江戸時代のベストセラー26作品をまとめたらカオスだった【今だと物議をかもす本も】

  • 更新日:2019年9月16日
  • 公開日:2016年7月3日

江戸時代の出版業界は大盛況!今も愛読される作品から現代だと物議をかもしそうな作品まで様々誕生しました。江戸時代のベストセラー&ロングセラーを26作品ご紹介します。※更新履歴:2019年9月に5作品を追加し合計26作品にしました。

江戸ブログの記事をYouTubeに引っ越しました!
チャンネル登録をお願いします!

本を求める江戸時代の人々(『画本東都遊』より/葛飾北斎 画)
江戸を代表する版元・蔦屋重三郎の店は本を求めるお客で大にぎわい(『画本東都遊』より/葛飾北斎 画)

庶民の読書熱のウラに貸本屋あり


ベストセラー紹介の前に江戸時代の出版事情について。江戸時代前期の1624~44年頃、木版印刷が普及すると商業出版が本格的にスタートし、本が一気に身近になりました。

当初、出版業界の中心は京であり、出版物も仏書や歴史書など硬派なものばかりでしたが、絢爛な文化が花開いた元禄期(1688~1704年)になると、大坂で井原西鶴の『好色一代男』が大ヒット。娯楽作品のヒットは出版革命を起こしました。

スポンサーリンク


さらに江戸時代中期になると江戸でも出版業が本格化。娯楽小説をはじめ実用書、ハウツー本、教育本、ガイドブックなど次々に新しいジャンルが開拓され、様々なベストセラーが生まれました。

一説に江戸時代には「ベストセラー」に似たような言葉として「千部振舞(せんぶぶるまい)」というのがあったとか。祝!1000部達成!!ということで本屋は総出で氏神さまへお参りに行ったそう。

江戸時代の製本作業のようす(『的中地本問屋(あたりやしたじほんどいや)』十返舎一九 著)
製本作業のようすを描いたもの。当然ながらすべて手作業です(『的中地本問屋(あたりやしたじほんどいや)』十返舎一九 著)
出版業界の盛況により本屋も増加、本はさらに身近になります。ただ、現代に比べると本の値段が高かった江戸時代、庶民は本を買うのではなくレンタルして楽しみました。そこで活躍したのが貸本屋(かしほんや)です。

江戸時代後期には江戸だけで656軒もの貸本屋があったそう。1軒あたり得意先を170ほど抱えていたといわれるので、ざっと計算しただけで10万軒以上の人々が貸本屋を利用していたことになります。

さらに、レンタルした本を回し読みするなんてことも普通だったそうなので、読書人口はものすごいことになったようです。

江戸時代の貸本屋(『倡客竅学問(しょうかくあながくもん)』十返舎一九 著)
画像右の男性が貸本屋。風呂敷に包んだ本を顧客である遊女に見せています(『倡客竅学問(しょうかくあながくもん)』十返舎一九 著)
貸本屋のシステムは現代とほぼ同じ。借りる日数によりレンタル料が決まったり、延滞料や紛失・破損による弁償代なんかも発生したそう。また、貸本屋の目玉商品といえば、本屋で扱えない発禁本。内容は政治批判や海外事情、エロティックな「艶本(えほん/えんぽん)」など。

前置きが長くなりましたが、まずは娯楽小説のヒット作を紹介していきます!

スポンサーリンク


今もファン多し! 全106冊で綴る伝奇ロマンの最高峰


<1作目>

『南総里見八犬伝』(曲亭馬琴 作)
『南総里見八犬伝』(1814~42年)
曲亭馬琴


~あらすじ~
舞台は室町時代の安房国(現・千葉県)。「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌(てい)」の珠と牡丹の形をした痣をもつ宿縁で結ばれた8人の若者「八犬士」が、里見家再興を願い悪と戦う波乱万丈のスペクタクルストーリー。

因果応報・勧善懲悪をテーマにした大人の長編小説「読本(よみほん)」の傑作です。映画や舞台、アニメにもなっているので、作品名を聞いたことのある人も多いのではないでしょうか?

映画『里見八犬伝』(深作欣二監督、薬師丸ひろ子主演)
1983年に公開された映画『里見八犬伝』は名作。監督は深作欣二、主演は薬師丸ひろ子
『南総里見八犬伝』は、作者・曲亭馬琴のライフワークであり、完成までに28年もの歳月がかかりました。晩年、馬琴は失明し執筆が不可能となりましたが、息子の妻に口述筆記させることで作品を完成させました。すさまじい執念。

キャラが立っていて名シーンが多い『八犬伝』はメディアミックスにうってつけだったようで、歌舞伎や人形浄瑠璃になったほか、浮世絵、双六、手ぬぐいなどさまざまな商品展開でさらに人気を集めました。

ここがヒットのポイント!
主人公である八犬士はもちろん、特にアクの強い悪役たちのキャラクターが魅力的。バトルシーンのハラハラ感、勧善懲悪のわかりやすいストーリーで読後感もバツグン。

歌舞伎上演された『八犬伝』の役者絵(歌川国貞 画)
歌舞伎上演された『八犬伝』の役者絵。キャストの似顔絵と役名が描かれています(歌川国貞 画)
また、大長編なのでダイジェスト本も大人気になったほか、八犬伝はエロパロが春画にもなっていました

南総里見八犬伝のパロディ春画(歌川国貞の『恋のやつふぢ』)
『八犬伝』のパロディ艶本『恋のやつふぢ』(歌川国貞 画)。エロパロながら本文・挿絵ともに原作を忠実になぞるハイクオリティ。佐世姫(原作の伏姫)が妖犬・八総(原作の八房)に犯されています

あまりの人気に版木が摩耗!?


<2作目>

『傾城水滸伝(けいせいすいこでん)』(曲亭馬琴 作)
『傾城水滸伝(けいせいすいこでん)』(1825〜35年)
曲亭馬琴


~あらすじ~
舞台は鎌倉時代初期の後鳥羽院の時代。後鳥羽院の寵愛を受けこの世をほしいままにする傾城・亀菊に、源頼時の息女・三世姫を擁立した烈婦たちが戦いを挑む!

こちらも馬琴によるベストセラー。馬琴先生はとにかくヒットメーカーで『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき』もベストセラーで代表作。さすが原稿料だけで生活できた日本最初の作家といわれるだけはあります。

『傾城水滸伝』はタイトルからもわかるように中国の超有名伝奇小説『水滸伝』を馬琴流に書き換えたもの。なんと『水滸伝』の英雄・豪傑たちが賢妻・烈婦に大胆アレンジされています。なんだか山田風太郎先生がやりそうです。

勇ましく個性豊かな女性たちが大活躍する本作は人々の心をつかみ大ヒット。あまりの人気に版木が擦り切れ、2度も新たに彫り直したそう。

ここがヒットのポイント!
日本でも超有名な作品を、男女の性別を丸ごと入れ替えるという大胆なアレンジで全く別の物語として生まれ変わらせた。

しかし、完成することなく作者の馬琴が死去。別の作家が『女水滸伝』という新たなタイトルで続きを執筆し完成させたんだとか。馬琴先生、さぞかし無念だったことでしょう。


旅行ブームの火付役にもなったのドタバタコンビの道中記



<3作目>

『東海道中膝栗毛』(十返舎一九 作)
『東海道中膝栗毛』(1802~09年)
十返舎一九



~あらすじ~
神田八丁堀の長屋に住む弥次郎兵衛と居候・喜多八は、パッとしない人生を変えるべくお伊勢参りへ行こうと江戸を出発。道中、しょうもないイタズラをしたり冗談を言い合ったり、女性にちょっかいをかけたり、地元のグルメに舌鼓を打ったりしながら2人は伊勢を目指し今日も行く。


こちらも江戸が生んだ大ベストセラー。教科書などでもおなじみ。ジャンルは、庶民の日常を滑稽に描いた「滑稽本」というものに分類されます。

『東海道中膝栗毛』は当初、初編と続編の2編で終了予定でしたが、想像をはるかに超える大ヒットを受け、弥次・喜多コンビが大坂に到着し完結した8編まで続きました。増刷に次ぐ増刷により版木が磨り減り、少なくとも3万部以上売れたとも(諸説あり)。


ここがヒットのポイント!
弥次・喜多コンビの失敗談のおもしろさや軽妙なやりとりにクスリと笑わせられる。作者の十返舎一九が現地取材をし、自分の足と目で確かめたからこそ出る、その土地土地での庶民のリアルな生活が読者の旅情を誘い、地元民からは共感を得た。


『東海道中栗毛弥次馬』「蒲原」(落合芳幾 画)
『東海道中栗毛弥次馬』「蒲原」(落合芳幾 画)
蒲原宿にて。宿泊先で夜這いに失敗した喜多さん、宿の仏壇に落っこち宿屋の主人に怒られる、の図。この宿場以外にもちょいちょい夜這いをしかけ、失敗しています。

また、ほかにも。

『東海道中栗毛弥次馬』「雲津」(落合芳幾 画)
『東海道中栗毛弥次馬』「雲津」(落合芳幾 画)
雲津宿にて。旅の途中で知り合った狂歌師に弥次さん、「自分はかの有名な十返舎一九である」とウソをつく。これは、作者・十返舎一九の読者サービス。喜んだ狂歌師に誘われ家でもてなされるも、あっけなくウソがバレて2人は追い出されちゃいます。ほかの場所でもセコいウソをついてやっぱりバレて散々な目にあってます。自業自得ですが。

と、まぁ、終始こんな感じ。なにかと失敗してばかり弥次・喜多コンビですが、しょげることなく、失敗を狂歌に詠んで笑いとばしちゃうのが人気の秘密。

ちなみに、『東海道中膝栗毛』8編の完結後、読者から「弥次・喜多コンビのことをもっと知りたい!」という声が寄せられ(一説に「あんな軽薄なのが江戸っ子か!」とクレームがあったとも)、エピソードゼロにあたる『発端(はじまり)』が書かれました。スターウォーズかな?

それによると、実は2人は江戸っ子ではなく生まれは駿河(現・静岡県)。しかも、2人の関係性が超意外。弥次さん、もとはお金持ちの商家の旦那でしたが旅役者一座の少年にゾッコンになり身代をつぶしてしまい、江戸へ夜逃げしたとか。そして、この少年というのが喜多さんというからビックリ。

まさかの男色展開

クドカンの映画『真夜中の弥次さん喜多さん』で弥次・喜多コンビがゲイカップルでしたが、ある意味原作に忠実だったとは。

映画『真夜中の弥次さん喜多さん』(宮藤官九郎 監督)
弥次さんを長瀬智也、喜多さんを中村七之助を演じました。原作はしりあがり寿のマンガ
で、それぞれ問題を抱え駿河にいられなくなった弥次さん、喜多さんは2人して江戸へ夜逃げし八丁堀の長屋に収まったのだそう。ちなみのちなみ、2人の年齢は弥次さんが49歳、喜多さんが29歳とかなりの年の差コンビ(旅の出発時)。

さて、メガヒット作品の宿命か、続編を望む声に応え、『東海道中膝栗毛』が完結した翌年から『続膝栗毛』シリーズがスタートしてこちらも大ヒットし。なんと12年間もシリーズは続き、前作の『東海道中膝栗毛』と合わせると弥次・喜多コンビは21年間も全国を旅し続けました。

途中、作者の十返舎一九が「もうネタ切れなのに版元がやめさせてくれない」と作中の序文でグチったりしてるあたりは現代の人気漫画家を彷彿とさせて、なんていうか日本変わってない

さらにさらに『続々膝栗毛』もスタートしましたが、これは一九が他界したため未完に終わりました。

江戸だけでなく全国各地で大人気となった『東海道中膝栗毛』にはパロディもたくさん。俗に「膝栗毛もの」と呼ばれています。

なかでも有名なのが明治初期に出た仮名垣魯文の『西洋道中膝栗毛』。主人公は弥次・喜多コンビの孫で、日本を飛び出し中国、インド、エジプトを経由しイギリスまで行ってしまいました。

ヒット作の主人公が海外へ行く、というのは昔から黄金パターンのようですね。同作はパロディものながら大人気で15編まで出版されました。

『西洋道中膝栗毛』(仮名垣魯文 作)に収録された双六のおまけ
『西洋道中膝栗毛』に収録された双六のおまけ
また、『閨中膝磨毛(けいちゅうひざすりげ)』というエロパロや、『道中女膝栗毛』という主人公をオッサンから女性に変えた作品などもありました。
ほかにも、『サザエさん』で有名な漫画家・長谷川町子さんも『新やじきた道中記』というパロディを描いており、なんとサザエさん一家もゲスト出演しています。

サザエさん一家も出演する漫画『新やじきた道中記』(長谷川町子 作)

銭湯を舞台に江戸庶民をリアルに描き大ヒット



<4作目>

『浮世風呂』(式亭三馬 作/北尾美丸 画)
『浮世風呂』(1809~13年)
式亭三馬 作/北尾美丸 画


こちらも「滑稽本」のヒット作。舞台は江戸っ子たちの社交場としてにぎわった銭湯。男湯編と女湯編にわかれています。

銭湯にやってきた人々が主役で、やりとりされる軽妙な会話が本作のキモ。リアルに描かれた風俗や話し言葉でつづられた会話からは江戸時代の空気が感じられます。

本作が完結したのと同じ年、舞台をやはり庶民の社交場・髪結い床(今でいう床屋)に移した『浮世床(うきよどこ)』がスタート、こちらも大ヒットしました。


ここがヒットのポイント!
作者・三馬の落語好きならではのテンポのよい会話。しかも話し言葉で書かれているので脳内再生も簡単。風俗などもリアルだから読者も共感しやすい。


江戸時代の床屋(『浮世床』より)
江戸時代の床屋は男性客専門。お客である男性たちは、髪を切るだけでなく、ダラダラしたり話しに興じたり(『浮世床』より)
ちなみに落語の演目でも『浮世床』というのがあり、床屋を舞台にしたオムニバス形式の落語です。

女性のハートをがっちりつかむも発禁となった恋愛小説



<5作目>

『春色梅児誉美』(為永春水 作)
『春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)』(1832~33年)
為永春水 作



~あらすじ~
吉原の遊女屋の養子・丹次郎は女性にモテモテの優男。そんな丹次郎にゾッコン惚れ込んでいるのが、許婚の美少女・お長、恋人の売れっ子深川芸者・米八(よねはち)、米八の朋輩芸者・仇吉(あだきち)の3人。複雑に入り組む四角関係の恋模様の結末やいかに。


ターゲットを女性に絞った恋愛小説「人情本」の大ヒット作です。読者である女性たちは、丹次郎をめぐる3人の女性たちに感情移入しながら、恋の疑似体験をしました。恋に恋するお年頃の女子たちはそりゃもう夢中で読んだことでしょう。

しかし、「天保の改革」で本作をはじめとする「人情本」は“風紀が乱れる”との理由からすべて絶版処分が命じられてしまいました……。女性読者、ガッカリ。

『春色梅児誉美』の大ヒットで一躍人気作家になった作者の為長春水も手鎖50日の刑に処せられ、失意のためか翌年に他界してしまいました。


ここがヒットのポイント!
キャラクターの異なる3人の女性の誰かに感情移入しながら恋の疑似体験。きわどいラブシーンにドキドキ。当時流行のファッションを反映させた挿絵もポイント高し。


次の作品も発禁処分。

大奥を描いた?噂により絶版となった未完のベストセラー



<6作目>

『偐紫田舎源氏』(柳亭種彦 作/歌川国貞 画)
『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』(1829~42年)
柳亭種彦 作/歌川国貞



~あらすじ~
室町幕府の8代将軍・足利義政の妾腹の子で美貌と勇気をかねそなえた貴公子・光氏(みつうじ)は、将軍の座を狙う山名宗全を抑えるため、『源氏物語』の光源氏のような大勢の女性たちとの恋愛遍歴を装いながら、宗全が盗んで隠していた足利家の宝を奪い返していく。さらに、光氏は須磨・明石に流寓して西国の山名勢力を牽制しつつ、都にはびこる宗全一味を知謀により殲滅、京に凱旋し将軍後見役にまで昇りつめるが・・・・・・。


平安時代に書かれた古典の名作『源氏物語』を室町時代に時代を移し翻訳した伝奇小説。通称、『田舎源氏』。毎年数編が刊行され、一説に各編1万部ともいわれる空前のベストセラーとなりました。

しかし、「天保の改革」が始まると暗雲が……。「主人公の光氏は11代将軍徳川家斉をモデルにしたのでは」「贅沢で豪華な世界は今の大奥がモデルでは」などの噂が立ち、38編152冊続いた大ベストセラーにもかかわらず絶版を命じられ、未完に終わりました。またもや女性読者ガッカリ。


ここがヒットのポイント!
古典に造詣が深い作者・柳亭種彦の絶妙な筋立てと、絵師・歌川国貞の歌舞伎趣味の華麗な挿絵がウケて女性読者を中心に大ヒット。


『田舎源氏』の作者・柳亭種彦の肖像画
作者の柳亭種彦は『田舎源氏』が絶版になったあと、まもなく世を去りました。急死の理由については、ショックによる病死とも、はたまた自殺とも

寛政の改革パロに幕府激怒! 作品は絶版、作者は断筆



<7作目>

『文武二道万石通(ぶんぶにどうまんごくどおし』(朋誠堂喜三二 作/喜多川行麿 画)
『文武二道万石通(ぶんぶにどうまんごくどおし』(1788年)
朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)作・喜多川行麿 画



~あらすじ~
鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝は重臣・畠山重忠に命じ、鎌倉にいる大名たちを文武どちらかに優れているかふるいにかけさせ、どちらにも優れないぬらくら武士たちを箱根の湯につけて文武の道に精進するよう仕向ける。


舞台は鎌倉時代になっているものの題材になっているのは当時行われていた老中・松平定信による苛烈な「寛政の改革」で、大名たちに対して行われた文武奨励策を皮肉ったもの。

風刺の効いたパロディは庶民たちに大いにウケ、古今未曾有の大流行となったが、当然というかなんというか幕府の逆鱗に触れ、ほどなくして絶版となった。


ここがヒットのポイント!
出版統制や風紀粛正など寛政の改革は庶民の生活にも大きく影響し、改革を滑稽に風刺した同作は改革に不満を持つ人々の溜飲を下げさせた。

ベストセラー小説の嚆矢となった絶倫男の一代記



<8作目>

『好色一代男』(井原西鶴 作・画)
『好色一代男』(1682年)
井原西鶴 作・画



~あらすじ~
主人公・世之介はわずか7歳で初体験した早熟な男子。従姉、人妻、遊女……と次々に関係を持ち、女性関係の激しさから19歳の時に勘当されてしまう。その後、世之介は諸国を放浪しながら各地の女性と関係を持つことになるのだが…。


作者は大坂生まれの作家・井原西鶴。「浮世草子」と呼ばれるジャンルの記念すべき1作目といわれます。ちなみに、本作が西鶴の処女作で挿絵も自分で手がけたとうのですから、西鶴の才能恐るべし。

『好色一代男』はタイトル通り、好色な主人公・世之介の7歳から60歳までの色っぽい一代記をオムニバス形式で描いたものですが、関係をもった人数がすごい。

54年間で関係を持った人数

女性 3,742人
少年 725人


どうしよう、どこから突っ込もう…。

とりあえず、相手が少年ということについては、江戸時代初期には庶民の間でも男色が珍しくなかったそうなので、これは特段珍しくはない。

人数について。単純に計算して毎週1~2人は相手をとっかえひっかえ。これを休むことなく54年間だから絶倫にも程がある。登場する遊女のなかには実在の有名遊女もいます。

しかも、60歳で最終回を迎えるのですが、ラストは女だらけの伝説の島へ船出するというのだから、もうやだ江戸時代。でも、老境に入ってまだまだヤル気まんまんの世之介はなぜか清々しくすらあります。

『好色一代男』の1場面。女護が島を目指し世之介は「好色丸(よしいろまる)」で船出
女護が島を目指し世之介は「好色丸(よしいろまる)」で船出。その後、行方知れずになった世之介だが楽しくやってそう


ここがヒットのポイント!
啓蒙や教化がメインの”おカタイ”読み物ばかりだった時代にあって、町人の世界をリアルに描き、庶民の喜怒哀楽を高い娯楽性をもって表現し読者に衝撃を与えた。主人公・世之介の生き方に「これこそ俺の理想だ!」と男性読者、大喝采。


こちらも好色男子が主人公。

“うぬぼれ男”の代名詞となった愛され主人公



<9作目>

『江戸生艶気樺焼』(山東京伝 作/北尾政演 画)、その1
『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』
山東京伝 作/北尾政演 画(1785年)



~あらすじ~
主人公の艶二郎(19歳)はお金持ちの道楽息子。団子鼻がチャームポイントの”ブサメン”ながら、夢は「女性にモテまくる」こと。女性にモテるため、有り余る金にものをいわせ艶二郎は試行錯誤するが……。


奇想天外な作品を数多く世に送り出した大人気作家・山東京伝の代表作。ジャンルとしては、絵と文章で構成された大人のマンガ「黄表紙」

金持ちぼっちゃんの艶二郎が金で三角関係を演出したり、心中に憧れてヤラセ心中をやってみたり……といったストーリーのおもしろさもさることながら、読者のハートを掴んだのが艶二郎のキャラクター。「うぬぼれ男」の代名詞にまでなりました。


ここがヒットのポイント!
メチャクチャやってるのに憎めない、“愛すべきブサメン”艶二郎のキャラクターとしての魅力が百点満点。


詳細なストーリーについては、『【画像あり】江戸時代の絵本・マンガ「黄表紙」がシュールすぎて困惑する【厳選7作品】』でお楽しみください!

今も売れてるロングセラー怪異小説



<10作目>

『雨月物語』(上田秋成 作)
『雨月物語』(1776年)
上田秋成



~あらすじ~
平安時代の歌人・西行(さいぎょう)は、讃岐国にある旧主の第75代天皇・崇徳院の墓を訪ねた。すると西行の目の前に崇徳院の怨霊が現れ、世が乱れているのは私の祟りによるものだと語り、平家滅亡を予言する。浅ましい怨霊となってしまった崇徳院に、嘆き悲しむ西行は歌を捧げるが……。(「白峯」より)


『雨月物語』は江戸時代中期につくられたオムニバス怪異小説で、全9編の構成。

各タイトルは「白峯」「菊花の約」「浅茅が宿」「夢応の鯉魚」「仏法僧」「吉備津の釜」「蛇性の淫」「青頭巾」「貧福論」。ホモセクシャル風味な男同士の濃い友情ストーリーや、生死をさまよう僧侶の不思議な夢、蛇の化身である女にストーカーされる男の話などバラエティ豊か。

中国の怪談や日本の古典文学をベースに、秋成流にアレンジを加え、幽霊や怪異を通して人間の情念を怪しくも美しく描き出しました。

かの三島由紀夫も『雨月物語』を愛読書し、特に「夢応の鯉魚」がお気に入りだったそう。また、ヴェネティア国際映画祭銀獅子賞を受賞した映画『雨月物語』(監督・溝口健二)や宝塚歌劇団で舞台化されるなど後世においても多くの派生作品を生みました。


ここがヒットのポイント!
『南総里見八犬伝』の作者・曲亭馬琴をはじめ、大正の文豪・芥川龍之介らにも大きな影響を与えた、格調高く優美で幽玄な文章のすばらしさ。


溝口健二監督の代表作のひとつ映画『雨月物語』
溝口健二監督の代表作のひとつ映画『雨月物語』は、原作の「浅茅が宿」と「蛇性の淫」をアレンジ。画像引用元:角川映画
今も愛される『雨月物語』ですが、当時の売れ行きはボチボチだったそうです…。

動乱の幕末に“笑い”をもたらし上方で大ヒット



<11作目>

『諺臍の宿替』(一荷堂半水 文/歌川芳梅 画)
『諺臍の宿替(ことわざへそのやどかえ)』(幕末明治初期)
一荷堂半水 文/歌川芳梅 画


幕末の上方で大ベストセラーとなり、明治まで出版が続いたロングセラーことわざ集

「目から鼻に抜ける」「木で鼻をくくる」など今もおなじみのことわざから、今では聞かなくなってしまったことわざまで、さまざまなことわざを”イジりたおした”珍本です。

ちなみに、『諺臍の宿替』というヘンテコなタイトルの意味は「ヘソがお引越ししちゃうくらいおもしろいよ!」ということらしい。


ここがヒットのポイント!
言葉遊びに富んだ文章やタイトルも秀逸だが、なにより読者にウケたのがインパクト大のシュールな挿絵。誰かに見せたくなったに違いない。


たとえば・・・・・・

「木で鼻をくくる」、「目が節穴」(『諺臍の宿替』/一荷堂半水 文/歌川芳梅 画)

右は鼻の穴から小さい人がコンニチハしています。片目からは下半身が見えているので、目から入って鼻へ出てきたところのようです。

とにかくたいへんなことになっています。これ、なんのことわざの絵かといいますと、賢いさまを表すことわざ「目から鼻に抜ける」。言葉の通りにビジュアル化したら大惨事。

ちなみに、中央の男性は「木で鼻をくくる」。そのお隣は「目が節穴」の男性。怖い…。

「鼻毛を読む」(『諺臍の宿替』/一荷堂半水 文/歌川芳梅 画)

男性の鼻の穴から盛大に飛び出した鼻毛に女性がぶらさがっています。かなりシュールなこの絵のことわざは「鼻毛を読む」。その意味は、女性が自分に惚れている男を思うようにあしらうこと。

心中ブームを巻き起こした美しき悲恋



<12作目>

『曽根崎心中』(近松門左衛門 作)
『曽根崎心中』(1703年)
近松門左衛門



~あらすじ~
場所は大坂。醤油屋のマジメな手代・徳兵衛と天満屋の美しい遊女・お初は、客と遊女の関係を超えた相思相愛の仲。いずれお初を妻にと思っていた徳兵衛だったが、店の主人に跡取りにしたいから姪と結婚しろ、と迫られる。さらに親友に金を騙し取られ進退窮まった徳兵衛は死を決意。その覚悟を察したお初は徳兵衛と手に手を取って死出の旅路に向かう――


初演から300年以上経った現代でも繰り返し上演される人形浄瑠璃の傑作。作者は近松門左衛門

『曽根崎心中』は、1703年(元禄16年)5月22日に曽根崎村で実際起きた心中事件を題材にしたものですが、近松門左衛門事件後わずか1ヶ月という超スピードで脚本を仕上げました。

公演は空前の大ヒットとなり、台本にあたる「浄瑠璃本」も刊行されるやベストセラー、『曽根崎心中』人気は"心中ブーム"という社会現象を引き起こすほど加熱しました。その人気に危うさを感じた当時の将軍徳川吉宗心中物の上演・出版を禁止するほどでした。


ここがヒットのポイント!
事件後わずか1ヶ月での発表というホットさと、凄惨な心中事件を美しい悲恋の物語に仕立てたところ。


歌舞伎における曽根崎心中『曽根崎心中』(『天満屋おはつ平野屋徳兵衛 霜剣曽根崎心中 よみうり上下』3代歌川豊国 画)
歌舞伎公演の徳次郎とお初を描いた浮世絵(『天満屋おはつ平野屋徳兵衛 霜剣曽根崎心中 よみうり上下』3代歌川豊国 画)
心中に向かう徳兵衛とお初の道行シーンは特に名文として有名。

「この世の名残り 夜も名残り 死にゆく身をたとふれば あだしが原の道の霜 一足ずつに消えてゆく 夢の夢こそ あはれなれ――」

江戸の都会っ子たちに雪国の生活を知ってほしい



<13作目>

『北越雪譜』(鈴木牧之 作・画)
『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』(1837年)
鈴木牧之(ぼくし)作・画

画像引用元:Wa☆Daフォトギャラリー
こちらは、豪雪地帯である越後国魚沼(現・新潟県魚沼市)の生活を生き生きと描いた大ヒット随筆。作者・鈴木牧之は魚沼の出身で、家業の関係で江戸へ来た際に江戸の人々が雪国の暮らしをまったく知らないことにビックリし、「そうだ、雪をテーマにした随筆を書こう」と思い立ったそう。

ですが、地方出身の鈴木牧之が江戸で出版するのは簡単ではなく、出版にこぎつけるまでには紆余曲折がありました。さて、『北越雪譜』はどんな内容かというと、雪の結晶のスケッチや成分解説にはじまり、雪国と江戸など暖かい国との違い、雪国の名産品、雪国ならではの奇習や奇譚、山岳地方の方言などなど実に多彩。

『北越雪譜』は一説に販売部数700部といわれるベストセラーとなりました。その後も何度も出版が重ねられ明治末まで出版されるロングセラーにもなりました。


ここがヒットのポイント!
雪国の実態がさまざまな視点から描かれており、知られざる雪国ライフへの読者の好奇心をかきたてた。


江戸時代にベストセラーとなったものは小説や随筆といった「読み物」ばかりではありませんでした。今でいう健康書やガイドブックなどの実用書や趣味本にもベストセラーとなったものが数多くありました。

ココロと体を健康にする方法を教えます



<14作目>

『養生訓』(鈴木牧之 作・画)Nadi
『養生訓(ようじょうくん)』(1712年)
貝原益軒(かいばらえきけん) 作

画像引用元:
著者である福岡藩の儒学者貝原益軒がなんと83歳という高齢で書き上げた健康指南書。江戸時代にあって珍しいほどの長寿を保っていた益軒が、自らの実体験に基づき、長寿を全うするためにココロと体を健康にする方法を説いています。

江戸時代における長寿の秘訣としては、以下などが説かれています。

心身ともに健康であるためには、体をよく動かすこと、食欲・色欲など欲望をコントロールすること、季節の変化に注意すること、感情的になりすぎないこと、病気でもないのに薬を飲み過ぎないこと


また、人間誰もが避けて通れない「老い」についても「老いたら1日1日をたいせつにして長寿を楽しもう!」と、とってもポジティブなメッセージを読者に送ります。長生きしたい、という思いは今も昔も同じ。わかりやすく健康と長寿について解説した『養生訓』は広く愛読され、健康指南書の定番としてロングセラーとなりました。

ちなみに、作者・益軒の妻も夫の説く健康法を実践し長生きし、高齢になっても夫婦で散歩を楽しんだとか。イイハナシダナ~。


ここがヒットのポイント!
実際に長寿を保っている作者の実体験に基づいた健康法だから説得力がすごい。しかも、わかりやすく実践しやすいのが読者に支持された。


教科書でもおなじみ、日本初の西洋医学書の翻訳版



<15作目>

『解体新書』(前野良沢 翻訳/杉田玄白 清書)
『解体新書』(1774年)
前野良沢(翻訳)、杉田玄白(清書)



~あらすじ~
ドイツ人医師による解剖学書のオランダ翻訳版『ターヘル・アナトミア』をはじめとする最新の西洋医学書を日本語に翻訳・再構成したもの。


今も昔も教科書でおなじみ『解体新書』。

よく知られている逸話ですが、同書がつくられるきっかけとなったのは小塚原の処刑場で行われた囚人の解剖。これに参加した杉田玄白や前野良沢らは、持参した『ターヘル・アナトミア』の記述があまりにも正確なことに驚愕し、これを翻訳することを決意したことから全てははじまります。

当時、オランダ語の辞書もなく、オランダ語の通訳は長崎という遠い場所にいるのみ。オランダ語をかじったことがある前野良沢の知識も翻訳ができるほど豊富ではないというお手上げ状態。

のちに杉田玄白は『解体新書』の苦労話を『蘭学事始』という本にまとめていますが、「櫂や舵の無い船で大海に乗り出したよう」な絶望的状況からのスタートだったそう。

まるで暗号解読のような地道で手探りな作業を続けること4年、11回もの改稿の末についに完成したのである。江戸時代に「プロジェクトX」が放送していたら間違いなく神回。

現代わたしたちが普通に使っている「神経」や「動脈」などの言葉も、『解体新書』が生まれるなかで誕生した造語というからビックリです。

ちなみに、図版を担当した画家・小田野直武は平賀源内の友人であり、これまた源内の親友であった杉田玄白に源内が小田野を紹介したとも。


ここがヒットのポイント!
日本初の西洋語からの本格的な翻訳書となり、オランダ語の理解が大いに進んだ。これにより医学書だけでなく博物学、天文学、地理学などさまざまなジャンルで西洋書が翻訳され、国内における蘭学発展の転機となった。


日常で使う算術はこれ1冊で完全網羅



<16作目>

『塵却記』(吉田光由 作)
『塵却記(じんこうき)』(1627年)
吉田光由(みつよし) 作


社会経済が発達した江戸時代、一般の人々も「九九」「足し算」「掛け算」など基礎的な計算知識が必要になってきていました。そんな時に登場したのがこの『塵却記』で江戸時代を通したロングセラーとなりました。内容をちょっと変えた異本もたくさん出版され、一説に400種類ともいわれる『塵却記』が出されたとも。


ここがヒットのポイント!
日常で使う実用的な算術を身近な話題をもとに絵入りで解説した丁寧さ。


江戸時代、商人になる子どもにとってそろばんは必須でした(『稚六芸』「書数」歌川国貞 画)
そろばんは商人になる子どもにとって必要不可欠(『稚六芸(おさなりくげい)』「書数(しょすう)」歌川国貞 画)

豆腐、豆腐、また豆腐、豆腐づくしの豆腐レシピ本



<17作目>

『豆腐百珍』(曽谷学川 作(伝))
『豆腐百珍』(1782年)
曽谷学川(そだにがくせん) 作(伝)


100種類の豆腐料理を紹介した豆腐レシピ本。『豆腐百珍続編』『豆腐百珍余録』などの続編も出版されるベストセラーとなりました。


ここがヒットのポイント!
豆腐料理100種類を「尋常品」「通品」「佳品」「奇品」「妙品」「絶品」の6段階に分類・評価した遊び心と、豆腐の歴史やうんちくなども盛り込んだ“作って楽しい、読んで楽しい”構成が絶妙。


女性たちが豆腐田楽を調理中(『豆腐田楽を作る美人』歌川豊国 画)
女性たちが豆腐田楽を調理中(『豆腐田楽を作る美人』歌川豊国 画)
また、『甘藷(サツマイモのこと)百珍』『蒟蒻(こんにゃく)百珍』などいわゆる「百珍ブーム」の火付け役に。いろんな食材で100種類もレシピを考えつく江戸人、まじハンパない。また、現代でも『豆腐百珍』を再現したレシピや現代版にアレンジしたレシピなども出されるなど本書の影響力は健在。

超有名料亭の主人が綴るお土産としても大人気となったロングセラー



<18作目>

『江戸流行料理通』(八百善 著)
『江戸流行料理通』(1822年)
八百善 著



~あらすじ~
江戸を代表する超有名料亭「八百善」の四代目主人が著者となり、「八百善」の料亭料理を丸ごと解説した料理本。著者が長崎や上方で学んだ卓袱(しっぽく)料理などについても書かれる。


料亭「八百善」といえば江戸を代表する超有名・超高級料亭で、超厳選素材を集めに集めてお客に出した1両2分の「極上お茶漬け」のエピソードでもよく知られます。

その八百善の四代目主人・栗山善四郎が書き残したのがこちらの本。八百善で出される料理の具体的レシピや調理器具の使い方、心構えなどが惜しみなく書かれています。

さらに一流の趣味人でもあった栗山善四郎は、当時の文化人たちとも交流があり、絵師・酒井抱一や食通の陶芸家・蜀山人ら豪華ゲストが参加しているのも見どころとなっています。

本はかさばらないし痛んだりもしないのでお土産としても人気があったそうで、八百善の名を全国区にする宣伝効果も絶大だったそう。


ここがヒットのポイント!
庶民が足を踏み入れることのできない高級料亭の全てがわかる!

犬は人間の子どもと同じと心得よ! これぞ江戸版『いぬのきもち』



<19作目>

『犬狗養畜伝』(暁鐘成 作)
『犬狗養畜伝(けんくようちくでん)』(1842年)
暁鐘成(あかつきかねなり) 作

画像引用元:西尾市岩瀬文庫
泰平の世を謳歌していた江戸時代後期、現代のようにペットブームがあり、猫や鳥、金魚、虫・・・・・・さまざまな生き物がペットとして人気を集めました。現在、猫と人気を二分する犬も江戸時代から人気ペットの筆頭でした。

ペットブームのなか、ペットの飼育書も多数出版されましたが、意外なことに犬の飼育書はこの『犬狗養畜伝』ただひとつ、といわれています。

作者の犬への愛情にあふれる本書には、飼い主の犬に対する心構えが随所に書かれています。「犬は人間の子どもと同じ。飼いにくくなったからといって山野に捨てたら可哀想だよ」

ペットを飼うことはひとつの命に責任を持つこと。時代は変われど飼い主の心得は変わらないようです。


ここがヒットのポイント!
エサのつくり方、適切なエサの与え方といった基本的な飼育法のほか、病気や寄生虫、ケガの治療法などが可愛らしい犬のイラスト入りでわかりやすく書かれているところ。愛犬家、必携の一冊。


遊女が犬を散歩中(花房重信 画)
遊女が犬を散歩中(花房重信 画)

ワールドワイドな歴史的ロングセラー



<20作目>

『北斎漫画』(葛飾北斎 画)
『北斎漫画』(1814~78年)
葛飾北斎


江戸時代が生んだ天才絵師・葛飾北斎が、絵手本として出したスケッチ画集。北斎が55歳の時に初編が出版、90歳で北斎が亡くなり時代が江戸から明治に変わったあとも出版され続け、なんと初編出版から65年後にようやく完結したという超ロングセラーになりました。全15編の『北斎漫画』には、人物や動植物、風景、風俗、はたまた妖怪変化まで森羅万象を描いたおよそ4000以上ものスケッチが掲載されています。


ここがヒットのポイント!
天才・北斎の卓越した超絶デッサン力で描かれたイラストがすべて。繊細なタッチあり、ユーモラスなものあり、なんでもあり。北斎の魅力がギッシリ。


江戸時代の太った人の生態(『北斎漫画』 葛飾北斎 画)
太った人の生態を描いたもの。コロコロしていて癒し系ポッチャリです
今見ても新鮮さを感じる北斎のイラストは国内だけでなく海外でも大好評、江戸時代後期にヨーロッパへ渡ると、モネやゴッホらに大きな影響を与えたそうです。
ちなみに、『北斎漫画』には元ネタがありました。それが『北斎漫画』初編出版の20年前に出された北尾政美(鍬形蕙斎)の『略画式』です。「北斎ってマネばっかりする(怒)」と北尾政美はご立腹だったとも。

ちなみに、北斎については記事『【これが88歳の作品!?】葛飾北斎が老いてから描いた画が強烈すぎる【波の画だけじゃない】』で特集していますので、あわせてどうぞ!

75年間、毎年出版された川柳のバイブル



<21作目>

『誹風 柳多留』(柄井川柳 編纂 ほか)
『誹風 柳多留(はいふうやなぎだる)』(1765~1840年)
柄井川柳(からいせんりゅう) 編纂 ほか


五・七・五からなる「川柳」という新文芸を生んだ川柳の句集。江戸時代中期から幕末までなんと75年間毎年出版され、全167編にもなりました。掲載されている川柳のなかには耳にしたことのあるものもチラホラ。ちょっとご紹介。


「孝行の したい時分に 親はなし」
「役人の 子はにぎにぎを 能覚(よくおぼえ)」
「子が出来て 川の字形りに 寝る夫婦」


川柳には人々の風俗や常識、気持ちが反映されているので、江戸時代を知るための貴重な資料にもなっています。


ここがヒットのポイント!
句の評者や序文を絵師・葛飾北斎、『東海道中膝栗毛』の作者・十返舎一九らといった当代一流の文化人が担当。

フェミニスト激怒!?女性の「あるべし」を説いた教育本シリーズ



<22作目>

『女大学』は江戸時代における女子用の教科書の総称
『女大学』(江戸時代中期~後期)

『女大学』は江戸時代中期から後期にかけて出版された女子用の教科書の総称です。1716年(享保元年)に出された『女大学宝箱』だけでも明治初年まで版を重ねるロングセラーとなりました。


ここがヒットのポイント!
将来、結婚して幸せになるためにはこんな女性になるべき!を説いたため、女の子を教える寺子屋で教科書として重宝


男女平等が当たり前の現代人から見たらビックリするような内容のオンパレード。たとえば――


「妻は夫を主君として仕えよ」
「子どものできない嫁、舅・姑に従順でない嫁は離縁すべき」
「妻は夫に嫉妬心を抱くな」
などなど。


特に離縁すべき女性の7条件を説いた「七去(しちきょ)の法」は悪名高いことで有名。嫉妬深くてもおしゃべり好きすぎても離婚の原因になるというから恐ろしい。

なかでも不妊=離婚という教えですが、ちゃんと但し書きがあって「子どもができなくても心根のすばらしい女性なら離婚せず養子を取ればいいじゃない」とフォロー(?)があります。

江戸時代の酒をあおる女性(『教訓親の目鑑』「ばくれん」喜多川歌麿 画)
二の腕もあらわにカニをわしづかみして酒をあおる女性。これは即離婚案件でしょう(『教訓親の目鑑』「ばくれん」喜多川歌麿 画)
典型的な男尊女卑思想を説いた『女大学』シリーズですが、「女性は見た目より中身が大事」とか「他人の悪口は家庭崩壊のもと」とかなかなかイイこともいってます。

また、あくまで“こうあるべし”を説いた教科書なので、江戸時代の女性がすべてこの教えを強制されたわけではなかったようです。ちなみに、明治の教育者・福沢諭吉は『女大学』を「古い女子教育の象徴」と批判し、『新女大学』というものを著したりしています。

3代にわたって完成させた江戸ガイドブックの白眉



<23作目>

『江戸名所図会』(斎藤長秋・莞斎・月岑 作/長谷川雪旦 画)
『江戸名所図会(えどめいしょずえ)』(1834年・1836年)
斎藤長秋・莞斎・月岑 作/長谷川雪旦 画


江戸の名所・旧跡や景勝地などを由緒や来歴とともに紹介した大ヒットガイドブック。


ここがヒットのポイント!
挿絵を担当した長谷川雪旦の俯瞰図を用いた江戸の景色がとにかくすばらしい!読んでいるだけで、江戸観光気分を味わえる。


長谷川雪旦の俯瞰図を用いた挿絵はすばらしく、大評判を呼びました。これ出版にこぎつけるまでがなかなかドラマティック。

最初に『江戸名所図会』の構想を練り出版を企画したのは、神田の町名主・斎藤長秋。出版許可も得て、さぁいよいよ出版に向け本格始動!という時に長秋は急死…。

あとを婿養子の莞斎が継ぎ、追加取材を行い、挿絵も長谷川雪旦に依頼、作品はほぼ完成し今度こそ出版!という時にまたしても不幸が。莞斎も急死したのです。

祖父、父の想いを受け完成を託された月岑は、ついに1834年(天保5年)に前半3巻10冊を1836年(天保7年)に後半4巻10冊を出版しました。よかった。

『江戸名所図会』は当時の江戸を知る一級資料として今も大活躍です。

挿絵なし!オール漢文で書かれた江戸の風俗(ただし発禁)



<24作目>

『江戸繁昌記』(寺門静軒 著)
『江戸繁昌記』(1831年)
寺門静軒(せいけん) 著

江戸の儒学者・寺門静軒による江戸の地誌。爛熟期を迎えていた江戸時代後期の市中のようすを、相撲や吉原などの項目に分けて紹介するスタイルなのですが、特徴は漢文で書かれていること。しかし堅苦しいものではなく、わかりやすい漢文体。

同書をきっかけに「繁昌記もの」というジャンルが江戸時代後期に流行するのですが、『江戸繁昌記』は著者による批判的なまなざしが「天保の改革」にひっかかり、風俗を乱す!という定番のイチャモンにより発禁処分となりました。


ここがヒットのポイント!
漢文だけどわかりやすい。単なる江戸の町紹介に終わらない。


江戸みやげにもなった武家名鑑



<25作目>

『武鑑』は江戸みやげにもなった武家名鑑
『武鑑』

ちょっと変わり種のベストセラーがこの『武鑑』シリーズ。これは、諸大名や幕府役人の氏名、家紋、石高、給料、家系などを掲載した武家名鑑で、1年毎に出版され情報が更新されました。

野球の選手名鑑のサムライ版といったところでしょうか。体裁に決まりはなく、1,000ページ以上のものから持ち歩きに便利はポケット版までいろいろなタイプがありました。インターネットでサクッと検索、ができない時代。この手の名鑑は広く重宝されました。


ここがヒットのポイント!
武家と取引のある町人にとっては必須の実用書。江戸へ来た地方の武士や観光客にとっては、江戸見物のガイドブックにも江戸みやげにもなった。


最後も江戸観光に必携の超ロングセラー。

不夜城・吉原遊郭のパーフェクトガイド



<26作目>

『吉原細見』は吉原遊郭のガイド
『吉原細見(よしわらさいけん)』(江戸時代中期~明治初年)

『武鑑』が武家名鑑なら、こちらは遊女名鑑。
江戸時代中期の享保頃(18世紀)からたくさんつくられるようになり、なんと明治初年まで約160年以上にもわたり毎年1~2回刊行され続けました明治には写真入りの細見もあったとか。『吉原細見』は吉原のなかで「細見売り」が売っており、吉原で遊ぶ人にとってはなくてはならないガイドブックでした。


ここがヒットのポイント!
各妓楼の遊女の名前はもちろん、遊女のランク、料金、茶屋、船宿、太鼓持ちの男芸者や三味線を弾く女芸者などなど、吉原のことならなんでもわかっちゃうパーフェクトガイド。


遊女たちが座る張見世(はりみせ)をお客たちがのぞく(『青楼年中行事』より/喜多川歌麿 画)
遊女たちが座る張見世(はりみせ)をお客たちがのぞく。『吉原細見』を片手に遊女を品定めしたのでしょうか(『青楼年中行事』より/喜多川歌麿 画)
結構、今でも知っているタイトルがたくさんあったんではないでしょうか? 現代語訳されている作品も多いので、ご興味のある方はぜひ!

江戸ブログの記事をYouTubeに引っ越しました!チャンネル登録をお願いします!

パンツを着用しない時代、女性の下着はどんなもの?

銀ブラをする昭和の女性1963年(昭和38年)昭和の女性が、洋装で銀ブラ。和装から洋装への大転換は日本文化にとって大事件でした。[fluct device=PC num=0][fluct device=SP num=0]さて江戸時代、男性の下着は安定のふんどしですね。女性たちは下着としてどのようなものを使用していたかといいますと、それがこれ。『水鶏にだまされて』石川豊信 画(『水鶏にだまされて』石川豊信 画)「湯文字(ゆもじ)」と呼ばれる四角い布です。今でいう「腰巻(こしまき)」。ヒモがついており、巻きスカートのように腰に巻きつけて使用しました。長さは膝より少し下くらいまで。うっかり裾がペラリと開くと陰部が見えてしまうので、そんなことがないよう下着の4ヵ所にはおもりが入っていたとか。素材は木綿で、色は白もしくは緋色。年配女性は浅黄(あさぎ)色が多かったそうです。さらに、湯文字の上に「蹴出(けだし)」というものを着用しました。「裾よけ」ともいいます。これは今でいう「ペチコート」で、歩く際に湯文字がチラ見えするのを防いだり、着物の裾さばきをよくするために使用されました。長さは湯文字より長く、足首までありました。湯文字と異なり蹴出は「見せ下着」、むしろ見られることを意識した下着のため華やかな柄の布が使われ、女性の足元をより色っぽく見せるのに一役買っていました。『浮世名異女図会(うきよめいしょずえ)』「江戸町芸者」歌川国貞 画(『浮世名異女図会(うきよめいしょずえ)』「江戸町芸者」歌川国貞 画)美しい芸者の足元を見ると緋色の蹴出がチラ見え。足の白さと赤い下着の組み合わせの色っぽさ。ちなみに農村部などでは湯文字を使用することもなく完全に「ノー下着」だったそうです。ですので、作業中に「よっこいしょ」と腰をかがめたりすると陰部が丸見えになる、というのは、農村によくあるのどかな風景でした。


江戸時代からナプキン派、タンポン派にわかれていた!?

パンツを着用しなかった時代。ふと頭に浮かぶ疑問は「江戸時代の女性たちは、生理のときどのように処理していたのか?」。現代にあるナプキンやタンポンといった便利な生理用品。ナプキンの原型ともいえる「アンネナプキン」が発売されたのは、わずか50年前、昭和38年(1961年)のことでした。お年寄りが生理のことを「アンネの日」というのはこれに由来しています。「アンネナプキン」発売の広告「アンネナプキン」発売の広告。キャッチフレーズ「40年間お待たせしました!」は、アメリカで使い捨てナプキンが発売されてそれに遅れること40年にしてついに発売、ということを意味しています。[fluct device=PC num=1][fluct device=SP num=1]さて、ナプキンなどがない江戸時代、女性は生理になると前垂れのあるふんどし状の布で押さえていたそうです。これは見た目が馬の顔に似ていることから「お馬」とも呼ばれていました。この「お馬」のなかに再生紙やボロ布を折りたたんだものを入れ、陰部にあてがってナプキンのようにして使用しました。布は洗って何度も使ったとか。また、再生紙や布を丸めて膣に詰め込んだりすることもあったそうです。今でいうタンポンみたいな感じですね。再生紙や布を使うのは都市部のこと。農村部では綿など柔らかな植物を陰部にあてがったり、膣に詰め込んだりしていたといわれています。また、生理期間中は血による“穢れ(けがれ)”を忌み、家族と接しないよう「月経小屋」と呼ばれる場所で生活したとか。ちなみに、これは確認しようがないので定かではありませんが、一説には、江戸時代の女性たちは現代女性に比べインナーマッスルが発達していたため、経血を膣内にためておいて用をたす際に排泄したとも。今風にいうと「経血コントロール」で、そのため簡易な生理用品でも大丈夫だったとか。そもそも経血の量そのものが少なかったという説もあります(諸説あります)。いかんせん生理に関する資料が少ないので確かなことはわかりませんが、現在のような生理用品がなくともなんとかなっていたことだけは確かです。