徳川家康が幕府を開いた初期の江戸は、どれくらいの人口?
こちらは江戸時代後期の日本橋界隈のようす。ものすごくたくさんの人が行き交っているのが見えます。
初代将軍・徳川家康により江戸に幕府が開かれたのは1603年(慶長8)のこと。それ以来、江戸の町は拡大・成長を続け人口も年々増えていきました。記録によりますと開府からまもない1609年頃の江戸の人口はどれくらいだったかといいますと――
およそ15万人
ちなみに、同時代の京の人口は30~40万人、大坂は20万人だったそう。新政府の拠点として新興都市だった江戸は三都のなかでもまだまだ人口が少ないですね。ちなみに、諸説ありますが江戸時代初期の日本全体の人口は1,200~1,300万人ほどだったのではないかと推定されています。現在のおよそ10分の1、ずいぶん住みやすいです。
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全国を対象に人口調整を初めて行ったのは、あの“暴れん坊将軍”
戦国時代に豊臣秀吉が命じて1591年(天正19)に全国レベルで人口調査が行われました。目的は朝鮮出兵のための動員数把握。江戸時代になると、キリシタン取締りを目的にした「宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)制度」ができ、地域ごとの人口調査が行われるようになりました。
時代は下り、江戸時代中期の1721年(享保6)、幕府の命令により全国で人口調査が行われ、1726年(享保11)以降は6年ごとに全国レベルで定期人口調査が行われるようになりました。
この制度を定めたのがこのお方。
“暴れん坊将軍”でおなじみ8代将軍・徳川吉宗です。
これにより大まかではありますが日本の人口推移がわかるようになりました。ちなみに、初回調査(1721年)における日本の人口はおよそ2,600万人でした。おお、ずいぶん増えた。
しかし、江戸時代を通じてそれほど人口は増加せず、2,600~2,700万人前後で推移していったと考えられます。
定期的に人口調査を行うというのはとても画期的な試みでしたが、当時の人口調査にはいくつか問題が……。それは
- 武士、公家など特権階級のほか、武家の奉公人、戸籍のない人は調査対象外
- 調査方法が各藩に任されており不統一(藩によっては死亡率の高い8歳未満の子ども、被差別階級、神社仏閣関連は数に入れないなど)
- 意図的に過少または過大申告する藩も多かった
ということです。
なので、実際数より400~500万人ほど少ないんじゃないかと見る向きもあります。