酔い潰れたら負け!酒豪も倒れる「酒の部」
こちらの勝負も超シンプル。倒れるまで飲む!
とっくりの大きさが尋常じゃありません。おじいちゃん、そんなに飲んで大丈夫ですか?というか真ん中、寝てるし!ぐーぐー
鯉屋利兵衛さん(30歳/芝口在住)
3升入りの盃×6杯半
3升入りの盃×6杯半
7杯目チャレンジ中にぶっ倒れ意識不明となり、休憩室に運ばれるとしばらくして目を覚ましたそう。起き上がるや水を17杯も飲んだそうな。死ななくてよかったですね。
天堀屋七右衛門さん(73歳/小石川春日町在住)
5升入りの盃×1杯半
5升入りの盃×1杯半
おじいちゃん、大ハッスル!しかし、「所用があるので」と途中で帰っちゃったそうです。なんと、帰宅途中で眠っちゃったらしく、翌朝、湯島聖堂の土手でひっくり返って眠っているところを家族に発見されたとか。本当に死ななくてよかったですね(しみじみ)。
ほかにも、どこかの藩士が1升入り盃で4杯を飲み干したあと謡いをひとくさりうたってから「これにてごめん」と礼儀正しくあいさつして帰った、とか、呉服屋の主人が8升1合を飲んだあと「腹が減った」とごはん3杯を食べ、そのあと謡って踊ったとか、とにかく酒の部は命がけの反面とっても楽しそうです。
スポンサーリンク
死者も出た!?大食い大会は命がけ
老いも若きも武士も庶民も熱狂した大食い大会ですが、無茶なチャレンジの果てに命を落とした人もいたとか……。1831年(天保2)に万八楼にて開かれた大食い大会でのこと。
香具師(やし)の松井源水(まついげんすい)がこの大会に参加し、生豆5合と水1升という記録を残しました。しかし、源水は帰宅後に激しい苦痛に襲われ一昼夜悶絶、最期を覚悟した源水は最後の死力を振り絞り一子に奥義の秘曲を伝授すると死亡したそうです……うぅ。
ほかにも商家の手代がしょうゆを一気飲みして即死した、など死亡例があったとか、なかったとか。やっぱりよい子は絶対にマネしちゃだめですよ。
飲めよ飲めよの大騒ぎ。酒豪が集結! 江戸の酒合戦
大食い大会と同じく大酒飲み大会も大人気で、数々の大会が行われました。なかでも1815年(文化12)に日光街道の千住宿で行われた大会、いわゆる「千住酒合戦」はとても有名で、当代きっての文人・大田南畝(おおたなんぽ)が著した『後水鳥記』に観戦記録がくわしく書かれています。
これ、左手前を拡大してみると、
飲みすぎてリバースしまくっています。
よくわからないのは、頬杖をつきながら人々がリバースする様子をあたたかく見守る奥のおじさん。
参加者は100人ほどで、3人の審判の前に選手がひとりずつ進み出て、好きなサイズの盃で好きなだけ飲む、という方法で競われたそうです。酒の肴として、カラスミや焼き鳥なども用意されたとか。うれしい心遣いですね。主な記録はといいますと
左兵衛さん
7升5合
松勘さん
すべての酒(え?)
太助さん
1日中茶碗で酒を飲んだうえに3升盃も飲み干した
7升5合
松勘さん
すべての酒(え?)
太助さん
1日中茶碗で酒を飲んだうえに3升盃も飲み干した
いやはや、人間わざとは思われません。酒豪は男性ばかりではありません。女性陣の奮戦ぶりもすさまじいです。
五郎左衛門さんの妻・みよさん
1升5合の盃を飲み干すも平気の平左
菊屋おすみさん
2升5合の盃を飲み干す
1升5合の盃を飲み干すも平気の平左
菊屋おすみさん
2升5合の盃を飲み干す
異色の選手もいたようで、酒1升に加えてしょうゆ、水、酢(!?)それぞれ1升ずつ飲み干したという猛者も。酢はきつい……、いやいや、しょうゆもきつい……。
ちなみに、酒を飲みまくったのは選手だけではありません。お酌を務めた女性たちや板場の料理人、さらには駕籠かきや近所の人々にまで酒が大盤振る舞いされたといいますから、そりゃもう賑やかだったことでしょう。楽しそうですね~。
なんとも信じられないような記録のオンパレード。
当時「記録、盛ってねえか!?」という噂もあったとか。
とはいえ、それも含めてみんながエンターテインメントとして大食い・大酒飲み大会を楽しんだのは間違いない。泰平の世に生まれた食のエンタメ「大食い・大酒飲み」ブームは、ぜいたくを禁じる「天保の改革」(1830~43)により幕を下ろしました。そして、再び20世紀に大食いブームとして復活するのですからおもしろいものですね。