【教科書には載らない】江戸時代に実際にあった珍事件・怪奇事件の数々【13の事件簿】

江戸を震撼させた連続放火の意外な犯人とは?トップセキュリティを誇った江戸城がたった二人の盗賊に侵入された?今回は、教科書には載らない江戸時代の怪奇事件、猟奇事件、珍事件を紹介します


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享保14年(1729年)の4月、ひとりの山伏が品川の鈴ヶ森刑場にて処刑されました。山伏は処刑されるまで一貫してこう主張していました。「私は8代将軍・吉宗の落胤である」

事件簿その1
“暴れん坊将軍”徳川吉宗に隠し子発覚!?

歌舞伎にもなった謎多き「天一坊事件」


歌舞伎にもなった「天一坊事件」(『徳川天一坊 尾上菊五郎』歌川豊周 画)
「天一坊事件」は歌舞伎にもなるなど人々の注目を集めました。(『徳川天一坊 尾上菊五郎』歌川豊周 画)
山伏が処刑された前年、幕府の役人に次のような問い合わせがありました。

「南品川宿のお寺にいる天一坊っていう山伏が、そのうち大名になるからって言って浪人をいっぱい集めていてなんか物騒。あと、その人、吉宗さまの子どもって言ってるよ。ちょっと調べてみて」

これには役人も度肝を抜かれます。すぐさまこの件は老中、さらには徳川吉宗本人の耳にも入りました。で、当の吉宗の反応はというと

「身に覚え?

う~ん……

あるかも」。

将軍になる前の紀州藩主時代の吉宗さま、なかなか奔放だったようです。こうなると本物のご落胤の可能性も出てくるわけで、慎重な調査が進められました。結果はといいますと――


「天一坊がご落胤というのは真っ赤なウソ


ただし、紀州の武家の子であることはたしかだったようです。では、なぜご落胤と称したのか?

その理由は、天一坊の亡き母が繰り返し語っていた「お前は高貴な血を引いている。“吉”の字を大切にしなさい」という言葉から、「本当の父親は吉宗に違いない」と思い込むようになったから。

天一坊は純粋に「自分は将軍の子である」と信じていたのかもしれませんが、浪人を集めることは大罪。処刑されてしまったというのは、なんだかちょっとかわいそうな気もしますね。もしかしたら本当に吉宗の隠し子だった可能性もなきにしもあらずですから。

ちなみに、この「天一坊事件」は“大岡越前”こと名奉行・大岡忠相(ただすけ)の裁判を集めた講談『大岡政談』で有名ですが、実際には大岡越前は事件にノータッチでした。

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江戸時代中期、ある驚きの詐欺が横行します。犯人はいずれ劣らぬ美女ばかり。なのに、その詐欺手口からついた名前は、なんと「小便組」。

事件簿その2
仰天の手口で大金を騙し取る美女たち

江戸を席巻した「小便組」という詐欺


喜多川歌麿による春画
いつの時代も男性は美女に弱いもの?(喜多川歌麿 画)
江戸時代、妾(めかけ)、今でいうところの愛人は一種の職業であり、大名や大手の商家の主には妾がいることも珍しくありませんでした。


そこに目をつけたのが「小便組」。


まず、妾を所望するお金持ちに美女を紹介します。話がまとまると前金として大金を支払わせ契約完了。妾となった美女は男性に貢がせるだけ貢がせると頃合を見計らって別れを切り出させます。

そのやり方がすごい。一緒に寝ている時に毎晩のように寝小便をするのです。

もちろん“わざと”。いくら美しい妾でもこれは勘弁してほしい。ただ、女は「わざとじゃない、病なの、ワタシ……」などと泣きながら言うものだから、男性も頭ごなしに叱ることができない。

で、結局、暇を出すことになるんですが、病気が原因なら契約違反だと言って返金請求もできず泣き寝入り

まんまと大金をせしめた美女は、次なるターゲットへ……というのが「小便組」による詐欺のやり口です。かなりユニークな詐欺ですが、手軽に大金が手に入るとあって「小便組」はたいそう流行してしまい、あちらこちらでお金持ちが寝小便被害にあったそう。

詐欺はいけませんが、最初にこのアイデアを考えたひとの才能は認めざるをえません。

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