【男女混浴】江戸時代のお風呂事情を画像つきでまとめてみた【頻度は?】

  • 更新日:2022年4月3日
  • 公開日:2015年11月15日

混浴が当たり前だった江戸時代の風呂屋。現代からすると江戸のお風呂は驚きに満ちています。お風呂に入ったり洗髪する頻度はどうだったのか?など、江戸のお風呂事情を画像つきで紹介!

江戸時代は、お家にお風呂がなかった


江戸には水道が引かれていました(これ、江戸っ子の自慢)。ただ、水は非常に貴重であり燃料の薪も高価。そのため内風呂を持っている家はほとんどありません

武士だろうが大商店の主人だろうが貧乏長屋の家族だろうが、みんな公衆浴場=銭湯に通いました。銭湯は、江戸では「湯屋」と呼ばれていて「ゆや」「ゆうや」と読みます。ちなみに京や大坂など上方では「風呂屋」と呼ばれていました。

江戸時代の銭湯の様子がこちら。

浮世風呂一ト口文句(江戸時代の風呂)
お客さんで芋洗い状態の湯屋。みんな楽しそう(『浮世風呂一ト口文句(うきよぶろ一ひとくちもんく)』)

実は、江戸の人たちはお風呂が大好きだったんです。その頻度は、仕事前に朝風呂、仕事終わりに夕風呂と少なくとも2回は入ったそうで、1日に4~5回入るなんてことも!

というのも、関東特有の強風で砂ぼこりが舞い上がり、湿気の多い気候もあいまってすぐに全身ほこりまみれになってしまったから。

「月の数回しか入らないんじゃ…」「不衛生なんでしょ?どうせ」と思われる方も多いので、これは意外。1日に何度も湯屋へ行くため、江戸っ子の肌は乾燥していたそうですが、これを「垢抜けた」といって粋がったともいっていたそうです。

入浴料金は大人8文(約120円)、子ども6文(約90円)とそば1杯の値段の半分。いまの銭湯が大人460円なので割安感があります。さらにお風呂好きにはうれしいことに「羽書(はがき)」というフリーパスもあり、1ヶ月148文(約2200円)で何度でも入浴することができました。

営業時間についてははっきりしていませんが、朝6~8時に開店し、夜も8時頃まで営業していたそうです。

徳川幕府より歴史ある湯屋の第一号店


江戸時代後期の文化年間(1804~18)には江戸市中に600軒を数えたと記録に残るほど江戸っ子にとってなくてはならない存在となっていた湯屋。

では、まずその歴史について。神君・徳川家康が江戸に幕府を開いたのが1603年(慶長8)のことですが、銭湯である湯屋の第一号店が江戸に誕生したのはそれより12年も前!

伝承によりますと、家康が江戸に入り町づくりの真っ最中だった1591年(天正19)、銭瓶橋(現在の東京都千代田区大手町にあった橋)のたもとで、伊勢与一という男が蒸し風呂スタイルの風呂屋を開いたのが始まりだそうで、100円ほどの激安価格でさっぱりできる!ということで大繁盛したといいます。

お風呂屋さんにいるキレイなお姉さんたちの正体は?

江戸時代の湯女(「江戸名所図屏風」より)
江戸時代初期の寛永年間(1624~43)頃の江戸を描いた『江戸名所図屏風』の一部

黎明期のお風呂屋さんが描かれています。湯船はまだなく蒸気浴です。

蒸気浴か…ものたりないな…。

ちなみに湯船みたいに見えるのはかけ湯用のお湯です。きれいに着飾ったお姉さんがたくさんいますが、彼女たちはお客の背中を流す「湯女(ゆな)」という女性で、背中を流したり着替えの手伝いをしただけでなく時に性的サービスも行っていました

圧倒的に女性が不足していた初期の江戸、男たちはこぞってお風呂屋さんへ行き大繁盛、吉原遊郭をもおびやかすほどの人気だったとか。

しかし、1703年(元禄16)に大地震が起こったことをきっかけに一気に下火となり、その後は湯女のいない入浴専門の「湯屋」となりました。入浴スタイルも蒸気浴から、蒸気浴と湯浴の中間スタイル「戸棚風呂」というものを経て、湯浴へと変化していきました。

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