「お歳暮」はもともと神様へのお供えを贈り合う習慣
12月になるとよく目にする「お歳暮」の文字。スーパーやデパートでもお歳暮商戦が盛んに行われていますよね。お世話になった人や会社の上司などに感謝の気持ちを込めてハムやらビールやらを送る習慣、として根付いているお歳暮。江戸時代にもお歳暮の習慣がありました。が、今とはだいぶ違う。
そもそも「歳暮」とは「年の暮れ」を意味する言葉で、年末に贈り物を贈り合うイベントのことではありませんでした。
で、贈り物も今なら「これを贈ったらあの人喜んでくれるかな?」と“相手の喜ぶもの”を贈るのが当たり前となっていますが、本来、お歳暮の贈り物は祖先の霊や歳神様へのお供えでした。
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神霊への感謝と祈りを込めたお供え物を年の暮れである「歳暮」に分家から本家へ、あるいは子から親へ贈るのがお歳暮のかつての姿だったわけです。
今なら宅急便で送るのが一般的なので、江戸時代もお歳暮シーズンには飛脚が大忙しだったんじゃないかと思うかもしれませんが、
それはナイ。
問答無用で手渡し。
日頃の感謝と新年への祝いを込めた贈り物を手渡しし、挨拶に伺うことが重要なわけで、少々遠方でも飛脚で送るなんてことはありませんでした。
親族間で行われていた歳暮の贈答はやがて武家、商人、庶民へと広がっていき、年末の一大イベントへとなっていきました。
江戸城では12月25日から「歳暮のご祝儀」として諸大名から献上物が続々と届けられたそうで、28日には御三家をはじめ徳川一門が江戸城に登城し、歳暮の贈り物と挨拶をする儀式があったようです。
贈る品も今では食品から日用品までなんでもありですが、江戸時代には塩鮭やブリ、鰹節などの海産物や餅など、大晦日に食べる「年取り膳」で食べられる食品が一般的でした。
恒例行事として当たり前になりすぎて由来とか考えたことなかったですが、お歳暮にはそんな歴史があったんですね。