肉は薬だった!? 肉食がタブーとされた江戸時代にも、肉は意外と食べられていた!

  • 更新日:2022年4月3日
  • 公開日:2016年2月23日

「肉食はタブー、禁止」というイメージがある江戸時代ですが、実は豊富な肉料理が存在しました。いまではあまり食べない意外なお肉や、肉料理屋の面白い言い訳など、江戸の肉食事情をまとめました。

肉食タブーの時代、それでも食べたい肉!


今では当たり前に食べているお肉ですが、日本では長く肉食はタブー視されていました。もとをたどれば奈良時代、殺生を忌む仏教の影響で肉食が禁じられるようになりました。

それからおよそ1,200年後の明治時代になると“文明開化”の象徴として牛鍋がブームになりました。

『安愚楽鍋(あぐらなべ)』(仮名垣魯文 著)
(『安愚楽鍋(あぐらなべ)』仮名垣魯文 著)
教科書でもおなじみ、牛鍋を食べるハイカラな明治男子。1877年(明治10)の東京には牛鍋屋が488軒もあったといいますから、その大流行ぶりがうかがえます。

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では、文明開化以前、江戸時代の人々は肉をまるで食べなかったのでしょうか?

『名所江戸百景』「びくにはし雪中」(歌川広重 画)
(『名所江戸百景』「びくにはし雪中」歌川広重 画)
画像左に「山くじら」という看板があります。この「山の鯨」の正体はこれです。



「山くじら」の隠語で、江戸時代に食べられていた猪

イノシシ

「山くじら」とは猪肉の隠語なのです。つまり、このお店は猪肉料理のレストランなわけです。

鯨を哺乳類ではなく魚の仲間と思っていた江戸時代。「イノシシ?お肉?滅相もない。ウチで提供しているのはクジラ。山の鯨ですよ」という方便で、お店はイノシシ肉を「山くじら」と称し提供。出されたお客も「おれ、今から食べるの肉じゃないし。鯨だし」と、食べていたのです。

今でも猪肉を「牡丹」、鹿肉を「もみじ」ということがありますが、これも江戸時代に生まれた隠語です。

表向きはまだ肉食タブーの風潮が強かった江戸時代ですが、人々は隠語を使って肉料理に舌鼓をうっていたわけです。

ちなみに、いまでは食肉としてメジャーな牛馬ですが、農耕や合戦に必要不可欠な家畜のため、古来、食用にされることはありませんでした。

そんな時代に、彦根藩から将軍家に毎年、ご養生用の薬「反本丸(へんぽんがん)」として献上されていたものがあります。

それがこちら。





「反本丸」と称して将軍家に献上されていた牛肉の味噌漬け
※写真はイメージ。画像引用元:e-ネコショップ
牛肉の味噌漬けです。



ん?


牛肉食べないんじゃなかったの?と思った方、安心してください。

これは牛肉ではなく、あくまで養生用の薬です。

つまり「食べたとしても薬だから肉を食べたことにはならない」という理屈。この「反本丸」こと牛肉の味噌漬けは非常に評判で、各地の藩からも所望が絶えなかったとか。牛肉の魔力は江戸時代も絶大だったようです。

江戸時代は、こうして肉を名目上「薬」といって食べることもあったわけです(薬食い)。

獣肉は江戸市中でも売られていました。江戸近郊で捕獲されたイノシシや鹿、うさぎなどの獣肉を売る店は「ももんじ屋」と呼ばれ幕末には江戸だけでも十数軒のももんじ屋があったとか。

ももんじや(1718年創業の猪肉料理専門店)
東京都墨田区両国にある「ももんじや」は1718年(享保3)創業の猪肉料理専門店
そん

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