• 更新日:2017年8月18日
  • 公開日:2016年6月14日




時は江戸時代中期の1737年(元文2)、舞台は、大坂の風呂屋。ある中年薩摩藩士による惨劇は、その凄惨さゆえに歌舞伎や人形浄瑠璃の演目となり大ヒットすることになりました。

事件簿その11
痴情のもつれか、はたまた……

薩摩藩士による遊女ら5人殺害事件


『踊形容外題づくし 江戸砂子慶曽我 五大力恋緘 第二番目三幕目 仲町粂本の場 笹野三五兵衛 げいしや小万 勝間源五兵衛』(歌川国貞 画)
事件をもとにした歌舞伎『五大力恋緘』は大ヒットし、上方歌舞伎の有名作となりました。(『踊形容外題づくし 江戸砂子慶曽我 五大力恋緘 第二番目三幕目 仲町粂本の場 笹野三五兵衛 げいしや小万 勝間源五兵衛』歌川国貞 画)
大坂の曽根崎新地にあった風呂屋「桜風呂」で働く髪洗女の菊野は春もひさぐ遊女。22歳の菊野に惚れこみなじみとなっていた客のひとりに、薩摩藩の大坂屋敷詰めの薩摩藩士・早田八右衛門(44歳)という男がいました。

事件が起きたのは1737年(元文2)の夏の夜明け前。店に来ていた早田八右衛門が、想いを寄せる菊野をはじめ店の主人夫婦、下女2人の計5人を惨殺したのです。

当時の供述調書によれば、菊野は首の皮1枚を残して一刀のもとに斬り伏せられていたとか。ほかの4人はメッタ刺し。殺された2人の下女はまだ17歳と12歳だったというから哀れです。巻き添えだったと思われます。

同時間帯に店の2階にいたほかの客によると、階下で何者かが聞きなれぬ訛(なまり)言葉で叫んでおり、尋常ならざる物音がしたそうです。

早田を凶行にかりたてたものはなにか?その動機ですが、痴情のもつれとも精神錯乱だと、酒席でのイザコザとも伝えられていますが、定かではありません。

現代でこんな事件が起きたら連日ニュースで取り上げられそうですが、当時もかなり衝撃的だったようで、事件後、人形浄瑠璃『置土産今織上布(おきみやげいまおりじょうふ)』をはじめ、人形浄瑠璃『国言詢音頭(くにことばくどきおんど)』、歌舞伎『五人切五十年廻(ごにんぎりごじゅうねんかい)』『薩摩節五人切子(さつまぶしごにんきりこ)』『五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)』などに劇化されました。

殺害シーンは詳細な供述が残されているので、かなり凄惨な演出がされ、それが怖いもの見たさの観客に大ウケしたそうです。

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艶やかな黒髪は江戸時代の美人の必須条件。そんな“女の命”ともいえる髪の毛を無残にも切り落とす珍事件が多発。はたして犯人の正体は?

事件簿その12
犯人は人間か……それとも妖怪!?

女性の髪を切り落とす珍事件


江戸時代の妖怪絵巻『百怪図巻』に描かれた「かみきり」(佐脇嵩之 画)
江戸時代の妖怪絵巻『百怪図巻』に描かれた「かみきり」(佐脇嵩之 画)。くちばしのような口とバルタン星人のような両手を持ち、傍には切り落とした黒髪が
本人が気づかないうちに髪の毛をバッサリ切り落とされる……。そんな奇妙で恐ろしい事件が江戸時代には結構あったそうです。

古いところでは元禄時代(1688~1704)のはじめ頃、伊勢国の松阪(現・三重県松阪市)にて夜道を歩く男女の髪が元結(もとゆい)からバッサリ切られるという珍事件が多発したそう(説話集『諸国里人談』より)。

当時の夜道ですから今とは比べものにならない真っ暗闇だったとは思いますが、それにしても本人が気づかないというのが不思議です。

江戸時代を代表する文人・大田南畝(なんぼ)も随筆『半月閑話』で髪切り事件の流行について記しています。ほかにも髪切り事件について記録した随筆がたくさんあるので、長期間にわたって同様の事件が起きていたと思われます。

さて、このなんとも奇妙な事件、一体、誰がなんのためにやっているのか?

髪切り犯として人間が逮捕されたこともありましたが、「かつら」の素材を求めたかつら屋の犯行とも、愉快犯だったともいわれます。

しかし、“正体不明”という記録も多く、犯人の正体についてはキツネだとも、「髪切虫」という虫だとも、はたまた妖怪「かみきり」だとも……。命まで取られることはなかったにしても、女性にとっては非常に恐ろしい事件でした。

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