• 更新日:2017年8月18日
  • 公開日:2016年6月19日


娯楽編

近場で楽しむ! 暑さをふきとばす夏レジャー

最後は夏ならではのイベントをご紹介。暑い夏にもいろいろな楽しみがありました。

その1 花火

日本で最初に花火見物をしたのは、神君・徳川家康だといわれています(諸説ありますが)。家康が幕府を開いてから10年後の1613年(慶長18)のことだそう。

当初、花火は中国など外国製で、打ち上げも外国人が行っていましたが、泰平の世となり出番のなくなった鉄砲師や砲術師らにより次第に日本人の手で花火の製造、打ち上げが行われるようになったとか。

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花火大会で特筆すべき大イベントは、1733年(享保18)に行われた「両国川開き」です。

現代の隅田川花火大会のルーツである両国川開き(『東都両国夕涼之図』歌川貞房 画)
画像手前の両国橋には人、人、人!川にも花火見物の屋形船がたくさん(『東都両国夕涼之図』歌川貞房 画)
始めたのは“暴れん坊将軍”こと8代将軍・徳川吉宗

前年に起きた「享保の大飢饉」とコレラ流行を受け、慰霊と悪霊退散を祈願して行われることになった「水神祭」の一環として花火大会が催されました。

これ以後、両国川開きの花火は毎年恒例となり、約300年後の現代にも続きます。それが、テレビ中継もされる大イベント隅田川花火大会なわけです。

ちなみに、今でも花火大会で「玉屋ァ~!」「鍵屋ァ~!」というかけ声を聞くことがありますが、これは「玉屋」と「鍵屋」という2大花火店が江戸にあったことに由来します。

「鍵屋」から暖簾分けしてできたのが「玉屋」で、両国川開きでは両国橋を挟んで上流を「玉屋」、下流を「鍵屋」が担当し、互いに競い合うように花火を打ち上げました。

その時に見物客が「玉屋~」「鍵屋~」とかけ声を飛ばして、それぞれの花火に称賛の声を送ったのです。

両国川開きは浮世絵にも数多く描かれています。当時の花火大会で打ち上げられた花火は20発ほどだったとか(『名所江戸百景』「両国花火」歌川広重 画)
両国川開きは浮世絵にも数多く描かれています。当時の花火大会で打ち上げられた花火は20発ほどだったとか(『名所江戸百景』「両国花火」歌川広重 画)
現在の花火はカラフルですが、江戸時代の花火は淡いオレンジ色の1色だけ明治時代になって海外から多くの化学薬品がもたらされると現代のようなカラフルな花火が誕生しました。

さて、大人たちは花火大会をひと目見ようと大川(現在の隅田川)に繰り出し夏の夜を楽しみましたが、子どもたちだって花火は大好き。

線香花火や癇癪玉などの「おもちゃ花火」は江戸時代からあり、数百年前の子どもたちも今と同じように楽しみました

花火で遊ぶ江戸時代の子どもたち(『子供遊花火の戯』)
花火で遊ぶ子どもたち。ちょっと逃げ腰の子もいるのが微笑ましい(『子供遊花火の戯』)

その2 舟遊び

暑い夏でも川を渡る風は涼しいもので、屋形船で納涼、なんてオツでいいですよね。

舟遊びの原型は平安時代の貴族の遊びにあるといわれ、平和な江戸時代に、河川整備が進んだ“水の都”江戸で粋で風流な遊びとしてブームとなりました。

花火大会を描いた浮世絵にも大小無数の屋形船が水上にひしめいています。

はじめは、大名など武家だけが豪華で大型の屋形船を建造し楽しんでいましたが、やがて質素な小型屋形船も登場し庶民も舟遊びを楽しむようになったとか。

男女グループが舟遊びを満喫中。手前の小型舟では魚をさばいています(『吾妻橋下の舟遊び』鳥居清長 画)
男女グループが舟遊びを満喫中。手前の小型舟では魚をさばいています(『吾妻橋下の舟遊び』鳥居清長 画)

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