フェミニスト激怒!?女性の「あるべし」を説いた教育本シリーズ
<22作目>
『女大学』(江戸時代中期~後期)
『女大学』は江戸時代中期から後期にかけて出版された女子用の教科書の総称です。1716年(享保元年)に出された『女大学宝箱』だけでも明治初年まで版を重ねるロングセラーとなりました。
男女平等が当たり前の現代人から見たらビックリするような内容のオンパレード。たとえば――
「妻は夫を主君として仕えよ」
「子どものできない嫁、舅・姑に従順でない嫁は離縁すべき」
「妻は夫に嫉妬心を抱くな」
などなど。
「子どものできない嫁、舅・姑に従順でない嫁は離縁すべき」
「妻は夫に嫉妬心を抱くな」
などなど。
特に離縁すべき女性の7条件を説いた「七去(しちきょ)の法」は悪名高いことで有名。嫉妬深くてもおしゃべり好きすぎても離婚の原因になるというから恐ろしい。
なかでも不妊=離婚という教えですが、ちゃんと但し書きがあって「子どもができなくても心根のすばらしい女性なら離婚せず養子を取ればいいじゃない」とフォロー(?)があります。
典型的な男尊女卑思想を説いた『女大学』シリーズですが、「女性は見た目より中身が大事」とか「他人の悪口は家庭崩壊のもと」とかなかなかイイこともいってます。
また、あくまで“こうあるべし”を説いた教科書なので、江戸時代の女性がすべてこの教えを強制されたわけではなかったようです。ちなみに、明治の教育者・福沢諭吉は『女大学』を「古い女子教育の象徴」と批判し、『新女大学』というものを著したりしています。
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3代にわたって完成させた江戸ガイドブックの白眉
<23作目>
『江戸名所図会(えどめいしょずえ)』(1834年・1836年)
斎藤長秋・莞斎・月岑 作/長谷川雪旦 画
江戸の名所・旧跡や景勝地などを由緒や来歴とともに紹介した大ヒットガイドブック。
ここがヒットのポイント!
挿絵を担当した長谷川雪旦の俯瞰図を用いた江戸の景色がとにかくすばらしい!読んでいるだけで、江戸観光気分を味わえる。
挿絵を担当した長谷川雪旦の俯瞰図を用いた江戸の景色がとにかくすばらしい!読んでいるだけで、江戸観光気分を味わえる。
長谷川雪旦の俯瞰図を用いた挿絵はすばらしく、大評判を呼びました。これ出版にこぎつけるまでがなかなかドラマティック。
最初に『江戸名所図会』の構想を練り出版を企画したのは、神田の町名主・斎藤長秋。出版許可も得て、さぁいよいよ出版に向け本格始動!という時に長秋は急死…。
あとを婿養子の莞斎が継ぎ、追加取材を行い、挿絵も長谷川雪旦に依頼、作品はほぼ完成し今度こそ出版!という時にまたしても不幸が。莞斎も急死したのです。
祖父、父の想いを受け完成を託された月岑は、ついに1834年(天保5年)に前半3巻10冊を1836年(天保7年)に後半4巻10冊を出版しました。よかった。
『江戸名所図会』は当時の江戸を知る一級資料として今も大活躍です。
挿絵なし!オール漢文で書かれた江戸の風俗(ただし発禁)
<24作目>
『江戸繁昌記』(1831年)
寺門静軒(せいけん) 著
江戸の儒学者・寺門静軒による江戸の地誌。爛熟期を迎えていた江戸時代後期の市中のようすを、相撲や吉原などの項目に分けて紹介するスタイルなのですが、特徴は漢文で書かれていること。しかし堅苦しいものではなく、わかりやすい漢文体。
同書をきっかけに「繁昌記もの」というジャンルが江戸時代後期に流行するのですが、『江戸繁昌記』は著者による批判的なまなざしが「天保の改革」にひっかかり、風俗を乱す!という定番のイチャモンにより発禁処分となりました。
ここがヒットのポイント!
漢文だけどわかりやすい。単なる江戸の町紹介に終わらない。
漢文だけどわかりやすい。単なる江戸の町紹介に終わらない。
江戸みやげにもなった武家名鑑
<25作目>
『武鑑』
ちょっと変わり種のベストセラーがこの『武鑑』シリーズ。これは、諸大名や幕府役人の氏名、家紋、石高、給料、家系などを掲載した武家名鑑で、1年毎に出版され情報が更新されました。
野球の選手名鑑のサムライ版といったところでしょうか。体裁に決まりはなく、1,000ページ以上のものから持ち歩きに便利はポケット版までいろいろなタイプがありました。インターネットでサクッと検索、ができない時代。この手の名鑑は広く重宝されました。
ここがヒットのポイント!
武家と取引のある町人にとっては必須の実用書。江戸へ来た地方の武士や観光客にとっては、江戸見物のガイドブックにも江戸みやげにもなった。
武家と取引のある町人にとっては必須の実用書。江戸へ来た地方の武士や観光客にとっては、江戸見物のガイドブックにも江戸みやげにもなった。
最後も江戸観光に必携の超ロングセラー。
不夜城・吉原遊郭のパーフェクトガイド
<26作目>
『吉原細見(よしわらさいけん)』(江戸時代中期~明治初年)
『武鑑』が武家名鑑なら、こちらは遊女名鑑。
江戸時代中期の享保頃(18世紀)からたくさんつくられるようになり、なんと明治初年まで約160年以上にもわたり毎年1~2回刊行され続けました。明治には写真入りの細見もあったとか。『吉原細見』は吉原のなかで「細見売り」が売っており、吉原で遊ぶ人にとってはなくてはならないガイドブックでした。
ここがヒットのポイント!
各妓楼の遊女の名前はもちろん、遊女のランク、料金、茶屋、船宿、太鼓持ちの男芸者や三味線を弾く女芸者などなど、吉原のことならなんでもわかっちゃうパーフェクトガイド。
各妓楼の遊女の名前はもちろん、遊女のランク、料金、茶屋、船宿、太鼓持ちの男芸者や三味線を弾く女芸者などなど、吉原のことならなんでもわかっちゃうパーフェクトガイド。
結構、今でも知っているタイトルがたくさんあったんではないでしょうか? 現代語訳されている作品も多いので、ご興味のある方はぜひ!