捨てるのはもったいない!排泄物もたいせつな「商品」
700〜800年ぐらい前(鎌倉時代)になると排泄物は肥料として利用されるようになり始め、汲み取り式トイレが登場します。
そして、江戸時代には肥料への使用はますます盛んになります。
江戸の農家は「肥料に使うから汲み取らせて!」と、お金や野菜などを支払ってまでご近所のトイレに汲み取りに来るなど、排泄物はたいせつな「商品」となりました。なんだかすごい話です。
排泄物が肥料として利用された江戸時代、肥桶をかついで排泄物回収にまわる「下肥買い(しもごえがい)」という職業もありました。下肥買いが来ると周囲はめちゃくちゃ臭かったとか。(『滑稽臍栗毛』より)
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庶民の賃貸住宅「長屋」では、住んでいる人(店子〈たなこ〉)の排泄物は大家さんに所有権があり、排泄物の引き取り代金は大家さんのものになりました。
その金額はなかなかのものだったようで、大家さんにとって店子の排泄物は大きな収入源でした。ちなみに、排泄物にはなんとランクがあったそうで、食生活が上等な大名や大商人の屋敷から出る排泄物は、貧乏長屋の排泄物より値段が高かったとか。
排泄物が肥料となり、それで野菜が育つ。
そして野菜と交換で排泄物を回収し、また肥料にする。ムダ一切なしの完璧なリサイクルです。江戸が100万都市に成長しながらも清潔な町並みを保つことができた背景には、こうした機能的なリサイクルシステムがあったのです。(『諸国道中金の草鞋』より)
江戸時代、ついにトイレットペーパー登場!
さて、江戸時代にようやくトイレットペーパーが出てきました。
とはいえ、これは都市部に限ったことで農村部ではワラなどをトイレットペーパーにしていたそうです。全国的に紙を使用するようになるのは明治時代も中頃を待たなければなりません。
で、江戸時代の都市部でトイレットペーパーとして使っていた紙とはどのようなものだったのかといいますと、「浅草紙」と呼ばれる再生紙でした。
浅草紙は墨などがついた古紙を水に浸して叩き漉(す)いただけ、といったとっても簡単な再生紙。
浅草紙は、紙としては粗悪品でしたが値段も安く、庶民もトイレットペーパー(落とし紙)として利用しました。ちなみに、紙は備え付けではないのでトイレに行く度に浅草紙を持参したそうです。
その浅草紙ですが、安いといっても1枚1文(約15円)しました。なのでムダにはできません。
しかし、そこはリサイクル都市・江戸、もちろんリサイクルします。使用済みの浅草紙はストックしておいて屑屋が買い取り、また再生されたというのですから、とってもエコ!
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