【給料編】
さぁ、最後は給料編。身分によってかなり異なる給料事情にびっくり。
下級武士の給料
江戸時代の人々にとって旅行は「一生に一度は行きたい!」レベルのものでした。
最下級の武士の年俸3両一人扶持=約24万円+お米(1日5合相当)
「なぁ、信じられるか?これ月収じゃなくて年収なんだぜ。」
最下級の武士の年収とはいえ、現代のワーキングプアも真っ青の低収入です。なので、下級武士はほぼもれなく傘張りなどの内職をしていました。
ちなみに、時代劇に出てくる「このドサンピンがぁ!!」という罵倒の言葉。漫画『ハガレン(鋼の錬金術師)』でも出てくるこの言葉は、年収が3両一人扶持だった下級武士を「三一侍(さんぴんさむらい)」と陰で呼んだことが語源とも言われています。
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歌舞伎役者の給料
人気役者ともなればトップスターとして相当稼いでいたと思われます。果たして?
年収は1000両=約8000万円
「千両役者」という言葉そのもの。
歌舞伎役者といえどみんながみんなこんな高給取りだったわけではなく、千両役者はごく一握りでした。ちなみに、仲蔵も駆け出しの頃は年収8両=約64万円だったそう。たいへんな出世を果たしました。
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大工の給料
火事の多かった江戸の町、大火のあとともなれば大工は引っ張りだこでした。そんな大工の日給は?
日給銀5匁4分=約6,600円
これには弁当代も含まれていたそうです。
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野菜の棒手振(ぼてふり)の稼ぎ
1日の稼ぎは100~200文=約2,000~4,000円
独身ならまだしも家族持ちとなるとなかなか厳しそうな日給。『文政年間漫録』という江戸時代後期の資料にのっている野菜売りの生活によると――
朝、600~700文(約1万2千~1万4千円)と籠を持って家を出て、そのお金で野菜を仕入れ、各町を売り歩いた。仕事が終わって家に帰ると、明日の仕入れ用のお金を確保しておく。すると女房が「米と味噌と醤油を買うお金ちょうだい」と言うので250文(約5,000円)を渡した。さらに子どもも「お菓子買うお金ちょーだい」と言うもんだから12~13文(約240~260円)渡した。売上から残ったお金は100~200文だった。
なんだか、リアルな庶民の生活が見えてくるようです。仕事終わってお疲れのお父さん、あとは安酒でも飲んだのでしょう。
江戸時代のお金事情を知ると時代小説や落語などがよりいっそう楽しくなりますよ。
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