• 更新日:2017年8月13日
  • 公開日:2017年8月11日


みんな大好き! 甘くて冷たい夏のおやつ


最後は夏スイーツ特集。今だとアイスクリームやかき氷、ゼリーなんかがド定番ですがどれも江戸時代にはないものばかり。では江戸時代の人々は暑い夏のおやつにどんなものを食べていたんでしょうか。

その1 ところてん


江戸時代のところてんを手にもつ男性(『当盛六花撰 紫陽花』歌川豊国・歌川広重 画)
紫陽花をバックにした浴衣姿のイケメン(右)が手に持っている器には、ところてんらしきものが(『当盛六花撰 紫陽花』歌川豊国・歌川広重 画)
つるりとした喉ごしとさっぱり感で現代でも夏のおやつとして人気のところてん。

ところてんの歴史には謎が多いのですが、奈良時代にはすでに食用されていたと考えられています。そしておそらく中国伝来。

ところてんを漢字で書くと「心太」になるのはご存知の通りですが、なぜこの字が当てられるようになったのかについても諸説あり定かじゃないんだそう。一説に、「心太」と書いて「こころぶと」と読んでいたのが、「こころてい」になりやがて「ところてん」になったとも。

さて江戸時代、ところてんは庶民の夏のおやつとして定着しました。夏になると「ところてん売り」が現れ、「ところてんやァ、てんやァ〜」と呼ばわりながら江戸市中を売り歩き、突きたてのところてんを皿に乗せ客に提供しました。

江戸時代のところてん売り(『絵本江戸爵(えどすずめ)』より 喜多川歌麿 画)
『絵本江戸爵(えどすずめ)』より 喜多川歌麿
こちらはところてん売りと、ところてんを美味しそうに食べるお客さん。お箸の持ち方がじつに上品です。ところてん売りの手にはところてん突きが見えます。ところてん売りが商売道具を収納した箱は格子状になっており、見た目にも涼しさを演出していたんだそう。なんとも粋ですねぇ

現代、ところてんといえば「関東は酢醤油、関西は黒蜜」と味付けが大きく異なりますが、これは江戸時代から続く伝統スタイル。

『守貞謾稿』によれば、江戸ではところてんに砂糖もしくは醤油をかけ、上方では砂糖だけ、とあります。江戸のところてんは辛子醤油もかなりポピュラーな食べ方でした。また、きな粉をまぶして食べる、というスタイルもありました。

なお、ところてんのお値段は1杯1〜2文(約20〜40円)ととってもリーズナブルで、夏ともなれば大人も子どももところてんで涼をとりました。

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その2 西瓜(スイカ)


スイカを食べる江戸時代の女性(『名酒揃』より 歌川国芳 画)
しどけなく浴衣を着崩した美女の手には真っ赤な西瓜。種をほじっていたらなにかに気を取られたのか、指が西瓜を貫通。なんかイヤらしいな(『名酒揃』より 歌川国芳 画)
アフリカ原産のスイカが日本にいつ伝来したのかはよくわからないのだそうです。戦国時代に長崎に伝わったとも、江戸時代初期に伝わったとも、はたまたもっとずっと以前に日本にやってきたとも。とはいえ、江戸時代中期には各地でさまざまな品種の西瓜が栽培されており、夏の食べ物として人々にも親しまれるようになっていました。七夕の食卓ではそうめんとともに西瓜は欠かせない食材でした。

夏の土用は虫干しの日。虫干しをする女性の前に角切りの西瓜(『十二月の内 水無月 土用干』部分 三代歌川豊国 画)
夏の土用は虫干しの日。カビ防止のため着物を虫干ししながら団扇を仰ぐ女性の前には大皿に盛られた角切りの西瓜が(『十二月の内 水無月 土用干』部分 三代歌川豊国 画)
現在の西瓜はとっても甘いですが、これは品種改良の賜物。江戸時代の西瓜は甘くなかったそう。それでも赤い果肉がもたらす水気は、喉を楽しく潤してくれたことでしょう。

江戸時代、真夏の路上で西瓜や桃、瓜などを売るお店(『東都歳事記』「盛夏路上の図」斎藤月岑 編纂/長谷川雪旦 画)
『東都歳事記』「盛夏路上の図」斎藤月岑 編纂/長谷川雪旦 画
こちらは真夏の路上で西瓜や桃、瓜などを売るお店。果物を意味する「水菓子」の看板が見えます。店の主人がまな板の上で西瓜をカットしていますね。西瓜と同様、桃や瓜(マクワウリ)も夏の代表的なフルーツでした。もうちょっと季節が下るとぶどうも登場しました。

おまけで、現代では夏のおやつとして人気ながら江戸時代には全然おやつじゃなかったもの。

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