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『北斎漫画』の元ネタ


『略画式』(1795年)※蕙斎時代
なんだろう、この楽しそうな人たち。とりあえずおしりがプリプリすぎる。これらは、絵のお手本として北尾政美が描いた人物のスケッチ画です。それにしてもポーズが愉快。
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一方、江戸時代の絵のお手本集(絵手本)として有名なのが葛飾北斎による『北斎漫画』。

『北斎漫画』(葛飾北斎 画)
『北斎漫画』は国内だけでなく、マネなど印象派の画家にも大きな影響を与えたといわれています。さらに現代の「漫画」のルーツのひとつとも。すごい作品です。
ところで、先に紹介した絵と『北斎漫画』、なんだか似ていると思いませんか?北尾政美の絵手本『略画式』が出版されたのは『北斎漫画』の19年前、「絵のお手本集」というアイデアもじつは政美がオリジナルなのです。
そんな北尾政美はどんな人物かというと。
北尾政美(きたおまさよし)
1764年(明和元)に生まれ、13歳頃から浮世絵を始め、15歳で早くも本の挿絵を手がけ、以降人気絵師となる。のち、津山藩のお抱え絵師になるという破格の出世をし、名も「鍬形蕙斎(くわがたけいさい)」と改め数々の名作を生み出す。特に『略画式』は北斎をはじめ同時代の絵師に多大な影響を与えた。
1764年(明和元)に生まれ、13歳頃から浮世絵を始め、15歳で早くも本の挿絵を手がけ、以降人気絵師となる。のち、津山藩のお抱え絵師になるという破格の出世をし、名も「鍬形蕙斎(くわがたけいさい)」と改め数々の名作を生み出す。特に『略画式』は北斎をはじめ同時代の絵師に多大な影響を与えた。
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ちなみに、のちに『北斎漫画』が出版された時に、政美は「北斎ってとにかく人のマネばっかりで、なんでも自分が最初ってもんがない」(『武江年表補正略』「寛政年間記事」より意訳)とボヤいてるのが、ちょっと面白い。
では北斎も着想を得た『略画式』シリーズをご紹介します!
完全にマスコット






『鳥獣略画式』(1797年)※蕙斎時代
ゆるい。丸い。かわいい。
3拍子そろってます。とても200年前の作品と思えない。今でもマスコットとして十二分に通用しそうです。手をつないでつながっているサルとか、年賀状にマネしたいくらいです。
遊んでいるおっさんたちすら、なんだかかわいい


『人物略画式』(1799年)※蕙斎時代
楽しそうに遊ぶオジサンたちもどことなくかわいい。1枚目左上の人がやってるのは福笑い。首相撲している人もいますね。
ここら辺はわかりやすいのですが、自分の頭に紙をつけてそれを蹴ろうとする1枚目中央の人や、柱に頭からもたれかかる1枚目右下の人などは、もう、一体なにがしたいのやら…。気になります。
もう一丁、『人物略画式』より。
みんな丸い


『人物略画式』(1799年)※蕙斎時代
人がお団子みたいです。しかもムギュッと集まってる。完全にマンガ的表現。2枚目は大名行列を前後から見たもの。後ろからのアングルって珍しい。
ユニークな大名行列を同じく『人物略画式』から。
ミニチュアみたいな楽しさ

『人物略画式』(1799年)※蕙斎時代
この描き方は斬新すぎる。ちっこいのがみっしり並んでいます。なんだろう、このモブ感。こんなユニークでかわいらしい大名行列、見たことありません。
『人物略画式』からさらにビックリな1枚を。
なんか見たことあるぞ

『人物略画式』(1799年)※蕙斎時代
『人物略画式』の巻頭にある人体比率図です。なんかどっかで似たような絵を見たことありませんか? そう、これ。

レオナルド・ダ・ヴィンチの『ウィトルウィウス的人体図』
レオナルド・ダ・ヴィンチの『ウィトルウィウス的人体図』です。これは政美のものより300年ほど前の作品なのですが、そっくり。政美はどこかで似たようなものを見たのでしょうかね。それともこうした人体比率図は当時から結構知られていたんでしょうか?不思議。
どんどん『略画式』シリーズいってみましょう。
余分なものはいらない

『山水略画式』「三囲」(1800年)※蕙斎時代
隅田川の近く、三囲(みめぐり)を山水画風に描いた作品。三囲神社の鳥居が見えます。手前には隅田川の堤に係留された舟もありますね。それにしても、超シンプル。余白の美です。でも、寂しさよりむしろ懐かしさ、温かさを感じます。
花の美しさそのままに

『草花略画式』「ゆり」「あさがお」(1813年)※蕙斎時代
さきほどの風景画とはうってかわって華やかな作品。ゆりは力強く、あさがおはたおやかに。花それぞれの魅力があふれています。朝顔の青がとっても印象的です。
さらに、ゆるさナンバーワンの作品がずらりとそろった『蕙斎略画苑』(1808年)より。
癒し系の七福神

『蕙斎略画苑』にある七福神(1808年)
恵比寿さま、布袋さま、めっちゃいい笑顔。大黒さまは見方によってはなんだか泥棒みたいだ。毘沙門天の大杯をあおる姿を後ろのアングルから、というのがニクイです。弁天さまは……どれが弁天さま!?
いい湯だな~

『蕙斎略画苑』にある銭湯の様子(1808年)
男性客でにぎわう江戸時代の銭湯(湯屋)のようすですね。いや~、みなさん銭湯をエンジョイしているのが伝わってきます。かかとやムダ毛のお手入れをしている人、歌いながら洗っている人、いろんな人がいて見飽きません。手前のお客さんは番台に座る番頭(左下)に「おやじ、さっぱりしたぜ」とでも言っているみたい。
怖さゼロ、ゆる~い地獄絵図

『蕙斎略画苑』にある地獄絵図(1808年)
北尾政美のタッチによる脱力系地獄絵図。これを見せられて「悪いことすると地獄に落ちるぞ~」と脅されても効果なさそう。右上の血の池地獄に放り込まれた女性たちは、温泉にでもきたかのごとく談笑ムード。このゆるさ、200年前にあったんですねー。
「略画式の蕙斎」と言われてたのは伊達じゃありません。北斎のビシビシ五感を刺激するような作品もすばらしいですが、まったり楽しむなら『略画式』シリーズ、最高じゃないでしょうか。
前述しましたように、『略画式』シリーズは絵のお手本集です。そこで政美があえて筆を省略したのは、「描線に凝るのではなく略して描くことによって、対象物そのものの本質・精神を写すように描こう」としたためといわれています。単なる“ゆるカワ”ではなく、じつに深い。
ここからは『略画式』シリーズ以外も紹介。テーマはなんと諺(ことわざ)です。
水入れすぎぃい!


『諺画苑』(1808年)※蕙斎時代
いろんな諺がユーモラスなタッチで表現されています。注目は2枚目中央上の「寝耳に水」。どう見ても水入れすぎです。入れてる女性のシラっとした表情とやる気のない所作も面白い。1枚目中央下は「糠に釘」。何本やってもムダだよ!と誰か教えてあげてください。
ゆる~いだけが政美じゃない。お次はガラリと雰囲気を変えた作品です。
繊細にして美麗



『海舶来禽図彙(かいはくらいきんずい)』(1790~91年)
略したタッチとは正反対、濃密なほどに描き込まれた写実画です。同時代のほかの絵師の作品と比較しても、写実性、芸術性ともにぬきんでています。
花つながりでは、
まるで幽霊画のような

『雨中の牡丹』
打ち付けるような激しい風雨にしなる牡丹の花。激しさと同時に一抹のさみしさも感じられます。まるで雨のなかに出てきた幽霊のような……。あ、あの絵に似ているかも!

これ。『画図百鬼夜行』(鳥山石燕 画)の「姑獲鳥(うぶめ)」。なお、個人の感想ですのであしからず。
花つながりでこんどは明るく
なんだかファンタジー

『女風俗花宴』「六月」
お花もピンク、着物もピンクでとってもファンタジー。政美はあまり美人画を手がけていないそうなので、これは珍しい1枚。ちなみに、手前の女性が持っているのは如雨露(ジョウロ)。今のように水を入れる本体部分はなく、先っぽのほうだけがあり、桶などから水を入れて使いました。
美人つながりで
着物の透け感が色っぽさ抜群

『納涼美人図』
黒の紗の着物に透ける赤い襦袢(じゅばん)、そして透けるように白い肌。肉筆画ならではの、ため息ものの美しさです。
美しさならこちらも極上
春のうららに飲めや踊れや

『観桜図』
花見の宴を楽しむ人たちのにぎやかさと、清らかに咲く桜の静かに散る姿の対比がたまらないですね。
子どもを描くとこんな感じ
でっかく育ったね

『子供の祭ごっこ』
かわいいのか、かわいくないのか観る人によりそうですが、ひとつ言えるのはスクスク育ってよかった!太もものムチムチ具合は200年前も一緒。
想像上の生き物を描くとこんな感じ
うねる黒雲がカッコイイ

『八岐の大蛇(やまたのおろち)』
太い筆で描きなぐったような黒雲がインパクトある、ドラマティックな1枚です。雷鳴や風のうなる音が聞えてきそうです。
さて、政美の作品のうち忘れてならないのが風景画です。遠近法を大胆に取り入れたものや、独自の工夫により生み出したまるで鳥の目から見たような“超”俯瞰図など……。百聞は一見にしかず、さっそくどうぞ。
ここは日本か桃源郷か

『近江八景』「石山秋月」
描かれているのは滋賀県大津市にある石山寺(いしやまでら)。なのですが、なんだか日本の風景とは思われません。あわいピンクの雲のせいか、それとも上空にぽっかり浮かぶ月のせいか……とても幻想的な風景です。
ちなみに、『近江八景』は近江国(現・滋賀県)の8つの名勝をテーマにした作品で、多くの画家が同テーマで風景画を描いています。
たとえば、政美より30年ほど遅く生まれた風景画の名手・歌川広重が「石山秋月」を描くとこんな感じ。

『近江八景』「石山秋月」(歌川広重 画)
同じテーマで描いてもぜんぜん違います。おもしろいですね。
もう1枚、『近江八景』から。
音のないモノクロの世界

『近江八景』「比良暮雪(ひらのぼせつ)」
描かれているのは琵琶湖西岸に連なる比良山地。見事なまでの雪景色です。動いているのは中央の馬を連れた人がひとりだけ。とても静かな1枚です。
次は遠近法が効果的な風景画を。
この行列は長い(確信)

『浮絵 原吉原より見る富士の景』
向こうからやってくるのは琉球王国(現・沖縄)からの使節団と思われます。エキゾチックです。日本を代表する雄大なる富士と異国情緒あふれる行列とのミスマッチ感がふしぎな印象を与えます。なにより極端なまでの遠近法! 路傍で平伏しつつ行列に見とれる人々がまた極端に小さい! おもしろい絵ですね。
こちらは現在、意外なところで展示されている政美の代表作
スカイツリーからの眺めにそっくり!?

『江戸一目図屏風(えどひとめずびょうぶ)』(1809年)※蕙斎時代
江戸の町を一望した近世景観画の傑作です。それにしても、ヘリコプターもドローンもない時代にどうやってこの俯瞰からの景色を描いたのかふしぎでなりません。しかも、これ、スカイツリーからの眺望とそっくりということで、スカイツリーの展望台に『江戸一目図屏風』が展示されています。ご興味のある方はぜひ!
最後は、江戸市中の人々を生き生きと軽妙なタッチで描いた政美の傑作中の傑作『近世職人尽絵詞(きんせいしょくにんづくしえことば)』(1805年)をご紹介。これは、江戸に生きるさまざまな職業の人々を描いたもので、「寛政の改革」などを行った元老中・松平定信の依頼によってつくられました。
活気あふれる魚市

『近世職人尽絵詞』にある魚市の様子(1805年)
こちらは魚市のようすです。見るからに活気にあふれています。人もたくさん、江戸前の魚もたくさん。伊勢海老もあれば、アワビと思しきもの、タコやエイも見えます。
下のほうには魚の骨にかぶりつく野犬もいます。江戸市中の喧騒がまるで映像を見るように伝わってきて楽しいですね。
授業中の悪ふざけは今も昔も子どもの性(さが)

『近世職人尽絵詞』にある寺子屋の様子(1805年)
描かれているのは、子どもたちの学びの場「寺子屋」ですが、ほとんどの子どもが悪ふざけしてます。顔や手に墨を塗ったり、落書きしたり……。
注目は左上。

悪ふざけしすぎたのか先生から罰を受けている子が、片手に線香、反対の手には水の入った大きな茶碗を持たされています。「線香が燃え尽きるまで罰としてそのままだ!」と先生に怒られているわけです。右下の子の「あ〜あ」という顔にも笑ってしまいます。
武士もお忍びで買い食い中

『近世職人尽絵詞』にある屋台の様子(1805年)
江戸グルメといえば屋台。こちらは3つの屋台が描かれています。右にあるのは「四文屋」という1品4文(およそ80円)で買えるワンコイン総菜屋。串にさしたおでん、スルメ、こんにゃくなどが売られていたそう。右側のヒョロリとした男性客は指をなめてます。よほどおいしかったのでしょうか。
左の店は「天麩羅屋」。今では高級料理の天麩羅も江戸時代は手軽な屋台グルメでした。天麩羅屋の客をよく見ると、

二本差しの武士がいます。どうしても天ぷらを食べたかったのか、手ぬぐいで顔を隠してこっそり買い食いしているところがけなげ。飾らないリアルな姿が描かれているのが本作の特徴です。
江戸の市井に生きる絵師という顔と大名のお抱え絵師という顔、2つの顔を持ち、北斎に先立つユニークなアイデアでバラエティ豊かな作品を生み出し続けた北尾政美。絵と人に対する愛にあふれたその作品は今後、さらに注目を集めること間違いなしです。
もう一人のユルかわ絵師・浪花の奇才・耳鳥斎の作品もあわせてどうぞ。
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パンツを着用しない時代、女性の下着はどんなもの?
1963年(昭和38年)昭和の女性が、洋装で銀ブラ。和装から洋装への大転換は日本文化にとって大事件でした。[fluct device=PC num=0][fluct device=SP num=0]さて江戸時代、男性の下着は安定のふんどしですね。女性たちは下着としてどのようなものを使用していたかといいますと、それがこれ。
(『水鶏にだまされて』石川豊信 画)「湯文字(ゆもじ)」と呼ばれる四角い布です。今でいう「腰巻(こしまき)」。ヒモがついており、巻きスカートのように腰に巻きつけて使用しました。長さは膝より少し下くらいまで。うっかり裾がペラリと開くと陰部が見えてしまうので、そんなことがないよう下着の4ヵ所にはおもりが入っていたとか。素材は木綿で、色は白もしくは緋色。年配女性は浅黄(あさぎ)色が多かったそうです。さらに、湯文字の上に「蹴出(けだし)」というものを着用しました。「裾よけ」ともいいます。これは今でいう「ペチコート」で、歩く際に湯文字がチラ見えするのを防いだり、着物の裾さばきをよくするために使用されました。長さは湯文字より長く、足首までありました。湯文字と異なり蹴出は「見せ下着」、むしろ見られることを意識した下着のため華やかな柄の布が使われ、女性の足元をより色っぽく見せるのに一役買っていました。
(『浮世名異女図会(うきよめいしょずえ)』「江戸町芸者」歌川国貞 画)美しい芸者の足元を見ると緋色の蹴出がチラ見え。足の白さと赤い下着の組み合わせの色っぽさ。ちなみに農村部などでは湯文字を使用することもなく完全に「ノー下着」だったそうです。ですので、作業中に「よっこいしょ」と腰をかがめたりすると陰部が丸見えになる、というのは、農村によくあるのどかな風景でした。
江戸時代からナプキン派、タンポン派にわかれていた!?
パンツを着用しなかった時代。ふと頭に浮かぶ疑問は「江戸時代の女性たちは、生理のときどのように処理していたのか?」。現代にあるナプキンやタンポンといった便利な生理用品。ナプキンの原型ともいえる「アンネナプキン」が発売されたのは、わずか50年前、昭和38年(1961年)のことでした。お年寄りが生理のことを「アンネの日」というのはこれに由来しています。
「アンネナプキン」発売の広告。キャッチフレーズ「40年間お待たせしました!」は、アメリカで使い捨てナプキンが発売されてそれに遅れること40年にしてついに発売、ということを意味しています。[fluct device=PC num=1][fluct device=SP num=1]さて、ナプキンなどがない江戸時代、女性は生理になると前垂れのあるふんどし状の布で押さえていたそうです。これは見た目が馬の顔に似ていることから「お馬」とも呼ばれていました。この「お馬」のなかに再生紙やボロ布を折りたたんだものを入れ、陰部にあてがってナプキンのようにして使用しました。布は洗って何度も使ったとか。また、再生紙や布を丸めて膣に詰め込んだりすることもあったそうです。今でいうタンポンみたいな感じですね。再生紙や布を使うのは都市部のこと。農村部では綿など柔らかな植物を陰部にあてがったり、膣に詰め込んだりしていたといわれています。また、生理期間中は血による“穢れ(けがれ)”を忌み、家族と接しないよう「月経小屋」と呼ばれる場所で生活したとか。ちなみに、これは確認しようがないので定かではありませんが、一説には、江戸時代の女性たちは現代女性に比べインナーマッスルが発達していたため、経血を膣内にためておいて用をたす際に排泄したとも。今風にいうと「経血コントロール」で、そのため簡易な生理用品でも大丈夫だったとか。そもそも経血の量そのものが少なかったという説もあります(諸説あります)。いかんせん生理に関する資料が少ないので確かなことはわかりませんが、現在のような生理用品がなくともなんとかなっていたことだけは確かです。