江戸時代にも大食い大会があった! 当時の記録が命がけすぎる【画像あり】

  • 更新日:2017年8月27日
  • 公開日:2015年12月20日

まんじゅう、うなぎ、そばを食べまくる。酒や醤油を飲みまくる。200年前に実際にあった大食い大会の記録は、現代からみてもすさまじいものばかりです。

実録!超絶記録続出の大食い大会

泰平の時代を謳歌していた江戸時代。数々の大食い大会が開催され、そのすさまじい大会のようすや成績ランキングが出版されるとベストセラーになる、といったように大食い大会はブームといえるほど大人気でした。

で、数ある大会のなかでも特に有名なのが、1817年(文化14)の大食い&大酒飲み大会です。会場は、江戸は両国柳橋の有名料亭「万八楼」(まんぱちろう)。

江戸時代の大食い大会の会場 料亭「万八楼」
浮世絵にも描かれた料亭「万八楼」。大食い大会の会場としてだけでなく、文化人たちが作品展示即売会(書画会)の会場としてもよく利用していました。(『江戸高名会亭尽』「柳ばし夜景」歌川広重
この時の壮絶な大食いバトルの様子は、『南総里見八犬伝』でベストセラー作家となった曲亭馬琴らが編さんした珍談・奇談集『兎園小説(とえんしょうせつ)』や、“メモ魔”の幕臣・宮崎成身(せいしん)の雑記『視聴草(みききぐさ)』など多くの文献に記録が残されています。

大会の出場者は胃袋自慢の200人ほど。部門は、菓子の部、飯の部、蕎麦の部、うなぎの部、酒の部。出場者の身分は職人から農民、商人、武士とさまざまで、身分の上下関係なくただひたすら“胃ヂカラ”を競いました。

大食い大会の死闘を、江戸時代の絵師・榊原文翠(さかきばらぶんすい)が「大酒大喰会絵巻」という作品で伝えています。文翠の絵巻とともに部門別に振り返ってみましょう。

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読むだけで虫歯になりそう!?甘さ地獄の「菓子の部」

エントリーした選手が自分の好きなものを好きなだけ食べ、その量を競ったようです。行き過ぎた甘党たちの記録を見てみましょう。

江戸時代の大食い大会の様子(菓子の部)

ものすごい大きな鉢に、まさに「山」のようなまんじゅうが! 中央の人、ちょっと頭イタくなっています。ギブアップ寸前か?

丸屋勘右衛門さん(56歳/神田在住)の記録

まんじゅう×50個
ようかん×7棹
薄皮もち×30個
お茶×19杯

血糖値が振り切れそうです。お茶19杯も地味にすごい。

伊予屋清兵衛さん(65歳/八丁堀在住)の記録

まんじゅう×30個
うぐいすもち×80個
松風せんべい×30枚
たくあん×5本(丸かじり)

ポリデントいらずの歯の丈夫さ! といいますか、高齢の方がたくあん5本も丸かじりは危険すぎます。

佐野屋彦四郎さん(28歳/麹町在住)の記録

まんじゅう×50個
もち×100個

どんだけもちが好きなんだ、という話しです。

足立屋新八さん(45歳/丸山片町在住)の記録

今坂もち×30個
せんべい×200枚
梅干×2升
お茶×17杯

せんべい200枚も食べたら口のなかズタズタになりそうですが大丈夫だったのでしょうか? いや、その前に梅干の量がおかしい。

亀屋佐吉さん(43歳/麻布在住)の記録

あま酒×50杯
菜漬×3把

おなかタップンタップンです。こうして見ますと、甘い→辛い(すっぱい)の甘辛スパイラルは古今を通じて大食い選手たちの鉄板テクニックのようですね。

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