• 更新日:2022年4月3日
  • 公開日:2016年2月21日


江戸時代の照明事情を大変革させた蝋燭の誕生


話を灯りに戻します。灯油(ともしあぶら)を燃料にした行灯の明るさは豆電球ほどしかありませんでしたが、それに比べ圧倒的な明るさを誇ったのがこれ。

和蝋燭
画像引用元:瀬戸内Finder
和蝋燭(わろうそく)。

最初に述べましたように、蝋燭は室町時代以降、国産されるようになりましたが、製造に手間ひまがかかるためとっても高価。

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たとえば、1本の重さが100匁(もんめ/約375g)もある「百目蝋燭(ひゃくめろうそく)」は、行灯の10倍ともいわれる明るさを放ちましたが、燃焼時間は3時間半くらいで1本で200文(約8000円)とめちゃくちゃ高い。

江戸時代の蝋燭屋(『今様職人尽百人一首』より)
(『今様職人尽百人一首』より)
江戸時代の蝋燭屋。当時の蝋燭は漆や櫨(はぜ)の実から抽出した「木蝋(もくろう)」を原料にしました

当然ながら蝋燭を照明として使用できるのは、将軍大名、大寺院、高級料亭、吉原など遊郭、豪商の家といった特殊な場所に限られました。

江戸城の正月行事『謡初』(『千代田之御表』「御謡初」楊洲周延 画)
(『千代田之御表』「御謡初」楊洲周延 画)
これは江戸城で行われた「謡初(うたいぞめ)」という正月行事のようすです。

服を脱ぎ散らかしているように見えるのは、能楽の演者にご祝儀として諸大名が肩衣(かたぎぬ)を与えるというならわし。ちなみに、あとでお金を持っていって肩衣は返してもらったそうです。蝋燭が乱立しています。

さすが江戸城。これはかなり明るかったはず。

『心学早染艸(しんがくはやそめぐさ)』(山東京伝 著)
(『心学早染艸(しんがくはやそめぐさ)』山東京伝 著)
こちらは、男性が吉原の妓楼で遊ぶ様子。ちょっとわかりにくいですが、中央に蝋燭が立っています。蝋燭の明かりに照らされる美しい遊女たち。贅沢な遊びです。

時代が下り江戸時代中期以降になると、蝋燭の生産が多少増えたことや、蝋燭のリサイクルが進んだことにより、蝋燭は一般にも広く使われるようになっていきました。

この再生蝋燭、安い魚油などを混ぜてつくったので値段もお手頃で、庶民の蝋燭として重宝されました。

余談ですが、江戸時代に誕生した日本を代表する伝統芸能といえば、歌舞伎。

電気のなかった江戸時代歌舞伎の照明は基本的に自然光を利用したものでした。芝居小屋に明かり採りの窓があり、スタッフが必要に応じて開閉しました。そのため、興行も早朝から日没までと決まっていました

(『東都歌舞伎大芝居の図』葛飾北斎 画)
(『東都歌舞伎大芝居の図』葛飾北斎 画)
観客で大にぎわいの歌舞伎小屋

とはいえ、それほど明るくもなく、花道を歩く役者の顔がよく見えるようにと使われたのが「面明り(つらあかり)」というもの。長い柄の先に燭台がついていて、黒子がこれを持ち、蝋燭の灯りで役者の顔を照らしました。いわば蝋燭スポットライト。蝋燭はこんな使われ方もしていました。

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