)。
錦織のように鮮やかな色彩の浮世絵版画は江戸で生まれたことから「東錦絵(あずまにしきえ)」と呼ばれるようになりました。「錦絵」と略されることもあります。
自在に色を駆使できるようになった浮世絵版画は、美人画、役者絵、風景画などでたくさんの傑作を生み出し、江戸時代後期には浮世絵全盛期を迎えました。

人気役者をデフォルメさせた大胆な画風で話題になるも忽然と姿を消した謎多き絵師・写楽の浮世絵版画(『中島和田右衛門のぼうだら長左衛門 中村此蔵の船宿かな川やの権』)
その後も3枚続きのワイド画面バージョンが誕生したり、西洋絵画のテクニックを取り入れたりなどして浮世絵版画は進化を続けました。
美人画で有名な喜多川歌麿、猫好きの奇才・歌川国芳、斬新な構図の風景画を得意とした歌川広重、天才・葛飾北斎など時代を牽引した才能あふれる絵師たちの切磋琢磨もあり、浮世絵版画は世界的に知られるジャパニーズアートにまで昇華したのです。
以上、「浮世絵」に関するうんちくでした。
さて、お次はいよいよ本題の「浮世絵ができるまで」です。