• 更新日:2017年5月5日
  • 公開日:2016年1月25日


“100万都市”江戸の人口は世界一だった!?


さて、江戸に話を戻します。前述したように開府まもない江戸の人口は約15万人でした。1635年(寛永12)に参勤交代が始まると、江戸へ参勤のために各国からやってくる大名のための武家屋敷が建設されるようになりました。

大名家の妻や一部の家臣も江戸に住むようになるため武家人口は増加、それに伴い町人人口も増加していきました。

江戸時代の日本橋、にぎわっている(江戸図屏風より)
(『江戸図屏風』)
江戸時代初期の江戸とその近郊を描いた貴重な屏風絵。これは日本橋の風景。すでになかなかのにぎわいを見せています。

1693年(元禄6)の記録によりますと当時の江戸の町人人口はおよそ35万人吉宗の命令により全国人口調査が行われた1721年(享保6)には町人人口が50万人を突破しました。以降、幕末まで江戸の町人人口はおよそ50~56万人前後で推移していきました。

さて、俗に江戸は“100万都市”といわれますが、これは人口調査の対象に含まれていない武家や寺社の人口が町人と同じくらいの約50万人と推定して合わせて「100万人」というわけです。最盛期の江戸の人口は110~130万人だったとも!

世界に目を向けますと、1801年のロンドンは人口およそ86万人、パリはおよそ54万人と推定されており、100万都市・江戸は北京などとならんで世界の都市のなかでトップクラスの人口を持つ大都市でした。

教科書などでは「世界一」と書かれることも多いですが、なにせちゃんとした数字がないので断言は難しいところです。

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江戸は人口密度も世界トップレベル


世界トップクラスの人口を誇った江戸の町。人口密度はどれくらいだったのでしょうか?江戸の町は「武家地」「町人地」「寺社地」に厳格に住む場所が身分によって分けられており、占有総面積は武家地が約70%、町人地・寺社地がそれぞれ約15%となっていました。

つまり、およそ50万人といわれる町人が江戸の町のたった15%の土地に住まなければならなかったのです。その人口密度は

1平方kmあたりおよそ6万人

ちなみに2015年の東京都における最も人口密度の高い区は豊島区で1平方kmあたり2.2万人。

これは半端ない。

江戸の町人たちは、現代とは比較にならないぐらい肩を寄せ合い暮らしていたことがわかります。しかも、現代のような高層住宅はなく平屋ですから芋洗い状態の生活です。

江戸時代の長屋で暮らす人々(『浮世風呂』より、式亭三馬 編/北川美丸 画)
(『浮世風呂』式亭三馬 編・北川美丸 画)
庶民の住居といえば長屋。狭い土地にぎっちぎちに長屋が建てられ大勢の人々が暮らしていました。

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