江戸時代の居酒屋にはテーブルやイスがなかった


居酒屋が誕生した時期についてくわしいことはまだわかっていないのですが、だいたい江戸時代中期頃と考えられています。

その後、居酒屋は増え続け、庶民文化が花開いた江戸時代後期の文化年間(1804〜18年)には江戸市中だけでも1808軒もの居酒屋があったんだとか(食文化研究家・飯野亮一先生談)。

ちなみに「居酒屋」の読みですが、初期は「居酒(いざけ)」をさせていた酒屋の発展的営業形態ということで「いざけや」と読んでいましたが、やがて現代のように「いざかや」と呼ばれるようになりました。

居酒屋の別名として「縄のれん」なんてものもあります。

この別名の由来は居酒屋が看板として縄のれんを使っていたからなのですが、居酒屋の看板として縄のれんが使われるようになったのは江戸時代後期からで、縄のれん=居酒屋というイメージが定着するのは明治時代のことでした。

江戸時代の居酒屋の店先(『小幡怪異雨古沼』より)
居酒屋の店先では男性たちが酒を飲んでいます。画像右上、縄のれんの間から店員の男性がチラリ(『小幡怪異雨古沼』より)
なお、縄のれんより前に居酒屋が看板として使っていたのは、なんと生の魚や焼き魚、ゆでタコ、はたまた締めた鳥など。

つまり、酒の肴として提供する食材をショーケースのサンプルのように店頭に飾っていたんです。インパクトはありそうですがちょっと臭そうだ。

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さて、ではここらでちょっと江戸の居酒屋をバーチャル体験

江戸っ子気分で居酒屋でちょっと一杯飲んでみましょう。

現代の居酒屋はランチなんかもやっていたりして日が高いうちから営業する店も増えましたが、メインの時間帯はやっぱり日が暮れてからでしょう。

しかし、電気のない江戸時代、光量の乏しい照明器具では店内が薄暗いし、燃料代も高い。なので、江戸の居酒屋は早朝から店を開け、営業時間は明るいうちがメインでした。

その一方、吉原帰りの客などを当て込んだ「夜明し(よあかし)」というオールナイト営業の居酒屋もあったそうです。

「夜明し」というオールナイト営業の居酒屋(『七不思議葛飾譚』より)
ボンボリを灯した粗末なつくりの「夜明し」(『七不思議葛飾譚』より)
さぁ、店内に入りましょう。

居酒屋の店内に入ると小上がりの座敷や「床几(しょうぎ)」というベンチのようなものがあるのでそこに着席します。床几は店先に出てることもあります。

現代ではこじんまりした居酒屋から何百人も入ることができる大型店まで居酒屋の規模もさまざまですが、江戸時代の居酒屋はほとんどが数人入ればいっぱいになるほど狭かったようです。

店内を見てみると、あれ、時代劇の居酒屋ではよく見かけるテーブルやイスがない。

時代劇の居酒屋シーン
こんなシーン、よく見かけますよね。画像引用元:草香の時代劇 語り草
じつは、居酒屋にテーブルやイスが登場するのは明治時代になってからのことで、江戸時代の居酒屋ではイスに腰かけテーブルに酒肴をのせて飲食する、という風景はありませんでした。

また、空樽をイスがわりにしている居酒屋風景も時代劇や歴史マンガなどにはよく登場しますが、前述したように空樽はリサイクルできる“商品”だったため、空樽をイスがわりにすることはまずなかったようです。

テーブルがまだなかった江戸時代の居酒屋では、酒や肴をのせた盆を直接、座敷や床几にのせて飲食しました

こんな感じ。


江戸時代の居酒屋。盆を直接、座敷や床几にのせて飲食する様子
ベンチのような床几に腰かけた男性たちの間に肴を盛ったお皿をのせた盆が見えます(『小幡怪異雨古沼』より)
ほかに立ったままで飲む「立ち飲み」スタイルもよく見られたとか。

また、時代劇の居酒屋ではキュートな(もしくは色っぽい)女性の店員さんも必ず登場しますが、じつは江戸時代の居酒屋の店員は基本的に男性だけ。酔っ払いは暴れることもあるので、そのあたりにも理由があるのかもしれません。

さらに女性同伴で居酒屋へ行くこともあまりなかったようで、居酒屋の客といえば、棒手振り(ぼてふり)などのその日稼ぎの者や駕籠かきなどの肉体労働者、武家の奉公人といった男性がメインでした。

昨今「子連れのママ会@居酒屋」も珍しくありませんが、江戸時代の居酒屋には子どもどころか女性もあまり足を踏み入れなかったみたいですね。

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