せっかくなので、江戸のお風呂屋さんをバーチャル体験すると。
では、江戸っ子気分で湯屋へ行ってみましょう。
まず、湯屋ののれんをくぐると番台(ばんだい)があり、ここで入浴料を支払います。番台では手ぬぐいや歯磨き粉、体を洗うためのぬか袋なんかも販売・貸し出ししていました。
お正月だけの粋なお楽しみ
中央に見えるのが番台。これは正月の初湯の風景で、元日の初湯には特別サービスで福茶がふるまわれました。番台の右側に茶釜がありますね。
右側の三方の上に山盛りになっているのは、お客さんが入浴料とは別に置いた「おひねり」です。湯屋からもお年玉としてお客さんに貝柄杓をプレゼントしました(画像右端にある籠のなかにあるのが貝柄杓)。
番台で入浴料を払ったら、さあ、お風呂に入りましょう。
土間をあがればすぐに脱衣所です。脱いだ服は鍵付きの衣棚、今でいうコインロッカーにしまいます。空きがない場合は籠に入れておきます。脱いだ着物を盗む「板の間稼ぎ」と呼ばれる悪い人がいるので用心が必要。
流し場は板張りで、竹すのこを挟んで脱衣所と隣接しています。水はけをよくするためちょっと傾斜がつけられていたそうです。考えられていますね。入浴時のマナーが現在と違っていて、体を洗ってから湯船に浸かるのではなく、先に湯船に浸かって体を温めてからじっくり体を洗うのが一般的だったとか。
究極のバリアフリー!?
江戸時代後期の女湯のようす。にぎわっていますね。足をすべらせて転んじゃっている女性もいます。
この絵を見てると、なんだか不思議な感覚になります。われわれの知ってる銭湯とちょっと違う。
仕切りがないんですね。
画面左から番台→脱衣所→洗い場です。
つまり、銭湯の入り口から全見えです。
この”ぜんぶひと続き”という構造は現代人から見るとけっこう不思議な感じですね。
中央の女性がひものついた緑色の袋をくわえていますが、これは体を洗うぬか袋です。今でいうボディ石鹸といったところでしょうか。
女性の背中を流している男性もいます。彼は「三助」と呼ばれたサービス係りで、男女の区別なくぬか袋(石鹸)でお客さんの背中を洗い流したりマッサージをしました。
ただし、三助にサービスを頼むと別料金が必要となります。壁に目をやりますとなにやらポスターのようなものが。これは入浴マナーの張り紙や各種商店の広告、芝居のチラシなんです。
ケンカは江戸の華とはいうけれど
画面左を見てください。桶を手にケンカをする女性客が大乱闘。裸もなんのそのでつかみあい。女湯でのケンカは川柳にも詠まれていたほどなので、けっこう日常茶飯事だったのかも。
身分関係なしの湯屋ならでは。湯船に入る時のマナー
では、さらに奥へと入っていきましょう。
もういっかい上の絵を見てください。
絵の左上、奥の方になにか入り口のようなものがあり、そこにしゃがんで入っていく人、はたまたそこから出てくる人がいますね。
じつはここは「石榴口(ざくろぐち)」と呼ばれる湯船の入り口なのです。湯船の湯が冷めないように、また蒸気が逃げないようにするため鴨居を低くしてありました。
これも江戸時代におけるお風呂の特徴的な構造で、高価な薪を節約するためのアイデアです。この石榴口をくぐって一段ステップを上がると、湯船があります。鴨居が低く湯気もうもうの内部はとっても薄暗く、ほかのお客さんもはっきり見えないほどだったとか。
さらに前述したように江戸の湯屋は性別・身分関係なし。そのため、湯船に入る時には先客に声をかけるという独特のマナーがありました。
たとえば、
- 「ごめんなさい」
- 「冷えもんでござい(体が冷たくてごめんなさい)」
- 「枝がさわります(手足が触れたらごめんなさい)」
- 「田舎者でござい(不調法があったらごめんなさい)」
など。
武士だろうがヤクザ者だろうが大商店の主人だろうが近所のおかみさんだろうが深窓のご令嬢だろうが、みんなこのマナーを守っていたのです。
身分制度の厳しい封建社会の江戸時代だからこそ、さまざまな身分の人が楽しいお風呂タイムを過ごすための知恵としてこうしたマナーが生まれたのでしょう。
石榴口はカラフルな装飾もみどころ!
擬人化された猫たちが湯屋でお風呂を楽しんでいるのがなんとも楽しい絵ですね。一番上中央に見えるのが湯船の入り口である石榴口ですが、金魚のイラストが描いてあります。
このように石榴口には美しい彩色が施されていました。今の銭湯の壁画に通じるような気がしますね。