大奥女中たちも熱狂した「かるた賭博」って?
江戸時代、「かるた」も賭博として大流行していたーーと聞くと、現代人にはいまいちピンとこない。
「かるた」と聞くと、「いろはカルタ」や「小倉百人一首」のような女性や子どもが好きなカードゲーム、というイメージがあるかと思います。それらも江戸時代から人気だったのですが、ギャンブルとしての「かるた」が江戸時代にはあったのです。
安土桃山時代、鉄砲やキリスト教などと一緒にポルトガル人によって日本にカードゲーム文化がやってきました。ちなみに「かるた」という言葉の語源は、カードゲームを意味するポルトガル語の「carta」なんだとか。
で、その後、海外から入ってきた「かるた」に日本独自のアレンジを加えた「うんすんカルタ」というものが誕生します。
カードは5種類(聖杯・巴・貨幣・棍棒・剣)でそれぞれ15枚の計75枚。種類ごとに1〜9までの数札と七福神(うん)、唐人(すん)、龍などを描いた絵札があります。トランプに似ていますね。
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ルールは説明すると長くなるので省略しますが、この「うんすんカルタ」はあふれる南蛮趣味とゲームとしてのおもしろさからまず上流階級で人気となり、その後、庶民に広まりました。大奥でもかるた賭博が密かに行われていたとかいないとか……。
双六同様、かるた賭博も幕府がなんども禁止令を出したのですが、当然、守られるわけもなく、熱狂しすぎた人々によってトラブルが起こることも多々ありました。
教科書にも出てきた有名改革「寛政の改革」でも、賭博用のかるたの製造と販売の一切を禁止するほど(1787年 天明7)。
「寛政の改革」といえばこの人。
老中・松平定信。
いかにもマジメで潔癖そう。定信、ギャンブル嫌いだったに1両賭けよう。
これにより「うんすんカルタ」は表舞台から姿を消すのですが、「あー、かるた賭博やりたいぃぃ!!」という人々はあとを絶たず。
そして、現代にも続く新たなかるた賭博が誕生することになるのです。
それがこれ。
花札。
すてきなデザインもヒットの要因! 江戸時代に誕生した「花札」
幕府の禁令から逃れるためにあれこれ工夫した努力の結晶が花札。
「うんすんカルタ」をイメージさせる南蛮趣味を一掃し、インテリジェンスあふれる花鳥風月をデザインした絵柄。カードのサイズも従来の「うんすんカルタ」の1/4ほどとコンパクトになりました。
とはいえ、花札もやはり幕府から目をつけられ、幕末には禁止令が出されやがて販売も禁じられました。
が、明治もしばらくしてから花札は販売が許され、再び人々は花札に熱狂することになりました。
ちなみに、あのSwitch・DS・Wiiを手がける任天堂はもともと花札の製造・販売する会社です。つまり、創業以来一貫して娯楽事業を手掛けてるというわけです。