江戸時代のトイレ。用を足す武士。
トイレの外では3人の家来が待っているが、めちゃくちゃ臭そうな顔で鼻をつまんでいます。これは長屋のトイレでしょうか。トイレのドアは下半分しかなく、ひと目で利用している人がいるかわかるようになっています。
面白いのはトイレの壁。
相合傘の落書きがあります。
この絵は約200年前ですが、人のやることというのは時代が変わっても同じなのですねぇ。(『北斎漫画』より/葛飾北斎 画)
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日本のトイレの歴史を振り返る
江戸時代のトイレの前に、まずは日本のトイレの歴史を見てみます。福井県にある4,000~6,000年前(縄文時代)の貝塚。この貝塚から、川に板を張り出した設備が発見されており、周辺からは化石になった排泄物がたくさん見つかったとか。縄文式トイレですね。
排泄したら、川にどんどん流します。
当時はトイレットペーパーはありませんので、おしりふきとして、陶器のかけらが使われていました。おしりがズタズタになりそうです。
ざっくり1,400年ぐらい前(飛鳥時代)になると、川トイレは変わらないのですが、建物の内部に引き込むスタイルになります。ちなみに、現在でもトイレのことを「厠(かわや)」と呼びますが、その語源は、川の上にかけ渡して排泄物を流す建物「川(河)屋」に由来するとか。
そして、ざっくり1,000年前ぐらい前(平安時代)になって、トイレに一大革命が起こります。
ポータブルトイレっぽい箱が登場します。
名は「樋箱(ひばこ)」。漆器製おまる。江戸時代までは長く活躍しました。
なんだか災害や外出時の万が一の備えと誤解されてしまいそうですが、普段使いのトイレです。このころのトイレは個室化されてないので、間仕切りされた部屋のすみっことかに箱を持っていき用を足すのが平安スタイル。
取っ手のようなものは「きぬかけ」と呼ばれるもので、こちらを背にしてこの「きぬかけ」に着物の裾をかけて用を足しました。ちなみに和式トイレの丸くなっている前方部分を「きんかくし」といいますが、これは「きぬかけ」がなまったものといわれています。樋箱は下部が引き出しになっており、排泄物が溜まると捨てました。
ただし、樋箱を利用していたのは上流階級の人々だけで、庶民は川などに垂れ流し状態だったとか。なお、当時はなにをトイレットペーパーとして使っていたかといいますと、
木の板です。
ウォシュレットに慣れた現代人にとっては、なんとも過酷な時代です。
平安時代末期の遺跡から出土した「籌木(ちゅうぎ/ちゅうぼく)」と呼ばれる細長い木の板。別名は「くそべら」で、その身も蓋もないネーミングに絶句します。籌木の使い方は想像してもらう通りです。一部の地域では江戸時代後期まで使用されていたともいわれています。
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