• 更新日:2017年8月18日
  • 公開日:2016年3月29日


●午前8時頃(朝五つ)●

お風呂でさっぱりしたら朝食の時間です。朝食は髪を結ってもらっている間にとりました。これは将軍と同じですね。

御台所が髪を梳いてもらっています(『千代田之大奥』揚洲周延 画)
御台所が髪を梳いてもらっています(『千代田之大奥』揚洲周延 画)
ちなみに、御台所は起床前に一度、髪をとかしてもらっています。寝床に寝たままで御中臈が御台所の髪をとかすのです。これは「お寝梳き(おねすき)」といいます。寝ぐせボサボサではいけませんからね。

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さて、朝食です。こちらは大奥での朝食のようす。

『女礼式略図』(揚洲周延 画)
(『女礼式略図』揚洲周延 画)
画像右にいる女性が御台所です。気になる食事の内容は――

〈一の膳〉
ごはん、味噌汁に落とし卵、豆腐にだし汁をかけたものなど煮物、キスの焼き物など、口取(くちとり)として蒲鉾、胡桃の寄せ物、昆布、鯛の切り身などから好きなものを3種ほど
〈二の膳〉
豆腐や卵などの汁物、鯛の焼き物などの魚、香の物
〈そのほか〉
「御外(おほか)の物」といって好きなものをリクエストすることもできたそうです。


食事のお世話は御中臈が担当し、魚などは身をむしってくれました。まるでお母さんみたいですね。

御台所が口にするのはひと箸、二箸だけですぐに「おかわり」となり、おかわりは3回までと決まっていました。ただし、3回目のおかわりにはお箸をつけてはいけなかったそう。意味あるのかな?

ちなみに、ごはんは3杯までおかわりできたそうです。御台所といえど、好きなものを好きなだけ食べられません。朝食が終わったら、必ずうがいをします。

また、食べるのは御台所ひとりでも、毒味用やおかわり用のものを含め1度の食事に10人前の同じ料理を用意しました。当然、残るわけですが、残ったお膳は高級女中たちの朝食となりました。

お化粧は今も昔も時間がかかった


白粉を塗る遊女(『美艶仙女香』「式部刷毛」渓斎英泉 画)
(『美艶仙女香(びえんせんじょこう)』「式部刷毛(しきぶはけ)」渓斎英泉 画)
こちらの絵で描かれているのは遊女ですが、江戸時代の美人の第一条件は「白い肌」。ということで、白粉を丹念にムラなく塗ることがたいせつでした。

基本的になんでも女中にやってもらう御台所ですが、お化粧は自分でやり、白粉も顔は御台所が塗ったそう。ただし、襟足のほうは御中臈に塗ってもらいました。

庶民の間では「素肌感」が重視されたため一般に薄化粧が好まれましたが、大奥では薄い白粉は下品とされ、濃い目の化粧だったとか。さらに女中のなかでも位の高い女中は下級女中より厚化粧だったそう。

白粉の次は紅。口紅の「赤」は江戸時代のメイクの重要ポイントでした。御台所が公家出身でしたので、おのずと万事が京風。ということで、口紅に使用する紅も京でつくられたものが使われたそう。

象牙製の豪華な紅板(葵の紋入り)
紅は「紅板」と呼ばれるものに塗られていて、使う際に筆などで紅をとりながら唇に塗りました。写真は象牙製の豪華な紅板で葵の紋入り! 徳川家のものです。画像引用元:ポーラ文化研究所
また、江戸時代後期には紅は唇だけでなく、爪の先にも薄く塗ったとか。これは「爪紅(つまべに)」という化粧で、今でいうとこのマニキュアです。おしゃれですね~。鳳仙花(ほうせんか)とカタバミの葉をもみ合わせた汁で爪を染めそうです。

女性が爪に紅を塗っています(『絵本江戸紫』より)
女性が爪に紅を塗っています(『絵本江戸紫』より)
最後に眉毛。江戸時代、既婚の女性は一般的に眉をそり落としましたが、大奥など上流階級の女性たちは、特別な日<注>に限り既婚者でも眉を描きました。おでこの上のほうにポンポンと描く、いわゆる“マロ眉”です。

<注>特別な日…正月三が日や五節句(人日〈じんじつ/七草の節句〉、上巳〈じょうし/桃の節句、お雛様のこと〉端午〈たんご〉、七夕、重陽〈ちょうよう/菊の節句〉)

元日の大奥(『千代田之大奥』「元旦二度目之御飯」揚洲周延 画)
元日の大奥。画像右の御台所をはじめ、みんなマロ眉をしています(『千代田之大奥』「元旦二度目之御飯」揚洲周延 画)
これは「置き眉」と呼ばれ、こんな眉メイクの指南書もありました。

江戸時代の眉のメイク法とメイク道具の使用解説書(『化粧眉作口伝(けしょうまゆづくりくでん)』1708年)
画像引用元:ポーラ文化研究所
これは『化粧眉作口伝(けしょうまゆづくりくでん)』(1708)という、江戸時代のメイク本で、眉のメイク法とメイク道具の使用解説を書いた巻物です。大奥をはじめ公家や武家などの上流階級の女性たちはこれを参考に特別な日には眉メイクをしました。

お化粧が終わったら、着替えです。

まもなく将軍大奥にある仏間への参拝とあいさつのため大奥にやってくるのですが、その時、将軍は裃(かみしも)という正装でしたので、御台所もそれ相応の正装に着替えました。一説に毎日違う着物を着たとか。大奥にお金がかかるわけです。

画像中央が御台所。将軍の正妻らしく着物の豪華さが違う(『千代田之大奥』「お召かへ」揚洲周延 画)
画像中央が御台所。さすが将軍の正妻、着物の豪華さが違います(『千代田之大奥』「お召かへ」揚洲周延 画)
将軍が大奥入りすると、御台所は出迎えてあいさつを交わし、歴代将軍の位牌が安置してある仏間へ一緒に行き、参拝しました。

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