• 更新日:2017年8月13日
  • 公開日:2017年8月11日


乾いたカラダに潤いを! 夏の飲み物いろいろ


冷水をご紹介したついでに、江戸時代の人々の夏のカラダを潤した夏ドリンクをご紹介しましょう。

その1 麦茶


江戸時代の麦茶のお店(歌川国周 画)
麦茶のお店でちょっと一服。「麦湯」と書かれた看板のド派手なこと(歌川国周 画)
夏の飲み物といえばやっぱり麦茶でしょう。麦茶には体温を下げてくれる効果があるそうですから、まさに夏にピッタリ! 余談ですが6月1日は「麦茶の日」らしいです。

麦茶の歴史は意外と古く、平安貴族たちも麦茶を飲んでいたそう。長らく貴族や武家など特権階級の飲み物だった麦茶ですが、江戸時代後期になると庶民にも広く飲まれるようになります。江戸の市中にも麦茶を提供する「麦湯店」が夏の夜の風物詩として出現、「麦湯の女」と呼ばれた看板娘の若い少女(15歳くらい)が出してくれる麦茶を片手に涼み台に腰かけ夕涼みと洒落込みました。

麦湯の女。麦茶を提供する「麦湯店」の看板娘(『十二ケ月の内 六月門涼』渓斎英泉 画)
涼しげな浴衣姿と愛想のよい接客で江戸の男性たちのハートをわしづかみにした「麦湯の女」は浮世絵などにもよく描かれました(『十二ケ月の内 六月門涼』渓斎英泉 画)
麦茶のお値段は1杯4文(約80〜100円)とお手軽プライス。

麦湯店では麦茶以外にも、くず湯やあられ湯などの各種飲み物を提供していたそう(ただし食べ物はない)。ちなみに麦茶=冷たいというイメージがありますが、江戸時代には冷蔵庫とかありませんのでおそらくホット麦茶です。

電灯のない江戸の夜。「麦湯」と書かれた麦湯店の行灯の灯りは江戸の夜をほのかに彩ったことでしょう。

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その2 甘酒


甘酒売り(明治中期頃撮影)
明治中期頃に撮影された甘酒売り。引用元:長崎大学附属図書館
“飲む点滴”として女性を中心に近年大ブームの甘酒。従来のイメージを覆すようなバリエーション豊かな甘酒が登場した今日この頃、冷たい甘酒も珍しくなくなりましたが、一般的に甘酒といえばホットドリングで「冬の飲み物」という印象が強いんではないでしょうか。

ところが江戸時代、上方では甘酒といえば夏だけの飲み物で、甘酒を売り歩く甘酒売りは夏の夜にだけ現れる風物詩でした。じつは俳句の世界でも甘酒は夏の季語なのです。

対して江戸では甘酒はもともと冬の飲み物でしたが、江戸時代後期になると夏にも甘酒売りが登場するようになり、甘酒は1年を通して飲まれるようになったそうです。

江戸の甘酒売り(奥)と上方の甘酒売り(手前)(『守貞謾稿』より)
『守貞謾稿』に描かれた江戸の甘酒売り(奥)と上方の甘酒売り(手前)。江戸の甘酒売りは箱の上に真鍮製の釜が置かれていて目印になっていました。
甘酒の値段は上方と江戸でちょっと異なり、江戸時代後期の場合、上方では1杯6文(約120円)、江戸では1杯8文(約160円)でした。

麦湯もそうですが、暑い夏に熱い飲み物を飲むことは逆によい暑気払いになったのかもしれませんね。

その3 枇杷葉湯(びわようとう)


枇杷葉湯売りは江戸の夏の風物詩(『職人尽絵詞』より 鍬形蕙斎 画)
江戸の夏の風物詩となった枇杷葉湯売り(『職人尽絵詞』より 鍬形蕙斎 画)
「枇杷葉湯」というのはちょっと聞き慣れない名前ですが、これは乾燥させた枇杷の葉に肉桂(シナモン)や甘茶などをブレンドした薬湯です。暑気あたりに効果があるので、夏になると江戸の市中には枇杷葉湯売りが出現しました。

枇杷葉湯売りは無料で枇杷葉湯を試飲させてくれたそう。枇杷葉湯売りは薬売りなので、試飲はあくまでおまけ、販売するのは薬湯のもととなる茶葉でした。でも幕末には経営が苦しくなったのか、試飲も有料になったんだとか。世知辛いッス。

ドリンクの次はスイーツ。

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