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江戸時代の年末特集!
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江戸城も吉原も商家も長屋も12月13日は「大掃除の日」
年末にやるべきことの筆頭は今も昔も大掃除。新年を気持ちよく迎えるためには、1年間の汚れをきれいさっぱり掃除しなくちゃなりません。
現代では、大掃除のタイミングは各家庭、個人個人の予定に合わせて年末までに終わらせるというのが一般的ですが、じつは江戸時代には大掃除をする日が決まっていました。な、なんだって!?
それは、ズバリ12月13日。
江戸時代、今でいう大掃除は「煤払い(すすはらい)」「煤取り」「煤掃き」「煤納め」などと呼ばれていたんですが、12月13日に江戸城大奥で「御煤納御祝儀」という煤払いの行事が行われたことから、それに合わせ大名屋敷から長屋までみーんな一斉に煤払いをしたのです。
江戸だけでなく日本各地の多くの地域で12月13日になると煤払いをしたというのは、なんだか、おもしろいですね。(もちろん旧暦の12月13日の話ですよ)
こちらの浮世絵は煤払いに励む町人たち。手ぬぐいかぶってやる気まんまん。
現代では大掃除のリーダー役はだいたいお母さんですが、江戸時代の商家では煤払い担当は、奉公人や若い衆、日頃出入りしている鳶職人など体力のある者がメイン。画像左下には煤払いの合間に食べられるようにと用意された握り飯や煮しめが見えます。おやつには甘いお餅が出されたんだとか。疲れた時の甘いものは昔から変わらずです。
商家では、煤払いが終わったあとには特別なご馳走が振る舞われたそうなのですが、それがこれ。
クジラ。
煤払いのあとにはみんなで鯨汁を食べたそう。疲れた体に熱々の鯨汁はいかにもピッタリ。いつもはコキ使われる奉公人たちにもご祝儀としてお酒が振る舞われたうえ、早寝まで許されたとか。大掃除バンザイ!
煤払いについて俳人たちもおもしろい句を残しています。
「煤掃きて しばしなじまぬ 住居かな」(許六)
大掃除してきれいになったら逆に落ち着かない我が家。なんかその気持ちわかります。
「煤はきや なにを一つも 捨てられず」(支考)
大掃除したのになにも捨てられなかった(笑)。あるあるすぎます。
庶民の煤払い川柳もまたおもしろい。
「銭金が こうたまればと 十三日」
煤払いで集まったホコリを見つめて(あー金もホコリみてぇにいつのまにかたまればいいのによぉ〜)とちょっと切なくなる気持ち、わかります。
突然ですが、「そもそもなんで12月13日に大掃除なんだ?」について。
13日という日は暦のうえで万事において(といっても婚礼以外だそう)、「鬼宿日(きしゅくにち)」という最吉日なのだとか。お日柄よし。
でも「大掃除するのに日がよいとか悪いとか関係あるの?」と疑問に思う方もいらっしゃるでしょう。
煤払いというのは単なる大掃除にあらず、もともとは“お清めの儀式”だったのです。元日に降臨して1年の実りと繁栄をもたらすとされる「年神様(歳神、歳徳神とも)」をお迎えするため、1年間でたまった穢れ(ケガレ)とホコリを払って、家中を清めるわけです。煤払いの歴史は古く、平安時代から行われていたのだとか。煤払いは神聖な儀式なので、最吉日である13日が選ばれたんだそう。
正直、「大掃除=いつもはやらない場所までやる掃除」と思っていました、ごめんなさい、今年からは神聖な気持ちで挑みたいと思います(真顔)。
将軍のプライベート空間である大奥でももちろん煤払いが行われました。こんなの。
町人と同じく手ぬぐいを頭にかぶった女性たちが立ち働いています。
中央の美しい女性は、将軍や将軍の妻である御台所(みだいどころ)のお世話をする「御中臈(おちゅうろう)」という結構身分の高い大奥女中。煤払いでは指揮官を務め、テキパキと指示を出しました。
先ほど12月13日に煤払いをする、と述べましたが、江戸城は別格。大奥も合わせるとメチャンコ広いので12月1日から煤払いをスタートし13日に煤払い終了となりました。
大奥では掃除する部屋の順番も決まっていたそうで、最初は身分の低い女中の部屋から始まり、最後に御台所の部屋をきれいにしたんだとか。大奥の煤払いは、大奥女中が20人ずつ交代で1日から13日まで毎日行ったといいますので、いかに大奥が巨大だったかがわかりますね。
先ほどの画像、左側にこんな女性がいます。
女性が手にしているのは青々とした笹竹。
ん、七夕と勘違いしてる?…わけではもちろんなく。
江戸時代、煤払いには今と似たようなホウキのほか、「煤竹(すすだけ)」と呼ばれる葉の茂った笹竹や、竹竿の先に藁を束ねてくくりつけたものなどを掃除道具として使っていたのです。煤払いはもともと神事なので、神聖な植物とされた笹が使われたのでしょうか。
こちらは煤竹売り。煤払いが行われる12月13日が近づくと江戸市中で煤竹売りが登場するわけです。
神聖な気持ちで臨む煤払い、掃除道具である煤竹も新品を使うことが多かったとか。江戸城では天領(幕府の直轄地)から献上された笹竹を使用したようです。
年末の風物詩として人々に年の瀬が近いことを知らせた煤竹売り。その売り声を聞いたおかみさんたちは、「ヤダもう煤竹売りがっ! 1年なんてあっという間ねぇ。煤払いってめんどうよねぇ」なんて井戸端で話していたかもしれませんね。
余談ですが、煤竹売りといえば忠臣蔵の義士のひとり大高源吾が宿敵・吉良上野介の屋敷を監視するため煤竹売りに身をやつしていたとき、俳句の師匠・宝井其角に両国橋でばったり出会い、其角の「年の瀬や 水の流れと 人の身は」という上の句に対し、「あした待たるる この宝船」と下の句を返し吉良邸討ち入りが明日であることを示唆し今生の別をしたエピソードは有名です。
ただし残念ながらこの感動シーンはのちの創作だそう。それにしても昔は年末になれば必ず忠臣蔵ドラマを放送していたのに、今ではめっきりやらなくなってしまいましたね……ちょっとさみしいです。
さて、江戸城大奥では12月13日に煤払い終了を告げる「御煤納御祝儀」という行事が行われました。
正装である裃(かみしも)を着た「御留守居役」のお役人が笹竹で払いながら「万々歳(ばんばんざい)」(「万々年(まんまんねん)」とも)と唱え、煤払い終了となります。その後、ご祝儀として手ぬぐいや反物などが配られたのだとか。
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