現代は大人気絵師の写楽、当時は不人気だった!?
現代、「写楽」といえば、葛飾北斎や歌川広重、喜多川歌麿らとともに江戸時代を代表する偉大なる浮世絵師として有名ですよね。絶大な人気もあります。
がしかし! 写楽が活躍した当時はというとその評価と人気は現在の真逆でした。
写楽の大きな特徴といえば、まず強烈なデフォルメにあるでしょう。
役者絵といえば「役者をリアルより美しく描く」が常識だった当時にあって、写楽はあえて役者の欠点までも「個性」としてデフォルメさせて描きました。
現代人の目から見るとこのデフォルメこそが写楽のオリジナリティであり魅力なのですが、当時の役者ファンからすれば「なんでこんな風に描くわけ!?」と大激怒だったそう。さらにモデルとなった役者本人からも不評だったらしい。まぁ、シワとかも容赦なく描いてますからねぇ。
ちなみに、写楽と同時代に活躍した浮世絵師で役者絵の名人といわれたのが初代歌川豊国。その作品はこんな感じ。
うん、美人です(男性ですが)。でも、現代人的感覚からすれば写楽の役者絵のほうが独創性もデザイン性も高いように感じますよね。しかし、江戸時代の購買者が役者絵に求めるのはそこじゃなかった、ということです。
写楽のデビュー作28点は当時においても相当なインパクトがあったに違いありませんが、人気はなかったのですなぁ。
写楽は、わずか10ヶ月ほどというめちゃくちゃ短い活動期間に、145点余りともいわれる多くの作品を残しました。驚異的な製作スピードも写楽の謎のひとつ。「写楽というのは工房の名前で複数人で製作していたのでは?」という説も生まれたほどのハイペースです。
しかも、写楽は短い活動期間の割に作風がコロコロ変わりました。この辺も謎のひとつ。
一般的に写楽の作品は大きく全4期に分けられ、デビュー作28点は第1期に分類されます。第2期以降の作品は次回から紹介していきますのでお楽しみに☆
当時、賛否両論巻き起こし、どっちかというと否定意見が多かった写楽。写楽が忽然と姿を消したあとも絵師としての評価は低空飛行でしたが、その評価をガラリと変えたのがドイツの美術研究家ユリウス・クルトさん。彼が著書『SHARAKU』(1910年)のなかで「写楽はレンブラントベラスケスと並ぶ“世界三大肖像画家”のひとり」と写楽を絶賛したのです。
で、その写楽評が日本に逆輸入され「あれ?写楽って人、すごい画家なんじゃないの!?」となり、写楽の評価がうなぎのぼりに高まっていったんだそう。なんというかある意味日本人らしい評価のしかたです。
写楽の評価が高まると贋作が大量につくられるようになり、現代でも真贋をめぐる論争に結論が出ていない写楽作品もあり、写楽の全作品数は正確にはわかっていません。145点余り、と考えるのが現代では主流のようです。
さて、続いては写楽の作風に大きな変化が生まれた第二期についてお話しします。