キリスト教が“禁教”となった江戸時代のクリスマス


さて、江戸時代。当初、キリスト教に対し容認姿勢をとっていた幕府ですが、全国でキリシタンが増加し続けるなか、1612年(慶長17年)、最初の「禁教令」を発布し、「キリスト教、ダメ絶対」ということで“禁教”として全面的に弾圧。

踏み絵

これは「踏み絵」です。うん、教科書で見たぞ。

“キリシタン狩り”の手段として、幕府はキリストや聖母マリヤが彫られた「踏み絵」を踏ませたのですが、初期には効果があった踏み絵も“偽装棄教”するキリシタンも増えやがて形がい化。

ある地域では最終的には、

単なる正月行事になっちゃったんだとか。

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踏み絵以外にもキリシタンのあぶり出しとして、めちゃくちゃ恐ろしい拷問をされることもありました。宣教師なども見せしめに大量処刑されています。キリシタンだとバレたら信仰を捨てるか殉教するかの2つにひとつしか道はなかったのです。熱心なキリシタンは喜んで殉教するので幕府の役人は手を焼いたそう。

このように、キリスト教は江戸時代を通して弾圧され続けるなか、とてもじゃないけど、クリスマスを祝える雰囲気ではありませんでした。
しかし、キリシタンにとっては暗黒時代ともいえる江戸時代にあってもこっそりクリスマスを祝われていたのです。

例えば、仏教徒のふりをしながらもキリスト教を信仰し続けたいわゆる“隠れキリシタン”たち。彼らは幕府にバレないようこっそりとクリスマスを行いキリストの降誕を祝いました

隠れキリシタンがつくったマリア観音
隠れキリシタンたちが秘かにキリスト教を信仰するためつくったマリア観音。一見すると観音像だがじつはマリア像で、胸にはキリストを抱いています
隠れキリシタンたちは役人に見つからぬように、クリスマス・イヴを「ご産待ち」、クリスマスを「御誕生」「霜月お祝い」などと名を変えて冬至の直前の日曜日にクリスマスを祝いました。記録によれば、御神体を祭壇に祀りお供えをし、オラショ(お祈り)を唱えたあと、みんなで会食をしたんだとか。

また、訪日外国人のキリシタンたちも、日本のある地域でクリスマスを祝っていました。それは、




『出島図』(川原慶賀 画)
『出島図』川原慶賀 画

長崎の出島


江戸時代は、キリスト教禁教政策の一環として「鎖国」体制をとっており外国との交流が制限。そんななか、唯一西欧に向けて開かれていた扉の役目をしていたのが出島で、幕末に開国するまで対オランダ貿易の拠点として機能していました。

当時の訪日オランダ人キリシタンたちも、クリスマスを祝いたい。とはいえ、公然とクリスマスを祝って、せっかく良い関係を築いている幕府の心証を損いたくない。さて、どうしたらいいのか?と出島に住むオランダ人たちは考えます。

そこで目をつけたのが、長崎に住む中国人たちがやっていた「唐人冬至」という冬至の行事。(ちなみに中国も幕府の許可を得て貿易していました)

「これは使える」と思ったオランダ人。

「オランダに古くから伝わる冬至の行事、やりますね!(キリッ」という方便で、クリスマスをお祝いしたのです。


それが奇策


阿蘭陀冬至(オランダトウジ)




なんか男塾みたいだぞ、オランダ人…!



知っているのか雷電?(男塾)
なんとなく「知っているのか、雷電?」「(汗」みたいな会話がしっくりくる不思議


『阿蘭陀人食事之図』(クリスマスパーティーをする出島のオランダ人)
『阿蘭陀人食事之図』
これは「阿蘭陀冬至」つまりクリスマスパーティをする出島のオランダ人を描いたものといわれています。

シャレた椅子に腰かけ、ご馳走が並んだテーブルを囲み、ワイングラスをかたむけ、スプーンやフォークで食事をする。とても江戸時代の日本とは思えない光景です。

阿蘭陀冬至の流れはこうだ!

早朝の海上パレードで幕開け

オランダ商館出入りの貿易商らが商館に行ってプレゼントを渡す

通訳や役人にあいさつ回り

日が暮れると商館でクリパ開催!(先ほどの絵みたいなノリで)

こっそりといいながらもなかなか盛大。

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クリパには、通訳や役人、蘭学者など日頃付き合いのある日本人たちも招待。たとえば文人・蜀山人(しょくさんじん)こと大田南畝(おおたなんぽ)。長崎奉行所勤務時代にこの「阿蘭陀冬至」に招待されたらしい。

大田南畝の肖像画
表の顔は幕府の官僚、裏の顔は人気狂歌師という異色の文化人、大田南畝(『大田南畝像』鳥文斎栄 画)
当時のクリスマスパーティにはどんな料理が並んでいたのか、現在の出島で再現されています。

江戸時代のクリスマスパーティー(出島で再現)
画像引用元:おらしょ-こころ旅
なんとなく違和感を感じますが、なぜかというと、畳にテーブルなんですね

テーブルの上には、ワイン、パン、ハム、魚の丸焼きなどが並んでいます。特に目を引くのがメイン料理のこれ。

ボアーズヘッド(豚の頭がリングを加えている料理)
画像引用元:とんちゃん日記
頭だけの豚さんがリンゴをくわえてる!

さすがオランダ、さすが長崎、江戸時代には見慣れなさすぎるインパクト大の肉料理。これは「ボアーズヘッド」という肉料理で、北欧などではクリスマスに欠かせない料理なのであります。

ここで、先に紹介した『阿蘭陀人食事之図』をよ〜く見ると、テーブルの上に頭っぽいのがあります。

ボアーズヘッド(牛の頭、『阿蘭陀人食事之図』)

こちらは豚の頭ではなく、牛の頭のよう。江戸時代の日本人はほとんど豚肉や牛肉を口にしていなかったので、こんな料理が目の前に出てきたらさぞかしビックリしたことでしょうね。

招待された日本人たちも、牛の頭を囲みながら目の前で繰り広げられるイベントがまさか“禁教”の宗教行事とは思いもよらなかったでしょう。あるいは、知っていたけど黙認していた日本人もいたかもしれません。

さて、時は流れて幕末

黒船来航によって西欧への扉を開かざるを得なくなった幕府は、横浜や神戸など5つの港を開きます。黒船来航から3年後には踏み絵も廃止されました。日本人のキリスト教信仰は明治時代になってもしばらく禁じられましたが、外国人の信仰の自由と居留地内での宗教活動は幕末にはOKとなっており、日本国内でも開港地などではクリスマス行事が見られるようになりました。

江戸時代、外国人の屋敷でのパーティ(『横浜異人屋敷之図』歌川芳員 画)
横浜にある外国人の屋敷でのパーティ。チェロを弾いている男性の姿も。幕末にはクリスマスパーティもこんな風ににぎやかに行われたことでしょう(『横浜異人屋敷之図』歌川芳員 画)

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