日本で初めて登場したサンタクロースは侍スタイルだった!?
今ではクリスマスといえば光り輝くクリスマスツリーが欠かせませんが、クリスマスツリーが日本で初めて飾られたのは幕末、1860年(万延元年)のこと。プロイセンの外交官オレインブルクが用意させたのが日本初のクリスマスツリーなのです。
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ツリーに使う樅(もみ)の木がなかったため、似たような木を探すのも一苦労。オーナメントには、オレンジや梨などのフルーツ、砂糖菓子、キャンドルが吊り下げられたそうです。日本初のクリスマスツリー、どんなものだったのか見てみたい。
もうひとつ、いや、もうひとり、クリスマスに欠かせない人物がいます。
そう、サンタクロース。
サンタさんのファッションといえば、赤と白の服と帽子に真っ白な豊かなヒゲですが、日本初のサンタクロースはそんな定番イメージとは全然違いました。
日本初のサンタクロースは、なんと裃(かみしも)を着用し、腰には大小の刀を帯びた侍ルックだったらしい。
裃、大小の刀というと、まあこんな感じなわけですが、
サンタクロース観、ゆらぐな〜。
この侍サンタさんが登場したのは、1874年(明治7年)のこと。
明治時代、東京の築地は外国人居留エリアで各国の領事館や教会、ミッション系のスクールがありました。日本人による明治最初のクリスマスが行われたのも築地の学校だそう。そこで、維新後にクリスチャン実業家として活動した原胤昭(たねあき)という人物がクリスマス会を開いたんだとか。原は江戸生まれの元幕臣で、明治になってキリシタンとなり、入信の記念にクリスマス会を開いたらしい。のちに原が「神田明神の祭礼のような気持ちでやった」と語っているように、だいぶ…いや、かなり純和風なクリスマス会だった模様。その流れで侍サンタが登場したわけです。ちなみに記念すべき日本初サンタに扮したのは、元幕臣の牧師・戸田忠厚というお方です。
次に、この絵もぜひ紹介したい。
こちらのサンタクロースっぽいおじいさんは、その名も三太九郎(さんたくろう)。
また男塾の民明書房みたいなノリなのですが、これは1898年(明治31年)に発行された、教会に通う子どもたちのために書かれた物語『さんたくろう』の挿絵。
これこそ国産初のサンタクロースの絵といわれています。
お供に連れているのがトナカイではなくロバ。プレゼントが入っているのがカゴというのもおもしろい。
『さんたくろう』のあらすじ
「三太九郎」の正体は井口五郎というおじいさんで、行き倒れていたところをクリスチャンの一家に助けられ自分もクリスチャンとなり、恩返しにクリスマスの夜、その家の子どもたちにプレゼントを贈る、というなんともユニークな物語。
「三太九郎」の正体は井口五郎というおじいさんで、行き倒れていたところをクリスチャンの一家に助けられ自分もクリスチャンとなり、恩返しにクリスマスの夜、その家の子どもたちにプレゼントを贈る、というなんともユニークな物語。
サンタさんって妖精の類だと思っていたのに、まさか普通のおじいさんだったとは・・・夢があるようなないような・・・。
大正時代になると現代とほぼ同じようなサンタさんが子ども雑誌の挿絵にもたくさん描かれるようになり、現代に続くサンタさんの定番イメージが浸透していきました。
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