酒屋で買う酒は量り売り
樽廻船に揺られ大坂から江戸へ運ばれた酒樽は、江戸の港で小船に積み替えられると、
酒問屋
↓
仲買業者
↓
江戸市中の小売酒屋
↓
消費者
というルートを辿りました。
さて、江戸の街にはかなり早い時期から酒屋があったそう。その後、酒屋の数は時代とともに増え続け、江戸時代中期には江戸のあちこちに酒屋があるほどになりました。
こちら、江戸の酒屋さんの店内です。
画像左の棚をご覧ください。上の段には酒樽や菰樽(こもだる)が並んでいます。酒好き憧れの名酒「剣菱」のロゴも見えます(左から2番目)。いろんな種類の酒を扱っていたようですね。
下の段には樽や角樽(つのだる)、徳利といったさまざまな酒器がたくさんあります。
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店の入り口に目を向けますと、水を張った大きな桶があり、傍に徳利が2本置かれています。この桶は酒屋の入り口に必ずあったそうで、ここで徳利を洗いました。
こちらは元禄時代のイラスト付き生活百科事典『人倫訓蒙図彙(じんりんくんもうずい)』に描かれた酒屋の風景。おつかいを頼まれたのでしょうか。子どもが酒を買っています。今なら年齢確認NGで売ってくれないぞ。
店員である女性の横に大きな酒甕があり、女性は子どもの持っている徳利のなかに酒を注いでいます。
このように、江戸時代の酒屋では量り売りで酒を販売していました。
これは「貧乏徳利(びんぼうどくり)」と呼ばれる粗末な素焼きの徳利。酒屋の店内の棚に並んでいた徳利がこれです。一升以下の酒を所望するお客はこうした徳利に酒を注いでもらって持ち帰り、自宅などで酒を飲んだのです。
徳利はあとで店に返却したものと思われます。
余談ですが、画像左上にご注目。
これ、なんだと思いますか?タワシじゃあない。
じつはこのモジャモジャは「酒林(さかばやし)」という名前のもので、酒屋の看板です。杉の葉でできているので「杉玉」とも呼ばれ、今でも酒屋の入り口で見かけることもあります。
この不思議な看板を酒屋が使うようになった由来は、酒造りの神さま・大物主神を祀る三輪神社(奈良県)が杉の木をご神木にしていたことからなんだとか。
話を酒屋に戻して。
酒屋では酒の量り売りをしたほか、店先でお客に酒を提供することもありました。いわば「立ち飲みスタイル」です。
独身男性がたくさんいた江戸の街、手軽に酒を飲めるとあって酒屋での立ち飲みは大人気。仲間同士で連れ立って酒屋に酒を飲みに行くグループもいれば、“ひとり酒”を楽しむ者もいたようです。
酒屋での立ち飲みが人気になると、オリジナル商法で大評判を呼ぶ酒屋も登場します。それが、神田鎌倉河岸(現・東京都千代田区内神田)にあった「豊島屋」という酒屋です。ちなみに、豊島屋は現在でも営業中です(店の場所はちょっと移動しましたが)。
豊島屋が打ち出したオリジナル商法。
それはーー
酒を激安価格で売る
&
酒の肴として、ビッグサイズの豆腐田楽を激安価格で提供する
&
酒の肴として、ビッグサイズの豆腐田楽を激安価格で提供する
ということ。
店先で焼くビッグサイズの豆腐田楽はいかにもおいしそうで、たくさん人が集まってきました。しかし!食べられるのは店内で酒を飲むお客だけ。
豊島屋は、酒を飲むお客のためだけに1串2文(約40円)という激安プライスで豆腐田楽を提供したのです。
安い!
しかも安いのは田楽だけじゃない。酒も1合8文(約200円)という激安価格で提供しました。安いが止まらない!
格安プライスでうまい酒と田楽(しかも大きい)が楽しめる豊島屋には、日雇い労働者やその日稼ぎの独身男性、武家の奉公人などあまりお金を持っていない男性陣らが押し寄せたそうです。
「そんなに安く売ってばっかりで豊島屋の経営は大丈夫だったの?」と疑問が湧きますが、豊島屋はカラになった酒樽を売ってもうけにしていたそうです。江戸時代には空樽も立派な売り物になったんですね。さすが、リサイクルが徹底していたことで有名な江戸時代です。
こんな風に江戸時代の酒屋ではお客に酒を提供していたのですが、酒屋で酒を飲むことを「居酒(いざけ)」といいました。
酒屋にとって「居酒」はあくまでおまけ的なものだったのですが、やがて店内でお客に酒を提供することを本業にする店も登場します。
それがそう、居酒屋です。
居酒屋が誕生したのは江戸時代だったんですね〜。