着替えが1日5回!? 将軍の妻は入浴からトイレまで人にやってもらっていた

  • 更新日:2017年8月18日
  • 公開日:2016年3月29日

男子禁制で謎に包まれた『大奥』。明治時代になり、働いていた人の証言で少しずつ明らかになった大奥での生活。今回は将軍の妻の1日を時間割で紹介します。

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男子禁制の大奥ってどんなとこ?


しばしばドラマやマンガの舞台となる“男子禁制の女の園”大奥大奥とは、江戸城の本丸御殿のなかにあった、将軍の妻や子女、そこで働く女中たちが住む場所です。

大奥でのお花見(『千代田之大奥』「御花見」部分 揚洲周延 画)
大奥でのお花見。豪華な着物が目にも鮮やか(『千代田之大奥』「御花見」部分 揚洲周延 画)

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江戸城は、「本丸」「二の丸」「西の丸」という3つの御殿で構成されていました。大奥があったのはそのうちの「本丸」で、本丸のなかもさらに、中央政庁である「表(おもて)」と将軍が政務したりプライベートを過ごした「中奥(なかおく)」、そして「大奥」という3つのエリアに区別されていました。

江戸城御本丸御表御中奥御大奥総絵図
(江戸城御本丸御表御中奥御大奥総絵図)
これは万治2年(1659)に再建された時の本丸の平面図です。黄色の部分が「表」と「中奥」、ピンクの部分が「大奥」です。「表」と「中奥」に明確な境界はありませんでしたが、「大奥」は完全に別世界とされ、「中奥」とは「お鈴廊下」と呼ばれる2本の廊下でのみつながっていました

大奥は、将軍の正室である御台所(みだいどころ)を頂点に、上は大奥のすべてを取り仕切る「御年寄(おとしより)」から下は雑用全般をこなす「御末(おすえ)」まで厳格な上下関係がありました。1000人以上もの女性たちが大奥で働き、暮らしていました

大奥に奉公する女中の出世がテーマになった双六(『奥奉公出世双六』)
大奥に奉公する女中の出世がテーマになった双六。大奥女中は江戸時代の女性たちあこがれの職業でした(『奥奉公出世双六(おくぼうこうしゅっせすごろく)』)
さて、大奥の主である御台所。将軍の正妻である御台所は、天皇家や公家から迎えるのが3代将軍・家光以降、慣例となっていました。

例外的に、11代将軍・家斉の御台所・広大院と13代将軍・家定の御台所・天璋院(大河ドラマで有名になった篤姫)の2人は、どちらも島津家出身でしたが、一旦、公家の養女となるという手続きを踏んで、はれて“公家の娘”として江戸城に輿入れしました。

歴代の御台所が大集合(『徳川家累代御台所之図』揚洲周延 画)
大奥に奉公する女中の出世がテーマになった双六。大奥女中は江戸時代の女性たちあこがれの職業でした(『奥奉公出世双六(おくぼうこうしゅっせすごろく)』)

楽しみはファッションだけ? 御台所の1日


大奥で絶対的権力を誇り、側室や将軍生母らとバトルしていたイメージのある御台所ですが、彼女たちはどのような生活を送っていたのでしょうか?

2003年に放送されたドラマ『大奥』(フジ)
2003年に放送されたドラマ『大奥』(フジ)。大奥のイメージってこんな感じの方が多いのでは?
ちなみに大奥将軍の生活というのは江戸時代には他言無用の秘密の世界でした。大奥に勤める女中が家族に語ることすらタブーだったそうです。

明治時代になり、元女中が大奥での生活を語り出したり、資料が発見されるなどして、今ではだいぶ大奥での生活もわかってきましたが、まだまだ不明なところも多いといいます。

また、時代や御台所によって日々の生活もかなり差があるので、あくまで平均的な1日、ということでイメージしてください。

では、お目覚めからスタート! ※時間は目安

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