• 更新日:2017年8月18日
  • 公開日:2016年6月19日


食べ物編

夏だからこそおいしい! しかも夏バテにも効果バツグン!?

続きまして夏グルメ。夏の定番食べ物といえば、鰻に冷やし中華、カキ氷などを思い浮かべますが果たして江戸の夏グルメはどんなものなんでしょうか。

その1 鰻(うなぎ)

夏のスタミナ食といえば鰻。土用の丑の日ともなればスーパーには鰻がズラリと並びますよね。

江戸の夏にも鰻は欠かせないもので、海水の混じった隅田川や深川でとれた鰻は特においしいとされ、江戸っ子たちは「鰻は江戸前に限る!」と自慢にしたとか。

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現代のような蒲焼スタイルの鰻が登場したのは江戸時代中期のことといわれます。

料理人がいきのいい鰻をさばいています。左上には「かばやき」と大書した看板も(「かばやき沢村訥升」歌川国芳 画)
料理人がいきのいい鰻をさばいています。左上には「かばやき」と大書した看板も(「かばやき沢村訥升」歌川国芳 画)
ですが日本人が鰻を食べるようになったのはもっとずっと大昔、なんと新石器時代までさかのぼるそう。

奈良時代にはすでに夏のスタミナ食として食べられていたといわれる鰻ですが、蒲焼登場以前は長いままもしくはブツ切りにした鰻を串に刺し丸焼きにしました。

味付けは塩や味噌、酢。ただし、この鰻の丸焼きは泥臭いうえに脂っぽいことからあまり人気はなかったそう……。

そんな不人気グルメだった鰻も蒲焼という調理法の登場により一気に大人気グルメに大変身。さらに18世紀後半には醤油、味醂が普及し現代に似たような味のタレとなり、ますます鰻人気は高まりました。

ちなみに、「関東の背開き、関西の腹開き」といわれるように、鰻の開き方は東西で異なり、その理由について「武都・江戸では切腹を連想させる腹開きを嫌った」という説が有名ですがどうも俗説の域をでないみたいです。

今でも受け継がれる「土用の丑の日に鰻を食べる」という習慣のルーツについても、マルチな天才・平賀源内が売り上げ不振に悩む鰻屋に頼まれて「本日土用丑の日」のキャッチコピーを考案した、という説が有名ですが、超有名マルチ文化人・大田南畝(蜀山人)考案説や学者・貝原益軒考案説もあり真偽のほどは不明です。

エレキテルで有名な平賀源内。時代を先取りしすぎた天才として有名
エレキテルで有名な平賀源内。時代を先取りしすぎた天才として有名
さて、屋台グルメとして庶民の舌を楽しませていた鰻ですが、江戸時代後期になると鰻専門料理屋も続々登場、江戸市中だけで数百件もあったといわれています。江戸の人、鰻好きすぎ。

また、鰻の有名店では「鰻切手(うなぎきって)」というものも販売。これはなんと鰻の商品券です。贈答用として人気があったといいますから、いかに鰻が大人気の食べ物だったかうかがえます。

ちなみに、うな丼が登場したのは江戸時代後期の文化期(1804~18)頃といわれ、「大野屋」という鰻屋が「元祖鰻めし」として売り出したのが最初といわれています。うな重登場はさらにあと、大正時代なんだとか。

その2 心太(ところてん)

お次は夏の涼味として人気のところてん。奈良時代にはあったといわれ、江戸時代になると夏を知らせる庶民の味として人気を集めました。

初夏ともなればところてん売りが「ところてんやァ、てんやァ」という独特の呼び声で町を売り歩きました。

ところてん売りが「ところてん突き」でところてんをお客の皿に突き出しています。今と同じです。(『新文字絵づくし』より)
ところてん売りが「ところてん突き」でところてんをお客の皿に突き出しています。今と同じです。(『新文字絵づくし』より)
味付けは砂糖やきなこをまぶして食すのが一般的だったそうですが、江戸では醤油が普及すると醤油をかけ、芥子(からし)をつけることも。

値段は1~2文(約25~50円)とお手軽プライスで、庶民の夏のおやつとして大人も子どもも大好きでした。

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