江戸時代には3種類のお金があった!? 今とは違う意外なお金事情とは【円にも換算】

  • 更新日:2019年2月4日
  • 公開日:2016年8月12日

円が導入される前の時代、人々はどのようなお金を使っていたのでしょうか?また、当時の食べ物や給料などを円に換算してみました。

大金持ち商人・紀文が吉原で豪遊する様子(『紀文大尽』部分 豊原国周 画)
元禄時代の大金持ち商人・紀文が吉原で豪遊している、の図。まいているのは豆ではなく小判!(『紀文大尽』部分 豊原国周 画)

全国統一のお金は江戸時代からスタート


江戸時代の人々は、金、銀、銭(ぜに)の3種類の貨幣を使っていました(三貨制度)。

この制度をスタートさせたのは江戸に幕府を開いたこの方、

徳川家康の肖像画

神君・徳川家康

「天下統一がなった今、今度はお金も全国統一するぞ」

ということで、まず幕府によって全国の主要な金山、銀山を直轄地にすると、幕府主導で金貨と銀貨をつくりました。

ちなみに、徳川幕府以前の政府(鎌倉幕府など)は政府主導でお金をつくっていません。なので、これは日本の歴史上初の大事業。

家康の前に天下の覇者となった豊臣秀吉も金貨をつくっていますが、あくまで褒賞や贈答用であり実用化はされませんでした。

さらに、三代将軍・家光の時に銭貨もつくるようになりお金が金、銀、銭の3種類となりました。

江戸時代より前にももちろん貨幣はありましたが、中国から輸入されたものだったとか。有名な「永楽通宝」なんかがそれです。

永楽通宝
中国の明時代につくられ日本に輸入された永楽通宝。室町時代から江戸時代初期まで長らく使われました
日本で使っていたお金が輸入品だったなんて驚きですね。

徳川幕府は永楽通宝のように国内で流通していた輸入のお金を回収し、長い年月をかけて国産のお金だけにしたのです。

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大判は贈答用、小判は実用だった「金」の話


まず、金貨のお話。

金貨は、時代劇で悪徳商人が悪徳代官に「お代官様、どうぞこれを」といって渡す菓子折りの箱に入っている“黄金の菓子”でおなじみ小判のことです。

お代官に黄金の菓子(小判)を渡す様子
※これはあくまでイメージです
前述したように天下統一を成し遂げた家康は金貨の発行をスタートさせたのですが、日本で初めて全国流通用に幕府がつくった小判がこれ。

慶長小判

慶長小判

つくられた時の元号を取って、呼ばれています。

金貨の単位は「両」「分(ぶ)」「朱(しゅ)」の3通りで、小判1枚=1両です。

小判より大きな「大判」というのもありましたが、これは贈答用のもので一般に流通はしませんでした。ちなみに、大判1枚=10両です。

慶長大判
慶長大判。大判は「黄金」と呼ばれたんだそう
大判、小判のほか、金貨には二分金、一分金、二朱金、一朱金もあり全部で5種類。

関係性をまとめた公式はこれ!

check!

小判1枚(1両) = 二分金×2 = 一分金×4 = 二朱金×8 = 一朱金×16

試験には出ません。

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