将軍のトイレ、水戸黄門のトイレ
庶民のトイレ事情の次は、将軍さまのトイレ事情を見てみましょう。江戸城のトイレは「御用場」と呼ばれていました。
御三家のおトイレということで、木製トイレは漆塗り、床面は畳敷きと気品あふれる空間になっています。
下部は引き出せるようになっており、医者が健康状態をチェックできるようになっていました。
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江戸城の女の園・大奥にあった将軍専用トイレは豪華さも超一級。総檜づくりの4畳半で、前の2畳には女中が控え、後ろの2畳に便器がしつらえてありました。便器は平安時代から続く伝統的おまる「樋箱(ひばこ)」。
将軍がしゃがんで用を足している間、寒い冬は火鉢が置かれ、暑い夏は女中が扇子でやさしくあおぎ暑さと蚊から将軍のおしりを守りました。いわば冷暖房完備のトイレだったのです。
さらに、用を足したあとは下から女中がやわらかく揉んだ紙できれいに拭いてくれたというのですから、やはり庶民のトイレとは全然違いますねぇ。
そして、水戸黄門のトイレもすごい。
光圀が隠居後に暮らした西山荘の小便器を再現したもの。
「のし」の形をした小便器には、杉の葉が敷き詰められて、気になる音と匂いを消してくれました。さらにイヤな周辺への尿の飛び散りまでブロック。なんとも機能的なトイレでした。
参覲交代のトイレ事情
徳川幕府が全国の大名たちに課したのが「参覲交代」。江戸と国元を1年おきに行き来する参覲交代、大名をはじめその家臣やお供などものすごい人数で長距離移動したわけですが、新幹線や飛行機などなかった江戸時代には当然ながら徒歩での大移動となりました。
さて、ここで疑問。
「大名行列の途中でトイレに行きたくなったら大名はどうしたのか?」
その答えにはいくつか例があります。
例えば、携帯用トイレを使う。
大名行列に持参した携帯トイレは台形型のもので腰かけて使ったそう。現代の洋式トイレみたいですね。用を足す部分はひょうたん型の穴が開けられていたというから細部へのこだわりを感じます。
また例えば、街道沿いに設置された小屋を使う。
東海道などには2、3里(約8〜12㎞)ごとに小屋が設置されており、参覲交代の大名たちがトイレとして使ったそう。普段は一般の旅人も使ったようです。
ちなみにこの小屋を設置したのは近隣の農民たち。江戸時代に糞尿が大切な肥料となったことは先に紹介しましたが、旅人の糞尿も農民たちにとっては貴重な肥料。ましてや高貴な大名の栄養いっぱいな糞尿は超貴重な肥料だったのです。
また、街道に落とされた馬糞も農家の子どもたちが拾って肥料にしたといいます。
ほかにも、幕末に14代将軍・徳川家茂が幕府の艦船で移動した際には、船上に黒塗りの大きなおまるがいくつも持ち込まれ、用を足す際には周囲を屏風で囲い、使用後はおまるごと海へ投げ捨てたそう。現代なら大問題になりそうなダイナミック処理です。
最後に、日本のトイレの歴史を簡単にまとめておきます。
- 縄文時代(約4,000年前)
- スタイル:川
- 流し方:川にそのまま
- 拭き方:陶器のかけら
- 飛鳥時代(約1,400年前)
- スタイル:(上流階級)川を建物の中に
- 流し方:川にそのまま
- 拭き方:木片
- 平安時代(約1,000年前)
- スタイル:(上流階級)箱。おまる
- 流し方:溜まると捨てる
- 拭き方:木片
- 江戸時代(150〜400年前)
- スタイル:汲み取り式全盛。公衆トイレも登場
- 流し方:汲み取り。売れた
- 拭き方:古紙