江戸時代の照明は豆電球くらいの明るさ!? 電気もなく庶民はどうやって夜を過ごした?

  • 更新日:2022年1月3日
  • 公開日:2016年2月21日

電気もガスもなかった江戸時代。庶民は灯りをともすために利用した意外なものとは?また、いまとは違う歌舞伎の芝居小屋における照明事情なども紹介。


蝋燭(ろうそく)誕生以前、照明の燃料にしていたのは?


『東都名所』「新吉原」(歌川国芳 画)
(『東都名所』「新吉原」歌川国芳 画)
電気やガスはもちろんランプもまだなかった江戸時代日が沈むと辺りは闇に包まれ、月光の明るさは今では想像できないほどでした。

日本における最初の灯りはこちら。

丸清版『隷書東海道五十三』「箱根 夜中松明とり」(歌川広重 画)
(丸清版『隷書東海道五十三』「箱根 夜中松明とり」歌川広重 画)夜の箱根山を越えようとする旅人。照明にしているのは松明です
松明やかがり火

江戸時代にも松明は使われていました。

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昔の照明といえば蝋燭(ろうそく)ですが、仏教伝来とともに日本にもたらされたといわれ、奈良・平安時代には宮中や寺院といった特別な場所で使われていました。当時はすべて輸入品で一般にはなじみがない代物です。

時代が下り、室町時代後期に蝋燭が国産されるようになりましたが、まだまだ広く普及するにはいたりませんでした。

そんな時代、燃料として人々が使ったのが植物や動物の油を利用した「灯油」でした。これ、「とうゆ」ではなく「ともしあぶら」と読みます。

どんな油を使ったかといいますと、

  • 胡麻油
  • えごま油
  • 菜種油
  • 綿実油

まずは植物系の油。

このあたりは今でも食用油としておなじみですが、現代人びっくりなのが動物系の油。たとえば、

鰯(いわし)
(いわし)。

たしかに脂たっぷり。
ほかには

鯨(くじら)
(くじら)。

鯨ベーコン、たしかに脂たっぷり。

ほかに秋刀魚(さんま)なども使われたとか。これら動物系油は「魚油(ぎょゆ)」といいます。

江戸時代に広まった菜種油はにおいも少なく明るいということで大評判だったのですが、いかんせん高かった。

たとえば江戸時代後期の文化期(1804~18)、菜種油1升(1.8ℓ)の値段は400文、現代の金額でおよそ8000円。米の値段の2~4倍ほどだったというから超高級品です。

利用できたのは武家や、遊郭をはじめとする接客業など一部の人々だけでした。ちなみに植物油は灯油以外に、調理や整髪などにも利用されました。

江戸時代の油売り(『北斎漫画』葛飾北斎 画)
(『北斎漫画』葛飾北斎 画)
江戸時代の油売り。客の求める量をひしゃくを使って容器に入れる量り売りでした

一方、魚油の値段は菜種油の半分ほどと安く、庶民はこちらを利用しました。ただ、大きなデメリットが2つ。

  1. 魚くさくなる
  2. 煤(すす)がたくさんでる

明るくするたびに魚臭くなるのは、ちとツライ。ですが、庶民にとっては貴重な燃料でたいせつに使いました。

余談ですが、ご家庭によくあるシーチキンの缶詰。シーチキンの油も魚油なので、缶詰に穴を開けて綿のヒモなどを灯芯(とうしん)にし、火をつければ即席ランプが完成します。警視庁オススメの災害時に使える裏技です。


明るさはイマイチだけど風情はバツグン、灯油を燃料にした室内照明いろいろ


灯油を燃料にした室内照明にはどのようなものがあったのか?まず代表格といえばこちら。

江戸時代の行灯(『浮世姿吉原大全』「名代の座舗」渓斎英泉 画)
(『浮世姿吉原大全』「名代の座舗」渓斎英泉 画)
行灯(あんどん)です。

時代劇浮世絵にもよく登場するアレ。なかに灯油(ともしあぶら)を注いだ小皿があり、これにイ草などから作った灯芯を浸し、火をつけて光源としました。風で火が消えないように和紙を貼った木枠で周囲が覆われているのが特徴です。

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ひとくちに行灯といっても種類は豊富。上の絵に描かれているのは、江戸で最もポピュラーだった角柱型の角行灯と呼ばれるもの。

一方、京や大坂など上方でポピュラーだったのが、

江戸時代の丸行灯(『座敷八景』「行灯の夕照」鈴木春信 画)
(『座敷八景』「行灯の夕照」鈴木春信 画)
円柱型の丸行灯です。描かれているのは丸行灯のなかでも、覆いの一部がスライド式になっている「遠州行灯(えんしゅうあんどん)」と呼ばれるもの。

絵のように手紙を読む時などは覆いを開けるなど、シーンによって光量が調整できるすぐれものでした。

吉原で使用された行灯は特殊です。こちら。

江戸時代の大行灯(『傾城買談客物語』式亭三馬 著)
(『傾城買談客物語』式亭三馬 著)
大行灯。ビッグサイズアンドン。

人より大きい。妓楼で働く男性が油を足しています。この大行灯は、吉原の遊女たちが居並ぶ張見世(はりみせ)のなかで使われました。こんな感じ。

『吉原格子先之図』(葛飾応為 画)
(『吉原格子先之図』葛飾応為 画)
画面中央あたりに明々と灯っているのが大行灯です。外の暗さに比べとても明るいのがわかりますね。ちなみに、この妖艶な絵を描いたのは、かの天才絵師葛飾北斎の娘、葛飾応為(おうい)です。

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行灯にはこうした置き型スタイルのもののほかに、天井から吊るすタイプのものもありました。

八間(天井から吊るす行灯)
画像引用元:クリナップ
八間(はちけん)。

なんだかおばあちゃんの家とかにある蛍光灯みたいな見た目ですね。八間は天井に吊るして使用し、部屋全体を明るくしてくれました。中心に見える小皿に灯油を入れ、灯芯に点火して光源としました。

『新吉原江戸町二丁目丁字屋の図』(鳥居清長 画)
(『新吉原江戸町二丁目丁字屋の図』鳥居清長 画)
これは吉原の丁字屋という高級妓楼の店内を描いたもの。天井を見ると八間が吊るされています(画面奥)。八間は、遊郭のほか料理屋や湯屋など人がたくさん集まる場所で利用されました。

ほかにも、名前も使い方も風情あるこんな行灯もありました。

有明行灯
画像引用元:一関市
有明行灯(ありあけあんどん)。

灯りを外に出して箱に乗せれば空間を広く照らし、箱のなかに灯りを入れれば小窓からやさしく光がもれ就寝時の照明になるという、驚きの2wayタイプになっているのです。

しかも箱に施された小窓は4面それぞれ満月、半月などと異なり、どの面を向けるかで光量の調整ができました。夜明け=有明まで枕元を照らした有明行灯は、便利さと風情の両方を兼ね備えた照明器具だったんです。

有明行灯と同じく、終夜灯として使われたものに瓦灯(がとう/かとう)があります。素焼きの照明器具で、瓦職人が瓦と同じ土で作っていたのでこの名がつきました。こちらも2wayタイプ。

瓦灯(灯りを外に出したバージョン)

こちらは灯りを外に出したバージョン。夜なべ仕事など作業時にオススメ。

瓦灯(灯りをなかに入れフタをしたバージョン)

こちらは灯りをなかに入れフタをしたバージョン。隙間からもれる光に癒されます。就寝時にはこうして使いました。

この瓦灯は、「安い」「便利」「素焼きだから火事の心配が少ない」と3拍子そろっていたので、江戸の庶民に重宝されました。

ちなみに、「あんどん」がなぜ「行く」「灯り」で「行灯」なのか?じつは、提灯(ちょうちん)が普及するまでは、行灯を外出用照明として持ち歩いていたのです。持ち歩くには大きさも重量もかなりあるので大変だったはず…。

さて、行灯以外に灯油を使った灯りをもうひとつ。「短檠(たんけい)」という室内用照明です。

短檠(明治時代に撮影)

これは明治時代に撮影された写真ですが、女性の横にあるのが短檠です。箱状の台座があり、短い支柱の上のほうに灯油の入った皿が置かれています。

白くて長い糸のようなものが灯芯です。箱状の台座は収納ボックスにもなっており、火打ち道具や油さしなどが収納されていました。夜の茶席などに使われたそう。

灯油を燃料にした照明器具の明るさですが、行灯は、豆電球ぐらいの明るさです。

現在の60w白熱電球の50分の1くらい。

暗い。
暗すぎる。

目が悪くなりそうですが、江戸時代の人々の生活スタイルは“早寝早起”が基本。燃料代を節約するためにも陽が沈んで暗くなったら早めに布団にもぐりました。現代人のように宵っ張りじゃなかったんですね。

ライターがない江戸時代の火の起こし方


蝋燭の登場についてご紹介する前に、江戸時代の火の起こし方について。

今はライターなどがありますが、江戸時代にはありません。古来、日本では火を起こす方法として次の2種類がありました。

  • 木などをすり合わせて摩擦熱で火をつくる「摩擦式」…
  • 石に金属を打ちつけた時に発生する火花を利用した「打撃発火式」

「摩擦式」は縄文時代の火起こし体験などで見る、木の棒をくるくる回転させるアレ。火が起きるまでかなり時間がかかりました。

「打撃発火式」はそれに比べれば早く火が起こせたので、江戸時代にはこちらが普及していたそうです。

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いざ火を起こそうとなった時に用意するのは、

火打石
画像引用元:法輪堂
火打石。瑪瑙(めのう)、石英、黒曜石など硬度の高い石が使われました。写真は瑪瑙です。

火打ち金
画像引用元:バーチャル・ミュージアム
火打ち金。火花を発生させるための鋼鉄製の金属片。「火打ち鎌」とも。

火口(ほくち)
画像引用元:火打ち石屋のホームページ
火口(ほくち)。火花を受け火種にするためのもので、綿やガマの穂など燃焼性の高いものが使われました。

江戸版マッチ
画像引用元:火打ち石屋のホームページ
附木(つけき)。木っ端に硫黄(いおう)などを塗ったもので、簡単にいうと江戸版マッチ。


火の起こし方は、

江戸時代の火のつけ方(1.火花を受けるため、火口を火打石に乗せる)
1.火花を受けるため、火口を火打石に乗せる。画像引用元:JT
江戸時代の火のつけ方(2.火打石を火打ち金に打ち付ける。カチカチ)
2.火打石を火打ち金に打ち付ける。カチカチ。画像引用元:JT
江戸時代の火のつけ方(3.火花が発生したら火口に移し、やさしく息を吹きかけながら火種をつくる)
3.火花が発生したら火口に移し、やさしく息を吹きかけながら火種をつくる。画像引用元:JT
江戸時代の火のつけ方(4.火種から附木に火を移し、あとは灯芯などに火をつける)
4.火種から附木に火を移し、あとは灯芯などに火をつける。画像引用元:JT
なんかとってもたいへんそうですが、だいたい30秒ほどで着火できたそうです。

ちなみに、時代劇などで「おまえさん、いってらっしゃい」と奥さんが旦那さんの背後で火打石をカチカチやっているシーンがよくありますが、あれは厄除けのおまじないの一種。「切り火」といいます。

火口を使わないので発火する心配はありません。今でも芸者さんや落語家、下町の大工さんなど伝統を重んじる職業の人々は、出かける前にカチカチやっているそうです。

江戸時代の照明事情を大変革させた蝋燭の誕生


話を灯りに戻します。灯油(ともしあぶら)を燃料にした行灯の明るさは豆電球ほどしかありませんでしたが、それに比べ圧倒的な明るさを誇ったのがこれ。

和蝋燭
画像引用元:瀬戸内Finder
和蝋燭(わろうそく)。

最初に述べましたように、蝋燭は室町時代以降、国産されるようになりましたが、製造に手間ひまがかかるためとっても高価。

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たとえば、1本の重さが100匁(もんめ/約375g)もある「百目蝋燭(ひゃくめろうそく)」は、行灯の10倍ともいわれる明るさを放ちましたが、燃焼時間は3時間半くらいで1本で200文(約8000円)とめちゃくちゃ高い。

江戸時代の蝋燭屋(『今様職人尽百人一首』より)
(『今様職人尽百人一首』より)
江戸時代の蝋燭屋。当時の蝋燭は漆や櫨(はぜ)の実から抽出した「木蝋(もくろう)」を原料にしました

当然ながら蝋燭を照明として使用できるのは、将軍大名、大寺院、高級料亭、吉原など遊郭、豪商の家といった特殊な場所に限られました。

江戸城の正月行事『謡初』(『千代田之御表』「御謡初」楊洲周延 画)
(『千代田之御表』「御謡初」楊洲周延 画)
これは江戸城で行われた「謡初(うたいぞめ)」という正月行事のようすです。

服を脱ぎ散らかしているように見えるのは、能楽の演者にご祝儀として諸大名が肩衣(かたぎぬ)を与えるというならわし。ちなみに、あとでお金を持っていって肩衣は返してもらったそうです。蝋燭が乱立しています。

さすが江戸城。これはかなり明るかったはず。

『心学早染艸(しんがくはやそめぐさ)』(山東京伝 著)
(『心学早染艸(しんがくはやそめぐさ)』山東京伝 著)
こちらは、男性が吉原の妓楼で遊ぶ様子。ちょっとわかりにくいですが、中央に蝋燭が立っています。蝋燭の明かりに照らされる美しい遊女たち。贅沢な遊びです。

時代が下り江戸時代中期以降になると、蝋燭の生産が多少増えたことや、蝋燭のリサイクルが進んだことにより、蝋燭は一般にも広く使われるようになっていきました。

この再生蝋燭、安い魚油などを混ぜてつくったので値段もお手頃で、庶民の蝋燭として重宝されました。

余談ですが、江戸時代に誕生した日本を代表する伝統芸能といえば、歌舞伎。

電気のなかった江戸時代歌舞伎の照明は基本的に自然光を利用したものでした。芝居小屋に明かり採りの窓があり、スタッフが必要に応じて開閉しました。そのため、興行も早朝から日没までと決まっていました

(『東都歌舞伎大芝居の図』葛飾北斎 画)
(『東都歌舞伎大芝居の図』葛飾北斎 画)
観客で大にぎわいの歌舞伎小屋

とはいえ、それほど明るくもなく、花道を歩く役者の顔がよく見えるようにと使われたのが「面明り(つらあかり)」というもの。長い柄の先に燭台がついていて、黒子がこれを持ち、蝋燭の灯りで役者の顔を照らしました。いわば蝋燭スポットライト。蝋燭はこんな使われ方もしていました。

便利なものからアイデア商品まで、提灯いろいろ


こうして蝋燭が普及するにつれ、行灯に代わって外出時の照明器具として台頭したのがこちら。

(『春夕美女の湯かゑ里』三代歌川国貞 画)
『春夕美女の湯かゑ里』(三代歌川国貞 画)
提灯です。

蝋燭を光源とする提灯は、行灯に比べて明るいうえ、灯油(ともしあぶら)のようにこぼれたりする心配もなし。

特に軽くて折りたたむとコンパクトになるという便利さは非常にウケ、使用目的によって形や大きさの異なる多種多様な提灯が誕生しました。

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ちなみに、上の絵で女性が持っているのはぶら下げて使うぶら提灯というものです。

『青楼十二時』「酉ノ刻」(喜多川歌麿 画)
(『青楼十二時』「酉ノ刻」喜多川歌麿 画)
こちらは箱提灯の一種で、吉原で遊女の送迎などに使用されたものは俗に太夫提灯と呼ばれました。大きい。

箱提灯はその名の通り、たたむと上蓋が下蓋にちょうどかぶさり丸い箱のようになります。有名な小田原提灯も箱提灯の一種で、安くて丈夫なことから旅の必須アイテムとして大ヒットしました。

『花のゑん日面売あきふど』部分(歌川国輝 画)
(『花のゑん日面売あきふど』部分 歌川国輝 画)
火消のかっこうをした男の子が持っているのは弓張提灯

細長くて持ち手がついているのが特徴。時代劇などで奉行所の捕り方が犯人を捕まえる時に「御用だ御用だ」と言って持っている「御用提灯(ごようぢょうちん)」もこのタイプです。

『江戸乃華』部分(歌川広重 画)
(『江戸乃華』部分 歌川広重 画)
これは旗本による消防組織「定火消(じょうびけし)」が火事の現場に出動しようとしているところ。長い竿の先に提灯がついた「高張提灯(たかばりぢょうちん)」がいくつも見えます。

高張提灯は最初、武家で使われていましたが、その後、火消や芝居子屋、遊郭などでも使われるようになり、現代ではお祭りや葬儀の時に登場します

『目黒行人坂火事絵』部分
(『目黒行人坂火事絵』部分)
馬で駆ける武士の腰に差さっているのは「馬上提灯(ばじょうぢょうちん)」。馬に乗る時に両手があくよう、提灯の柄を腰に差して使いました。

馬上提灯
画像引用元:pingmag.jp
柄に使われている鯨の骨は弾力があり、馬上で揺れても蝋燭の火が消えないようになっていたそう。アイデア商品です。

次はいわゆる提灯のイメージとちょっと異なるこちら。

『髪切りの奇談』(歌川芳藤 画)
(『髪切りの奇談』歌川芳藤 画)
龕灯(龕灯提灯)。

読み方は「がんどう」。懐中電灯のようなものを持っていますが、これも提灯の一種。

釣鐘形の枠の中に自由に回転できる蝋燭が取り付けられており、光が正面だけを照らすようになっていました。懐中電灯の元祖みたいなものです。

ちなみに、この絵に描かれている真っ黒なものは人の髪を切る「髪切り」という妖怪。ちょっとカワイイ。

『夜の梅』(鈴木春信 画)
(『夜の梅』鈴木春信 画)
提灯ではありませんが、この「手燭(てしょく)」も蝋燭を使った照明器具のひとつ。

蝋燭を立てる燭台に持ち手が付き、風で火が消えないよう周りが和紙で囲われています。蝋燭の灯りで夜桜を楽しむ美人、風流です。

このようにバラエティ豊かに進化した提灯は、光源を蝋燭から電気に代えながらもさまざまな使われ方で今に受け継がれています。

提灯製造所(明治時代中期に撮影)
明治時代中期に撮影された提灯製造所。大小さまざまな提灯が吊り下げられています

夜道を照らした街灯、そしてガス灯の登場


蝋燭の明かりは暗い夜道も照らしました。今でいう街灯の走りですね。

『東海道五十三次』「掛川」(歌川広重 画)
(『東海道五十三次』「掛川」歌川広重 画)
東海道五十三次のひとつ掛川宿を描いたもの。橋の手前に木製の常夜灯「木灯籠(きとうろう)」が2本見えます。信仰の地である秋葉山の入り口を示す灯りとして活躍したそうです。

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『名所江戸百景』「猿わか町よるの景」(歌川広重 画)
(『名所江戸百景』「猿わか町よるの景」歌川広重 画)
現代でいう東京都台東区浅草六丁目付近を描いたもの。江戸時代、このあたりは芝居小屋が集まる場所で、多くの人でにぎわっていました。満月が人々を照らし、夜道に影を落としています。

画面右側、店先にあるのは「掛行灯(かけあんどん)」という看板照明。こうしたものも夜道を照らす大切な灯りでした。防犯的な役割も担ったとか。

夜の海に欠かせないものもありました。

『千絵の海』「相州浦賀」(葛飾北斎 画)
(『千絵の海』「相州浦賀」葛飾北斎 画)
常夜灯。灯台の前身です。

描かれているのは現在の横須賀の海岸一帯で、海に突き出した岬に和式灯台「燈明台(とうみょうだい)」が建っています。建設されたのは1648年(慶安元年)と古く、燃料には魚油が使われ、夜間は燈台守が堂内に常駐していたそう。

さて、時代が江戸から、幕末明治に変わると、照明の世界にも文明開化が訪れます。

1872年(明治5)、横浜で日本初となるガスを使った街灯「ガス灯」がともったのです。さらに、1882年(明治15)には銀座で電気を照明用に使った初めての街灯「電気街灯(アーク灯)」が明々と夜の町を照らし人々を驚かせました。

『東京銀座通電気燈建設之図』(野沢定吉 画)
(『東京銀座通電気燈建設之図』野沢定吉 画)
銀座に登場した電気街灯は一躍大人気となり連日、見物客が押し寄せたとか

夜の道をガス灯や電気街灯が照らし、家のなかでもランプなどが使われるようになると、江戸時代の夜の暮らしを照らした灯りたちは姿を消していったのです。

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