この世で結ばれないのなら、せめてあの世で――。相思相愛の男女がワケあって結ばれず、永久の愛を誓って共に自ら命を絶つ「心中」。数ある心中事件のなかには、遊女との愛に狂い4,000石を棒に振った旗本もいました。
事件簿その7
4,000石をとるか、遊女との愛をとるか
旗本・藤原外記と遊女・綾絹、心中事件
江戸時代後期、藤枝外記(げき/本名は教行)という4,000石の大身旗本がいました。
19歳の妻との間に3男1女をもうけ、幸せそのものに見えました。しかし、外記は吉原の遊女・綾絹(綾衣、琴浦とも)といつしか深く愛し合うように……。
ある時、外記は、綾絹が金持ちの商人に身請けされるという話を耳にします。愛する綾絹がほかの男の手に渡ってしまうなんて耐えられない――。切羽詰った外記は、どういう手段をつかったのか脱走不可能な吉原から綾絹をひそかに連れ出すと、手に手を取って逃走しました。
しかし、すぐ追っ手に見つかり、絶望した2人は心中という道を選びました。外記27歳、綾絹19歳。
藤枝家では当初、外記の死を隠そうとしましたがあっけなくバレて、家は改易、4,000石は没収されてしまったのですから、残された若い奥さんや子どもたちは悲惨です。ですが、この心中事件は江戸でも大きな話題となり、“悲恋”としてもてはやされました。
「君と寝ようか 五千石取ろか なんの五千石 君と寝よ」
なんて端唄が流行したほどです。ちなみに、この心中事件はのちに岡本綺堂が『箕輪心中』という小説にし、歌舞伎化もされたことで、後世に語り継がれるようになります。
スポンサーリンク
江戸時代に爆発的に数を増やし、庶民の生活に密着した存在だった質屋。ちょっとお金が必要になったり、不要なものを質に入れたり……。そんな誰もが利用する質屋を舞台に恐ろしい事件が起こりました。
事件簿その8
武士が百両のカタに持ってきたものに仰天!
生首持参で恐喝未遂事件
これも江戸時代末期の事件や噂話を集めた『藤岡屋日記』に書かれた話。
時は幕末、1855年(安政2)の春。時刻は夜も更けた午後8時頃のこと。江戸は浅草、花川戸の榊屋という質屋にひとりの男がやってきました。身なりは脇差だけではあったが刀を差していることからどうやら武士らしい。
質屋に入った男は応対に出てきた番頭にこう言いました。「百両の金を貸してくれ。質草はここに持参しておる」
そして、持っていた風呂敷包みをほどいたのですが……出てきたものを見た瞬間、質屋の番頭は腰を抜かします。
なんと、男が質草に持ってきたのは真っ赤な血がドクドクと流れ出る女の生首だったのです。
これは怖い、怖すぎる。しかし、この番頭、しっかり者だったようで、冷静さを取り戻すと「かしこまりました。ただ、大金なのでご用意するまでちょっとお待ちください」と言い残し、店の奥へ引っ込みました。
そして、不審な武士を取り押さえるため身支度を整え、六尺棒を手に取ると、店先で待っている武士に殴りかかったのです。不意をつかれた武士はアタフタ逃げ出そうとしましたが、逃がすまいと番頭は「火事だ!火事だ!」と大声で叫びました。
騒ぎを聞きつけ近所の人も集まってき、観念した武士はほうほうのていで逃走しました。
さて、武士が質草に置いていったあの生首。あとで調べてみると本物の生首ではなく、非常によくできたニセ生首だったそう。なかから血が流れ出す仕掛けまで施されていたというのだからたいしたもんです。それにしても、勇敢な番頭に比べ、これは武士が情けない。