• 更新日:2022年4月3日
  • 公開日:2016年12月13日


煤払いのあとは畳も障子も新品に、そして最後は胴上げ!?


江戸城大奥では煤払いのあと、たくさんの畳師たちによる畳替えが行われました。広い大奥の畳替え、さぞかしたいへんな作業だったことでしょうね。大奥だけでなく武家屋敷でも煤払いのあと畳が新品に敷きかえられました。

煤払いをする武家(『武家煤払の図』喜多川歌麿 画)
『武家煤払の図』喜多川歌麿 画
こちらは大勢で楽しげに煤払いをする武家のみなさま。

拡大すると、

煤払いをする武家 左側(『武家煤払の図』喜多川歌麿 画)

手ぬぐいをかぶった女中たちが畳を持ち上げています。このあと、畳替えを行うのでしょう。鼠を追い払う女性も。画像中央には積み上げられた畳も見えます。「サァサ、みなさん、ちょっと一服しましょうか」とでも言っているのか、積み上げられた畳の前にはお茶セットを持った女性も見えます。

煤払いをする武家 右側(『武家煤払の図』喜多川歌麿 画)

足を滑らせたのか尻餅をつく武士と、それを見てキャッキャと笑う若い女性たちも。忙しいながらも楽しげな煤払いの光景は興味深いですね。

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商家の煤払いもたいへんにぎやかで大騒ぎ。

『東都歳事記』より「商家煤払い」
『東都歳事記』より「商家煤払い」

こちらはにぎやかに煤払いをする商家のみなさま。

いつの時代もマジメに掃除する人、大掃除でテンション上がっちゃってふざける人がいるようです。かなり裕福な商家のようで、煤払いのあとに畳替えもするのでしょう、画像左奥には畳を運ぶ男性が見えます。

画像右下にはこの店の主人一家でしょうか、掃除は奉公人にまかせ座敷でのんびりくつろぐ人々も。

食事をとる商家

こちらの一団は早くも食事をとっています。蕎麦らしきものをすすっている人もいますね。

蕎麦は江戸グルメの代表格として江戸っ子たちに愛されましたが、煤払いのあとにも蕎麦を食べるのが定番でした。なんでも、大奥で煤払いのあとに「煤払い蕎麦」を食べるのが行事化しており、それが武家や庶民にも広まり定着したのだとか。人々はご近所さんや知人に「煤見舞い」と称して蕎麦を贈りあったんだとか。

胃腸を整えてくれる蕎麦は“身体を清浄にしてくれる食べ物”とも考えられていたので、煤払いで汚れた身体を蕎麦でなかから清めよう、と考えたのかも。まぁ、蕎麦は手軽だしおいしいし忙しい時にはピッタリというのもあったでしょうね。

さてさて、煤払いの風景で気になるのがこれ。

江戸時代、煤払いが終わると胴上げをする様子

え?なにしてんの?

これってもしや胴上げ!?

そうなんです。江戸時代煤払いが終わると胴上げをするというユニークな風習があったんです。煤払いと胴上げの関係ですがこれがよくわかっておらず、今となってはパリピ的な(☝ ՞ਊ ՞)☝ウェーイな感じがただようばかり。

煤払い後に胴上げされる様子(大奥に胴上げされる武士)

先ほどご紹介した大奥での煤払いの光景を描いた絵のなかにも胴上げ集団がいます。

女中たちが武士を(☝ ՞ਊ ՞)☝ウェーイ。

胴上げされる武士の「やめろー!」と言う声が聞こえるよう。胴上げの風習は大奥から庶民に広まったといわれています。

煤払い後に胴上げされる様子(女中たちに胴上げされる男性)

こちらも先ほどご紹介した武家屋敷での煤払いの絵から胴上げ集団。女中たちにロックオンされたイケメンが捕まって胴上げされようとしています。

この胴上げ、とにかく誰彼かまわず標的にされる。

ただやはり若いイケメンや若い女中が標的になりやすかったようで、まあ、胴上げにかこつけてセクハラするわけであります。なので、「狙われる!」と察した者は胴上げが始まりそうになると逃げ回ったのだそう。

ここらへん、身もふたもないのですが、200年以上前でも「※ただしイケメンに限る」わけですね。

「十二日 から色男 狙われる」

なんて川柳もあります。前日からロックオンされるなんて相当なイケメンでしょう。

胴上げの発祥は一説に長野の善光寺にあるといわれています。善光寺では江戸時代初期から12月に五穀豊穣と天下泰平を夜通し祈る年越し行事「堂童子(どうどうじ)」というものがあり、その行事の仕切り役を胴上げしたのだそう。また新潟でも江戸時代初期から胴上げしていた記録が残っているんだとか。謎多き胴上げ。

煤払いのあとのイベントとして胴上げのほか、かくし芸をすることもあったそう。由来とかよくわかんないけど大奥でおもしろそうなことやってるからマネしよう精神ーー日本人のイベント好きは今も昔も変わらないようです。

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