居酒屋にテーブルやイスがない !? 江戸時代の酒事情を大特集【お酒の種類や値段は?】

  • 更新日:2017年5月31日
  • 公開日:2017年5月19日

「京の着だおれ、大坂の食いだおれ、江戸の飲みだおれ」といわれるほど“呑んべえ”の街だった江戸。酒好きたちの憩いの場「居酒屋」が登場したのも江戸時代のこと。ということで、江戸っ子たちが愛した酒についてまとめてみました。

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盃を手にした若い女性(『教訓親の目鑑』より「酩酊」喜多川歌麿 画)
盃を手にした若い女性が、着物が乱れるのも気にならないほど酔っぱらってます(『教訓親の目鑑』より「酩酊」喜多川歌麿 画)

朝、昼、晩ーー1日に何度も酒を飲んだ江戸っ子たち


近年、日本酒の消費低迷が叫ばれ続けていますが、江戸時代はその真逆、特に江戸っ子は1日の節目節目に酒をひっかけていました

朝、仕事に出かける前に茶碗半分くらいの酒を軽くひっかけ(縁起担ぎらしい)、

昼には、昼食と一緒に軽く一杯、

仕事が終わり帰宅後、風呂屋へ行きさっぱりしたらまた一杯、

さらに寝る前にもちょっと一杯

という具合です。

一説に1日2合の酒を飲んでいた、なんて話も。

今なら仕事中に飲酒とかありえない! という感じですが、江戸っ子たちは仕事中にも普通に酒を飲んでいたようです。

江戸時代、居酒屋で酒を飲む人たち(『近世職人尽絵詞』部分 鍬形蕙斎 画)

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現代のタクシーにあたる駕籠(かご)を担ぐ駕籠かきや荷物を大八車で運ぶ車力たちも「景気づけだ!」とかなり酒を飲んで仕事をしていたそうです。今ならさしずめ飲酒運転ですが、事故とか起きなかったんでしょうか……。

ちなみに、未成年者の飲酒が法的に禁止されるようになったのは1922年(大正11年)のことで、江戸時代は年齢による飲酒制限はありませんでした。

火事と喧嘩は江戸の華」なんていわれますが、江戸っ子の喧嘩っ早さは気の短さに加え酒好きだったことにも原因がありそうです。

事実、酔っ払いによる喧嘩沙汰は日常茶飯事だったようで、「生類憐れみの令」でおなじみ五代将軍徳川綱吉などは自分があまり酒が好きじゃなかったこともあってか、「悪酔いした挙句に迷惑行為をする者があとを絶たないので、過度の飲酒を慎むように。他人に酒を強要するのもダメ」というようなお触れを出しています。

現代風にいえば、アルハラ(アルコール・ハラスメント)駄目!ということですね。


まぁ、ほとんど意味なかったみたいですが…。

徳川綱吉の肖像画
犬は好きだけど酒は好きじゃなかった綱吉公
幕府も酔っ払いによるトラブル対策を行っており、厳しい処罰も用意されていました。

たとえば、「酒狂(ひどい酔っ払い)により人を殺めたら死刑」「酒狂により人に傷害を与えたらかなりの額の治療費を払う」などなど。

それでも江戸時代を通じて飲酒が禁止されることはなかったので、酔っ払いを完全に取り締まることはできませんでした。

お上は酔っ払いに頭を痛めていましたが、当人たちは酔っ払いを楽しんでいました。

江戸っ子たちはランキングが大好きで、いろんなものをランク付けした「見立番付(みたてばんづけ)」という「なんでもランキング」が大流行したのですが、そのなかには「酔っ払いランキング」なんてものもありました。発想がくだらなオモシロイ。

酔っ払いのことを「ずぶ六」と呼んだそうですが、「酔っ払いランキング」では「ずぶ三」から「ずぶ十二」にまで酔っ払いレベルによって番付されています。

酔っ払いの生態を詠んだ川柳もたくさんあるのですが、それによるとーー

「づぶ三の 頃が酒盛り おもしろし」
ほろ酔いの「ずぶ三」くらいなら愉快な酔っ払いで宴会も楽しい
「づぶ六は 寝るがづぶ五は 手におへず」
すっかり酔いつぶれた「ずぶ六」は寝ちゃうけど、一番やっかいなのが「ずぶ五」で人にからんだりケンカしたり……
「づぶ十弐 それ雑巾よ 耳盥(みみだらい)」
「ずぶ十二」ともなると盛大にリバースしちゃってます

江戸っ子の酔っ払い観察眼はとてもユニークですね。

「笑い上戸」の職人、「泣き上戸」の芸者、「怒り上戸」の職人を描いた浮世絵(『流行三人生酔』)
「笑い上戸」の職人、「泣き上戸」の芸者、「怒り上戸」の職人を描いた浮世絵。こうした酔っ払いは今も昔もいたんですね(『流行三人生酔』)

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