• 更新日:2017年8月18日
  • 公開日:2017年2月3日


江戸時代の看板は種類がいっぱい


江戸時代の看板は業種や商品ごとにある程度、パターン化されていたようです。どんな種類があったのかみていきましょう。

その1 もっともポピュラーな「軒看板」

一番多かったのがこのタイプ。お店の軒に吊り下げる板状の看板です。店の左右どちらから見てもわかるように両面に絵や文字が書いてありました。

筆屋さんの看板(『摂津名所図会』より「有馬温泉」)
軒先に吊るされている筆屋さんの看板(『摂津名所図会』より「有馬温泉」)

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その2 メインストリートの大店は「建看板」

大通りに面した店などによく見られる看板で、長い支柱を路上に立て看板を吊るします。現・三越伊勢丹デパートにつながる大店・三井越後屋の立派な建看板は浮世絵にもよく描かれています

三井越後屋の建看板(『東都名所 駿河町之図』 歌川広重 画)
『東都名所 駿河町之図』歌川広重
こちらは「駿河町」という江戸屈指のショッピングエリア。江戸城の向こうに富士山をのぞむことからその名がつきました。

「現金掛け値なし」という新商法で大店となった三井越後屋があったのもこの場所です。この浮世絵の右側、「三」の文字がデザインされた屋号が染め抜かれた暖簾が目を引くお店が三井越後屋です。

ちなみに通りの反対側も三井越後屋です。つまり通りを挟んで三井越後屋の建看板が奥までズラリ。1階の屋根を越える巨大な看板、これは間違いなく目立つぞ。

三井越後屋の建看板(『富嶽三十六景 江戸駿河町三井見世略圖』 葛飾北斎 画)
北斎の代表作にも三井越後屋の看板は登場してます(『富嶽三十六景 江戸駿河町三井見世略圖』 葛飾北斎 画)
ちなみに大坂は江戸より道幅が狭かったので、こうした建看板はあまりなかったんだとか。

その3 高いところでバッチリ目立つ「屋根看板」

建看板が立てられないような狭い通りでもバッチリ目立つのが屋根の上に設置するこのタイプの看板。

江戸時代の薬屋と看板(『江戸名所図会』より「本町 薬種店」)
『江戸名所図会』より「本町 薬種店」
こちらは江戸の本町という場所。描かれているのは大きな薬屋さん。画像中央には立派な建看板が見えます。暖簾には「鰯屋」という店名が。そして画像左、屋根の上にご注目。

江戸時代の屋根看板(『江戸名所図会』より「本町 薬種店」)

これが屋根看板です。めちゃくちゃデカイ。

ちなみに画像左端に見える「薬種」と大書された看板は薬袋のかたちをしたユニークなもので、「袋看板」という薬屋独特のもの。実物はこんな感じ。

薬屋の袋看板(岐阜の「大和屋久兵衛」のもの)
画像引用元:くすりの博物館
うん、おもしろい。ちなみにこちらの袋看板は岐阜の「大和屋久兵衛」という店名の薬屋さんのものです。

その4 通りに設置する出し入れも可能な「箱看板」

店頭の路上に置く箱型タイプの看板がこれ。書店や白粉屋、小間物屋などでよく見られました。

江戸時代の大手の書店「泉屋」(『東海道名所図会』より)
『東海道名所図会』より
こちらは「泉屋」という大手の書店。

店内には美人力士、風景を描いた浮世絵や本などがズラリと並んでいます。間口もかなり広い立派な本屋さんです。

多くの人が行き交う路上、店頭のちょっと先に箱看板があります。

江戸時代の看板「錦繪」「さうし問屋 泉屋市兵衞」(『東海道名所図会』より)

これ。

「錦繪」「さうし問屋 泉屋市兵衞」と書いてあります。

江戸時代の白粉屋の箱看板(『守貞漫稿』より)

こちらは江戸時代後期の風俗百科事典『守貞漫稿』に描かれた白粉屋の箱看板。江戸も大坂も白粉屋さんは同じような看板だったらしい。

同じページに元禄時代の白粉屋の看板が掲載されているのですが、看板ぽくなくておもしろい。

こんな感じ。

元禄時代の白粉屋の看板(『守貞漫稿』より)

なんだろう? 積み木かな? いいえ、看板です。

なんか鳥の絵が描いてあるのもワケわかんないですね。白粉屋と鳥、原文を読むと、どうやらこの鳥は鷺(さぎ)で、「白粉も白いし鷺も白いし!」という、いってしまえば駄洒落らしい。

えぇ…ちょっと無理あるぞ…。

江戸時代のタバコ屋(『山東京伝の見世』喜多川歌麿 画)
『山東京伝の見世』喜多川歌麿
こんどはタバコ屋さん。にぎわっています。煙草入れを熱心に選ぶ女性客の姿も見えます。

画像右上には店名や商品名を書いた軒看板があります。画像左下には同じく商品名や店名が書かれた箱看板があります。立派な暖簾もかかっていますし、相当、広告に力を入れているお店のようです。

ちなみに。こちらのお店の店主はベストセラー作家の山東京伝。原稿料だけでは生活が苦しいので、現在の銀座に煙草屋を開いていました。文才だけでなく商才もあった京伝は、自店の宣伝を自分の作品内でしたり、なぞなぞ仕掛けのチラシを配ったりと斬新なアイデアの広告活動を行い、商売でも成功を収めました。さらに、自身の煙草屋で販売する煙草入れのデザインも手がけ、人気商品になったんだとか。どんだけ才能あるんだ。

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その5 店先を飾る据え置きタイプの「置看板」

店の正面に置く看板で、衝立(ついたて)のようなかたちをしているのが特徴。薬屋をはじめ、白粉屋、紙屋などでよく使われたそう。

薬屋さんの置看板「神教丸」
画像引用元:くすりの博物館
これは中山道の街道筋にあった薬屋さんの置看板。「神教丸」というものものしいネーミングのそれは下痢や腹痛の薬で、旅人に大人気だったとか。ものすごく立派な看板からはものすごい効能を予感させます。

その6 暗い夜を照らす「行灯(あんどん)看板」

江戸時代、ろうそくなど照明器具はありましたが値段も高価なため、夜間営業するお店は限られていました。そのなかでも料理屋、宿屋、妓楼、船宿など夜でも営業しているお店が使ったのがこの「行灯看板」です。

「行灯」とは江戸時代の代表的照明器具で、紙を貼った箱状の照明器具のなかに灯油(ともしあぶら)を入れる小皿を設置し火を灯しました。

なので「行灯看板」とは照明付き看板ということになります。

両国の花火を船上で楽しむ人々(『東都名所 両国の涼』歌川国芳 画)
『東都名所 両国の涼』歌川国芳
こちらは江戸っ子が熱狂した夏の一大イベント、両国の花火を船上で楽しむ人々。画像中央にいる船は「うろうろ船」というユニークな名前を持つ物売り船で、船客のために団子や果物などを売りました。その「うろうろ船」の目印となったのが、真っ赤な行灯看板です。赤い光が水面に映ってとても幻想的ですね。

江戸時代の猿若町(『名所江戸百景』「猿わか町よるの景」歌川広重 画)
『名所江戸百景』「猿わか町よるの景」歌川広重
今度は夜の江戸の繁華街。芝居小屋が集まった猿若町というところです。夜でもすごい人出ですね。月明かりとともに人々を照らすのは、提灯や店から漏れる灯り。画像右端の中央に行灯看板の一種「掛行灯(かけあんどん)」が見えます。

現在とは比べものにならないくらい真っ暗だった江戸時代の夜。行灯看板の明かりはさぞかし明るく感じられたことでしょう。

その7 カジュアルなお店によくある「旗看板」「幟(のぼり)看板」

木製や金属製の立派な看板ではなく、布の旗や幟を使ったシンプルな看板がこれ。寿司屋やお茶漬け屋、汁粉屋のほか釣り堀、紅屋などで使われました。

江戸時代の稲荷鮨の屋台(『近世商売尽狂歌合』より)
『近世商売尽狂歌合』より
こちらは大人も子どもも大好き、いなり寿司の屋台。「稲」「荷」「鮨」と書かれた提灯看板のほか、キツネのお面を染め抜いた幟が立っています。これが看板です。

余談ですが、いなり寿司が登場するのは江戸時代も終わり頃で、最も安い寿司として庶民の間で大人気になりました。「稲荷鮨」というネーミングの由来については諸説ありますが、江戸っ子が一番信仰した稲荷神社の使いであるキツネの好物が油揚げだから、油揚げを使ったお寿司=稲荷鮨となったとも。なので看板にもキツネがいるんですね。

江戸時代のてんぷらの屋台(深川江戸資料館の再現版)

こちらも庶民に大人気グルメ、てんぷらの屋台です(深川江戸資料館の再現版)。○に「天」と書いたシンプルな旗看板があります。

紅屋の幟看板(『守貞謾稿』)

これは『守貞謾稿』に書かれた紅屋の幟看板。説明によるとこのタイプの看板を使ったのは江戸の紅屋だけで大坂や京では使わなかったらしい。地域変われば看板も変わるわけです。

その7 時代劇などでもおなじみ「障子看板」

通りに面した障子に店名などの文字を書いて看板にしたのがこれです。居酒屋、髪結床(かみゆいどこ/理髪店のこと)、茶屋、米屋、魚屋、一膳飯屋などで多く見られました。

江戸時代の木賃宿。障子看板も見える(『木曽海道六拾九次』「御嶽」歌川広重 画)
『木曽海道六拾九次』「御嶽」歌川広重
画像右に見えるのは木曽街道沿いの「木賃宿(きちんやど)」というリーズナブルな簡易宿泊所。燃料の薪代だけを払って食事は自炊するシステムでした。

囲炉裏を囲んで旅人たちが楽しそうに食事をしています。宿の障子に「きちん宿」と大きく書かれていますが、これが看板の役割をしたんですね。

江戸時代の看板の種類は、ざっとこんな感じです。

ほかにも、誰が見ても「これを売っている店か」とわかるように、看板代わりに実物を軒先にぶら下げる店なんかもありました。

余談ですが、居酒屋に入ろうとするサラリーマンが「オヤジ、もう看板かい?」なんて言っているシーンがドラマなんかでもありますよね。
この言い回しは、江戸時代に閉店の際に看板を店内にしまったことに由来するんだとか。こんなところにも江戸時代の名残があるんですね。

200年以上も昔にこんなにいろんな種類の看板があったことに驚きますが、驚くのはまだ早い。

お次は芸術的かつユーモアたっぷりのオモシロ看板をどどーんとご紹介します。

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カテゴリ:雑学、ネタ

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