【長屋に住むのは36歳未亡人】江戸下町を再現した深川江戸資料館のこだわりが半端ない

  • 更新日:2017年8月18日
  • 公開日:2017年3月25日

東京都江東区にある深川江戸資料館。そこは、知る人ぞ知るこだわりすぎの資料館。江戸時代の下町を完全再現した深川江戸資料館のここが凄い!を紹介します

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深川江戸資料館のなかに入るとそこは江戸時代
資料館のなかに入るとそこは江戸時代だ
まずは深川江戸資料館の基本情報。

場所は、都営大江戸線もしくは半蔵門線の「清澄白河」駅から徒歩3分。なんというアクセスのよさ。料金は大人400円、小・中学生50円と超リーズナブル。

ちなみに資料館のそばにある霊巌寺には、11代将軍・徳川家斉の時代に「江戸三大改革」のひとつ「寛政の改革」を牽引した堅物マジメ老中・松平定信のお墓があります。

老中・松平定信の肖像画。吉宗の孫でかつて将軍候補にもなった
暴れん坊将軍・徳川吉宗の孫で将軍候補に名の挙がったこともある松平定信
深川江戸資料館のあるエリアは「白河」という地名なのですが、これは松平定信が白河藩主だったことに由来するらしい。

それではこだわりすぎる深川江戸資料館を紹介します!

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深川江戸資料館のこだわり その1。江戸時代の下町を丸ごと再現!やたら細かすぎる設定も


いきなり度肝を抜かれるのは、資料館内部に江戸時代の下町を丸ごと再現していること。

実際に江戸時代にあった深川佐賀町という隅田川沿いの町がモデル。時代的には江戸時代後期で、老中・水野忠邦が「天保の改革」を行ったり、緒方洪庵が大坂で適塾を開いたり、隣国ではアヘン戦争が勃発していたり、と幕末の動乱期に足を突っ込みかけている頃です。“奇想の絵師”歌川国芳が活躍したり、葛飾北斎も80歳を超えながらなお凄みをみせてる。そんな時代の町並み。

まず、一歩入って目に飛び込むのが、この町一番の大店・多田屋。

江戸時代の門松(深川江戸資料館 再現)

この時は、お正月が近かったこともあり店先に大きな門松が。江戸時代の門松は現代のとずいぶん違う。

多田屋さんは、当時の畑の肥料である干鰯(ほしか)魚や〆粕(しめかす)を扱う大商店。深川といえば隅田川河口という場所柄、現在の銚子や九十九里で獲れたイワシを加工した肥料の集積地だったわけで、これにもとづきしっかり再現。

また、多田屋さんは魚油(ぎょゆ)も扱っています。余談ですが、魚油は当時の照明器具である行灯(あんどん)などに燃料として使われていました。ロウソクは当時高級品だし菜種油もまだ高い。で、お魚の油が照明の燃料として庶民に使われたんですが、当然ながら魚臭かったそう。

江戸時代の丸行灯(『座敷八景』「行灯の夕照」鈴木春信 画)
行灯といってもバリエーションは多数。ちなみにこれは丸行灯のなかでも「遠州行灯」と呼ばれる一部がスライド式になっているタイプ(『座敷八景』「行灯の夕照」鈴木春信 画)
多田屋さんのある表通り(メインストリート)には、ほかに八百屋さんもあります。

江戸時代の八百屋(深川江戸資料館 再現)

この八百屋さんの店名は「八百新」。

主人は30歳で、5歳上の姉さん女房がおり、10歳になるひとり息子がいる、という恐ろしく細かい設定。深川江戸資料館では江戸時代をよりリアルに感じてもらえるよう、いたるところでやたら細かい設定がされているのです。

当時、こんな風に表通りにお店を構える八百屋さんは珍しかったそう。なにせ表通りにある店(表店/おもてだな)は家賃も高い。なので、野菜を売るのは裏長屋に住む棒手振りが多かった。

野菜の棒手振り写真(明治時代 撮影)

これは明治時代に撮影された古写真ですが、野菜の棒手振りです。こんな風にいろんな野菜を天秤棒で担いで売り歩きました。このタイプが多かったんですが、八百新の主人は表通りに店を構えがんばったそうです。

店先には大根やねぎ、ごぼう、人参、小松菜などの新鮮野菜のほか、鶏卵も並んでいました。なお、鶏卵は今とは比べものにならないくらい高価だったので、めったなことでは庶民の口に入りませんでした

八百新のお隣にあるのは米屋「上総屋」。注文に応じて玄米を精米して売るお店だそう。

裏通りにある裏長屋の大家(深川江戸資料館 再現)
店先には大きなタライに入った米が
この上総屋は裏通りにある裏長屋の大家でもあるという設定。

表通りにある八百屋の「八百新」と米屋兼長屋大家の「上総屋」の間には木戸があり、ここをくぐると裏長屋ゾーンとなります。

江戸時代の長屋木戸(深川江戸資料館 再現)

これが長屋木戸。門のような形をしており、上部には裏長屋の住人の商売が書いてあります。また画像左には「暮れ6つ(日没)に門を閉めるよ」というようなことが書いてあります。

長屋の木戸は不審者を入れないための自衛手段でもあったため、万一、門限に遅れて締め出されてしまった場合には大家さんに直接頼んで開けてもらったんだとか(ガイドさん談)。

木戸をくぐるとそこは裏長屋。当時、この狭い土地にたくさんの人々が身を寄せ合って暮らしていたわけですが、深川江戸資料館の凄さは、この裏長屋に住む住人についてもひとりひとり細かく設定しているところ。見ていきましょう。


長屋住人その1 「米屋の職人、秀さん一家」


まだ2歳の小さな子どもを持つ若夫婦の家族。大家である米屋で通いの職人をしているという設定。小さい子どもがいる家らしく、家の外には布オムツが干してあったり、家のなかに風車などのおもちゃも。

江戸時代の若夫婦の家族が暮らす裏長屋(深川江戸資料館 再現)

台所も含めて四畳半とか六畳とかしかなかった裏長屋。そんな狭い部屋に住むのは独身者ばかりでなく家族もいたわけなのですが、大都市・江戸では子だくさん家族はあまりなく、子どもの人数は1〜2人くらいだったそう。今も昔も都会は核家族が多かったんですね。

しかも、10歳くらいにもなれば男の子も女の子も住み込みの奉公に出てしまうので、家族で暮らす年月は今よりうんと短かったんだとか。

長屋住人その2 「木挽職人の大吉」


水運に恵まれた深川は材木の集積地としても有名で、材木を加工する職人もたくさんいました。大吉さんもそのひとり。

『富嶽三十六景』「遠江山中」(葛飾北斎 画)

葛飾北斎の代表作『富嶽三十六景』の「遠江山中」にも木挽職人の姿が描かれています。画像中央、大きな木材の上で作業しているのがそれです。

大吉さんの家のなかにも木挽職人の仕事道具である大鋸(おが)がデーンと壁にかかっています。

江戸時代の木挽職人が暮らす裏長屋(深川江戸資料館 再現)

高所作業の多い木挽職人は信心深い人が多いそうで、大吉さんの家にも立派な神棚があります。ちなみに、大吉さんには奥さんがいるので、室内には鏡や化粧道具なんかもありました。

長屋住人その3 「棒手振りの政助」


22歳で独身の政助さんの仕事は、アサリやシジミのむき身を天秤棒で売る棒手振り。

江戸時代の棒手振りが暮らす裏長屋(深川江戸資料館 再現)

家の入り口にある障子には「むきみ」の文字が。

室内には商売品のアサリやシジミがたくさん入った天秤棒が置いてあるほか、サザエやアワビ、カキなんかもありました。かつての江戸の海ではいろんな貝がたくさん獲れたそう。「深川めし」は今でも深川を代表するグルメとして有名ですが、江戸時代から「深川めし」は名物グルメだったとか。

裏長屋の様子。畳を買えない場合はムシロで我慢していた(深川江戸資料館 再現)

政助さんは若いし独身ということもありお金もないようで、室内には畳すらなく板敷きにムシロを敷いただけ。裏長屋の家々にある畳は住人の私物で、引越しのたびにヨイショヨイショと持ち運んだんだそう。なので、畳を買えない貧乏人は政助さんと同じようにムシロで我慢したわけです。

長屋住人その4 「三味線師匠の於し津(おしづ)」


36歳の未亡人宅。立派なお店の女将さんをしていたものの、旦那が急死、店も閉店という憂き目にあい、無一文で裏長屋に流れ着いたというやけに生々しい設定の女性です。もはや執念ともいえるディテールへのこだわり。持ち前の教養を生かし、三味線の師匠のほか、読み書きや習字、裁縫の先生をしている。そのため、住まいもなかなか小綺麗で広め。

江戸時代の未亡人が住む裏長屋の様子(深川江戸資料館 再現)

文机の上にはお花もあってとっても女性らしいお宅。三味線の師匠のなかには美人もいて、美人師匠目当てに稽古に通う男性も結構いたそうなので、於し津さんもそうなんじゃないかと妄想。こんな感じ?

『江戸名所百人美女』「妻恋稲荷」(歌川国貞 画)
『江戸名所百人美女』「妻恋稲荷」歌川国貞

長屋住人その5 「船頭の松次郎」


堀割り沿いにある船宿で船頭をしている松次郎さんの家。船頭らしく半纏(はんてん)は波模様がデザインされたもの。ヒマな時には隅田川で漁もしているとかで、家には修理中の投網やビクもある。

船頭が住む長屋の様子。修理中の投網やビクもある(深川江戸資料館 再現)
裏長屋には長屋の住人が共同で使用する井戸やトイレもあります。

江戸時代の長屋の共同井戸(深川江戸資料館 再現)

これが長屋の共同井戸。資料館を訪れたのがお正月シーズンだったので、井戸にも注連飾りがしてあります。

「水道の水で産湯を使った」ことを自慢にした江戸っ子ですが、深川の方面には水道が通っていなかったそうで、この井戸は地面を掘って地下水を引いた「掘抜き井戸」として再現されているのだそう。しかし、もともと埋立地だった深川は井戸を掘っても海水混じりの水が出てきてしまうそうで、井戸の水は飲用には向かず、食器を洗ったり洗濯したりなどに使われたんだとか。

井戸の向こうに見えるのはお稲荷さん。江戸にはたくさんお稲荷さんがあり、裏長屋の共同エリアにもだいたいお稲荷さんが祀られていました。

江戸時代の長屋の共同トイレ(深川江戸資料館 再現)

井戸の向かいには共同トイレが再現されています。が、実際には井戸とトイレがこんなに近くにあることはないそう。なぜなら、トイレと井戸が近くにあったら疫病が蔓延しやすいから。

さて、「惣後架(そうこうか)」とも呼ばれた江戸の共同トイレ男女の別はなく、ドアも下半分しかないというオープンさ。現代人からすればとんでもないトイレですが、ガイドさんいわく、「ドアの上半分が開いていることで遠目にも使用中なのがわかる。しかも、しゃがんでいるから外から見えるのは頭部だけで顔バレもしないからこれは案外便利」だそうです。

ドアには「あけはなし たれかけ無用」の張り紙が見えます。「ドアの開けっ放し、トイレの汚しっぱなし禁止」というような意味です。

長屋の共同トイレ。トイレットペーパーである浅草紙は各人が持参(深川江戸資料館 再現)

トイレのなかはこんな感じ。

備え付けのトイレットペーパーなんてものはなく、トイレットペーパーは持参しました。ちなみにトイレットペーパーとして使われたのは「浅草紙」と呼ばれた最下級の再生紙でした。

裏長屋ゾーンにはほかにも大家さんである米屋の大きな土蔵もあります。

江戸の町ではしょっちゅう火事が起きていたのですが、土蔵は火事でも燃えないため、商売品のほか大事な家財道具なんかも蔵に収納していたんだそう。また、火事の時には土蔵の入り口に泥を塗り目張りをしたんだとか。蔵の横にはそれ用の泥も置いてありました。これ。

蔵の横の泥置き。火事の時は土蔵の入り口を泥で目張りした(深川江戸資料館 再現)

泥が足りない場合には味噌を使ったらしい。また、火事の時は土蔵の内部もたいへんな高温になるので、火事のあと3日経ってから土蔵を開ける、という決まりがあったとか。

余談ですが、資料館にある家々には靴を脱いで上がることができます。「展示品にはお手を触れないでください」という資料館が多いなか、深川江戸資料館ではだいたいのものに触ってもOK(もちろん扱いは丁寧に)。実際に持ってみたり、触れたりするとまた江戸の暮らしがより身近に感じられます。

さて、堀割(運河)の方に進んでいくとーー本当に堀割があってびっくり。すごい。ちゃんと水がたたえられ、水底には貝も!深川江戸資料館、がんばりすぎ。そして、船着き場には猪牙舟(読み:ちょきぶね)が。

江戸時代の猪牙舟(ちょきぶね)(深川江戸資料館 再現)

猪牙舟というのは船の一種なんですが、とにかくスピードがめちゃくちゃ速い。ひとりの船頭が数人のお客を乗せる高速ハイヤーで、「江戸の足」として重宝されたんだとか。江戸は運河の多い“水の街”ですからね。

で、その猪牙舟を所有し、何人かの船頭を抱えて人や荷物を運ぶのが「船宿」。「宿」とついてますが宿泊施設ではありません。が、船宿によっては宴席を開くこともあったり、男女の密会場所に使われることもあったそうな。

船宿の女将が猪牙舟を見送るところ(深川江戸資料館 再現)
船宿の女将が猪牙舟を見送るところ(『江戸名所百人美女』「永代橋」三代歌川豊国 画)
深川江戸資料館に再現されていた船宿もお客に食事を出すタイプのところだったようで、たくさんの食器が台所にありました。

船宿の台所にある食器棚(『江戸名所百人美女』「永代橋」三代歌川豊国 画)
船宿を横目に進むと広い空き地に出ます。ここは「火除地(ひよけち)」と呼ばれた場所。火事の多かった江戸では延焼を防ぐためこうした防火用の空き地が各所にあったんですね〜。

防火用の空き地なわけですから、基本的に建物を建造することは許されませんでしたが、移動可能な屋台や小さな露店などはOKでした。

深川江戸資料館では、火除地に、てんぷら屋さんと二八蕎麦の屋台、水茶屋を再現!

江戸時代のてんぷら屋(深川江戸資料館 再現)

これはてんぷら屋さん。江戸三大グルメ「てんぷら」「そば」「うなぎの蒲焼」として人々に愛されました。お店は店舗と屋台の中間とでもいうような「床店(とこみせ)」というタイプ。

てんぷらというと今では高級料理のイメージがありますが、江戸時代のてんぷらは立ち食いが基本のファストフード。どんなネタが並んでいるかというとーー

エビ、こはだ、イカ、穴子などは江戸時代の天ぷらネタの定番(深川江戸資料館 再現)

エビ、こはだ、イカ、穴子などなど。びっくりするところではハマグリのてんぷらも。どれも串に刺してあり、値段はどのネタでも1本4文(約100円)とめちゃくちゃ安い! ネタには塩などで下味がつけてあるので、なにもつけずそのまま食べることができたんだとか。下味をつける理由については保存のためというのもあるらしい。

こちらは二八蕎麦の屋台。

江戸時代の二八蕎麦の屋台(深川江戸資料館 再現)

看板には「二八」の文字とともに碇(イカリ)の絵が。これは「客の足を留める」というシャレなんだそう。本当に江戸時代はダジャレ好き。

蕎麦屋の内部はこんな感じ。

江戸時代の蕎麦屋台にある蕎麦猪口、丼、麺、お箸など(深川江戸資料館 再現)

こちら側には蕎麦猪口、丼、そばとうどんの麺、お箸など。

江戸時代の蕎麦屋台にある釜と湯切りなど(深川江戸資料館 再現)

反対側にはそばやうどんを茹でる釜と湯切りがあります。その上の棚には薬味入れや、ツユを温めるためのチロリが。一番下の棚には水瓶があり、丼を洗ったりするのに使いました。

実際にてんぷら屋さんと蕎麦屋さんがこんな近距離にあったら、てんぷら屋で串を買ってそれをそばに入れて「てんぷらそばのできあがり〜」なんてこともできたかもしれませんね。

こちらは水茶屋。

江戸時代の水茶屋(深川江戸資料館 再現)

よしず張りの店舗で、今でも神社の境内なんかで見かけるお休みどころのような感じです。ちなみに「水茶屋」というのは「液体状の茶を提供する店」という意味で、今でいう喫茶店のこと。こうした道ばたのほか、社寺の境内など人がたくさん集まる場所にありました。江戸時代のスーパーアイドル「笠森お仙」が看板娘をしていたのも笠森稲荷にあった水茶屋です。

一生懸命働いている笠森お仙(鈴木春信 画)
水茶屋「鍵屋」のアイドル看板娘として一世を風靡したお仙(鈴木春信 画)
水茶屋ではこんな風に急須ごとお茶を提供したそう。ちょっとお得な気分。

水茶屋では急須ごとお茶を提供した(深川江戸資料館 再現)

ほかに、いなり寿司の屋台もありました。

いなり寿司の屋台(深川江戸資料館 再現)

毎朝、お店の人が仕込んだネタを家から持ってきてここで売ったそう。現代のいなり寿司との違いは大きさ。

江戸時代のいなり寿司は大きい(深川江戸資料館 再現)

すごく...大きいです...

食べやすいサイズに切ってお皿に乗せて提供したほか、お持ち帰りもできたそう。いなり寿司は江戸時代後期に誕生したといわれる料理で、江戸時代の寿司のなかでも一番安い庶民の味だったんだとか。

また、おもしろいのが食べ方。江戸時代後期の風俗資料『守貞謾稿』によれば、いなり寿司の酢飯にはキノコやかんぴょうなどを刻んだものが混ぜられていたそうなのですが、その混ぜご飯いなり寿司にわさび醤油につけて食べたんだとか。

さて、江戸時代の建物は基本的に高くても2階建。

そんななかで飛び抜けて目立つ建物がこの火の見櫓(ひのみやぐら)。資料館のなかでもダントツに大きい。

江戸時代の火の見櫓(深川江戸資料館 再現)

この火の見櫓は実際にモデルとなった佐賀町にあったものを再現したそう(ガイドさん談)で、ビル3階くらいの高さがあります。よく再現したなあ、これ。火事がとにかく多かったので早期発見するため、こうした火の見櫓が江戸の町にはあちこちにありました。

とまあ、こんな感じで細すぎる設定をしながら町が丸ごと再現されているわけです。

深川江戸資料館のこだわり その2。 あふれる生活感



細かい部分までやたら再現度の高い深川江戸資料館。

なかでも興味深いのが庶民が使っていた生活用品の数々です。現代では見かけなくなったものもたくさんあり、当時の生活を垣間見ることができます。

たとえば、これはなんだ?

瓦灯は江戸時代の照明器具(深川江戸資料館 再現)

パッと見、お酒を入れる徳利のように見えますがじつはこれ「瓦灯(がとう)」という照明器具なんですね〜。

照明器具ひとつとってもバラエティ豊かで、いろんなタイプのものが資料館の家々にありました。

八間は船宿や料理屋、遊郭で使われた照明器具(深川江戸資料館 再現)

これは船宿にあった「八間(はちけん)」という照明器具。昭和の住宅にこんな感じの蛍光灯がありました、懐かしい。「八間」は中央に見える小皿に燃料を入れ灯芯に点火し、天井から吊るして使いました。部屋全体を明るくしてくれるので、船宿のほか料理屋や遊郭など人がたくさん集まる場所で使われたんだとか。

これも今では見ない生活用品。これ、なんだ?

紙ほうろく。茶葉をほうじる道具(深川江戸資料館 再現)

答えは「紙ほうろく」。答えを聞いてもピンとこないですよね。これは、火鉢の上にかざして遠火で炙って茶葉をほうじるための道具です。フライパンが普及すると姿を消したんだそう。

これは今でもある生活用品。使っている人はむしろ意識高いかも。

江戸時代の七輪(深川江戸資料館 再現)

七輪です。外に持ち出して魚などを焼いたのですが、長屋の住人同士で貸し借りすることもあったよう。本当に使っているような使用感がいい感じです。

台所にもおもしろいものがいっぱい。

江戸時代の竃と流し(深川江戸資料館 再現)

裏長屋にも大きなお店にも必ずあるのがこの竃(かまど/へっつい)。それと画像左にある「流し」。「流し」といっても各家に水道は通っていませんので、水は流れません。すりこぎや大根おろしを作る「おにおろし」、ざる、桶などの台所グッズがコンパクトに収納されています。

なかにはこんなユニークな台所グッズも。

ホタテの殻でできた貝おたま(深川江戸資料館 再現)

ジャーン。ホタテの殻でできた「貝おたま」です。ちょっとオシャレ。でも使い勝手はどうなんでしょうね。

天井の方を見上げればこんなものも。

江戸時代の煙出し天窓。紐で開閉可能(深川江戸資料館 再現)

これは煙出しのための天窓。なんとヒモで開閉ができます。深川江戸資料館では実際に自分の手で開閉することができます。雨の日は開けることもできないので、煮炊きの煙はどうしていたんでしょうか。

先ほどご紹介した長屋暮らしの36歳未亡人、三味線師匠・於し津さんの家にあったのがこれ。

藁で編まれたカゴに猫が入っている(深川江戸資料館 再現)

藁で編まれたカゴに猫が入っています。江戸時代版の猫のケージです。こんなものもあったんですね。於し津さんは先生なので、お稽古中に猫が邪魔しないようにしていたんでしょうか。

これも今ではお目にかからない。

大小暦とは江戸時代のカレンダー(深川江戸資料館 再現)

江戸時代のカレンダー「大小暦」です。270年ほど前のご先祖さまたちは普通に使っていましたが、現代人にはさっぱりわからなくなってしまいました。

狭い長屋では家具も最小限しか置けませんので、使わないときには布団を枕屏風でこんな風に隠していました

江戸時代、狭い長屋では畳んだ布団を枕屏風で隠した(深川江戸資料館 再現)

敷きっぱなしにしないところは素晴らしい。でも、なかには万年床の横着者もいたことでしょう。

ちなみに、使わない時に布団を風呂敷で包むのは火事の時にすぐに運び出せるため。江戸時代の布団は高級品で家財道具のなかでも非常に大切なものだったんです。

深川ならではの生活用品もさりげなく再現されています。これ。

下駄と足半(主に水辺で働く人が利用)(深川江戸資料館 再現)

大人の下駄と子どもの草履ではありません。どっちも大人用。大人用にしてはやけに小さいこの草履は「足半(あしなか)」と呼ばれるもので、船頭や木挽職人のように水辺で働く人たちが使ったんだとか。かかとがはみ出すので、滑り止めになったらしい。なるほどね。
深川江戸資料館では生活だけでなく、信仰心も再現されています。

たとえば、これ、なにかわかりますか?

疱瘡除けのお守り(深川江戸資料館 再現)

これは裏長屋に住む米屋の職人・秀さんの家の入り口に飾られているものですが、疱瘡除け(読み方:ほうそうよけ)のお守り

疱瘡(天然痘)は江戸時代、非常に恐れられていた伝染病で、小さい子どもなどは疱瘡にかかると死亡することが多かったのです。幸運にも生き延びることができても顔にアバタが残ったり……。

疱瘡は「疱瘡神」という神さまが起こす病気という言い伝えが古くからあり、その疱瘡神は赤い色や犬が苦手だといわれていました。なので、疱瘡にかかならいようにするため、小さな子どものいる家などでは赤だけで描いた絵(赤絵)や赤いダルマ、犬の張り子などをお守りとして置いたのです。先ほどのお守りにも赤い御幣がついていますよね。笹も古来、神聖な植物とされていたのでお守りになったのでしょう。

また、藁でできた丸いものは「桟俵(さんだわら)」というもので、米俵の両端に当てる藁のフタです。疱瘡が流行したらこれを川に流す(疱瘡神送り)らしい。

「米屋の秀さんは2歳の子どもを持つ若夫婦」という設定がここで生きてます。ちなみに米屋の秀さんの家には張り子の犬も飾ってありました。

さらに秀さんの家の入り口にはこんなものも。

インフルエンザ除けのおまじない(深川江戸資料館 再現)

「久松さんはただいま留守です」ということなんですが、この家族に久松という名の人はいません。じつはこれインフルエンザ除けのおまじない

ちょっと説明しますと、江戸時代、インフルエンザでも多くの人が命を落としました。大流行したインフルエンザには「お七風邪」とか「谷風邪」とか名前が付けられたんですが、そのなかに「お染風邪」というのもありました。

お染というのは江戸時代中期に実在した女性で、大坂の裕福な商店のお嬢さんでした。それが丁稚の久松と恋仲になり、身分違いの恋に悩んだ2人は心中という道を選びます。この心中事件はすぐに「お染久松もの」として歌舞伎や浄瑠璃になり、現代でも上演されています。

お染と久松(『恋合 端唄づくし』三代歌川豊国)
お染と久松(『恋合 端唄づくし』三代歌川豊国)
で、インフルエンザを「お染風邪」と呼んだこともあるので、「久松るす」のお札を貼ることで「お染さん、あなたの恋しい久松さんは留守なのでこの家には入らないでくださいね」と願ったのです。

さりげない飾りや置物にも両親の子を想う気持ちが溢れていることを知ると感動します。

深川江戸資料館のこだわり その3。時間ごと、季節ごとに変わる演出



とにかくリアルさにこだわった深川江戸資料館なんですが、夜明けから日没までの時間経過まで演出として組み込まれているのがスゴイ。

夜が明ければ日が昇り館内全体が明るくなり、どこからか物売りの売り声が聞こえてきたり、長屋の屋根にいる猫が鳴いたり、火事があったのか火の見櫓の半鐘が鳴らされる音が響いたり……。音と光の演出で、まさに江戸の日常を体感できるわけです。

そして日没になれば館内は薄暗くなり、空には月が浮かびます。

夕暮れ時の堀割(深川江戸資料館 再現)
夕暮れ時の堀割。風情ある〜
犬の遠吠えなんかも聞こえてきます。

また、季節ごとにもあちこちの演出を変えているそう。

たとえば、正月には家々に正月飾りが飾られ、お雑煮が並ぶお雛様の季節には雛人形が家の中を華やかに彩り端午の節句には鯉のぼりや柏餅が飾られる……などなど。

お正月シーズンに行けば、今では見られない江戸時代のお正月飾りがたくさん楽しめます。

繭玉というお正月飾り(深川江戸資料館 再現)

これは「繭玉(まゆだま)」というお正月飾り。木の枝にカイコの繭をかたどった餅や団子をつけて神棚に飾りました。五穀豊穣や繭の豊作を祈願したそう。

江戸時代の鏡餅(深川江戸資料館 再現)

こっちは船宿に展示されていたものですが、なんと鏡餅なんです。餅が見えないほど立派な飾り。伊勢海老や裏白、御幣などのほか、一番目につくのは立派な昆布! 酒樽の上に飾られていました。

江戸時代のお雑煮(深川江戸資料館 再現)

お正月ということでお雑煮も。江戸のお雑煮はすまし汁に焼いた角餅、里芋、大根、青菜というシンプルなもの。

ほかにお正月限定の商売も登場。

江戸時代の凧(深川江戸資料館 再現)

みんな大好き凧揚げ凧を売る商人は元日から大忙しだったそうです。ちなみに、字だけの凧より絵凧の方が高い。

行事だけではありません。季節ごとに生活用品や八百屋に並ぶ野菜の種類も入れ替える念の入れよう。いったいなにが、深川江戸資料館をそこまでさせるのか。

江戸時代のコタツ(深川江戸資料館 再現)

冬ならコタツが登場しています。あと、「手あぶり」という簡易暖房器具とか。夏なら簾(すだれ)や風鈴、うちわなんかが登場するそう。

ほかにも館内に流れる物売りの声も季節ごとに変わるそうなので、いつ行っても楽しいですね。

深川江戸資料館のこだわり その4。ガイドさんによる超絶ていねい案内



最後にこれが一番スゴイかもしれない。とにかく館内に数人いるボランティアガイドさんの案内がめちゃくちゃ丁寧。

混雑状況にもよりますが、運がよければほぼ“プライベートガイドさん”状態で案内してもらえます。どんな質問にも気軽に答えてくれますし、いろんな情報をゲットでき、より江戸体験を楽しめます。

外国人観光客の姿も結構あったんですが、さらりと英語対応もしていました。

以上、江戸の暮らしに触れて楽しめるこだわり過ぎの資料館・深川江戸資料館の紹介でした。

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パンツを着用しない時代、女性の下着はどんなもの?

銀ブラをする昭和の女性1963年(昭和38年)昭和の女性が、洋装で銀ブラ。和装から洋装への大転換は日本文化にとって大事件でした。[fluct device=PC num=0][fluct device=SP num=0]さて江戸時代、男性の下着は安定のふんどしですね。女性たちは下着としてどのようなものを使用していたかといいますと、それがこれ。『水鶏にだまされて』石川豊信 画(『水鶏にだまされて』石川豊信 画)「湯文字(ゆもじ)」と呼ばれる四角い布です。今でいう「腰巻(こしまき)」。ヒモがついており、巻きスカートのように腰に巻きつけて使用しました。長さは膝より少し下くらいまで。うっかり裾がペラリと開くと陰部が見えてしまうので、そんなことがないよう下着の4ヵ所にはおもりが入っていたとか。素材は木綿で、色は白もしくは緋色。年配女性は浅黄(あさぎ)色が多かったそうです。さらに、湯文字の上に「蹴出(けだし)」というものを着用しました。「裾よけ」ともいいます。これは今でいう「ペチコート」で、歩く際に湯文字がチラ見えするのを防いだり、着物の裾さばきをよくするために使用されました。長さは湯文字より長く、足首までありました。湯文字と異なり蹴出は「見せ下着」、むしろ見られることを意識した下着のため華やかな柄の布が使われ、女性の足元をより色っぽく見せるのに一役買っていました。『浮世名異女図会(うきよめいしょずえ)』「江戸町芸者」歌川国貞 画(『浮世名異女図会(うきよめいしょずえ)』「江戸町芸者」歌川国貞 画)美しい芸者の足元を見ると緋色の蹴出がチラ見え。足の白さと赤い下着の組み合わせの色っぽさ。ちなみに農村部などでは湯文字を使用することもなく完全に「ノー下着」だったそうです。ですので、作業中に「よっこいしょ」と腰をかがめたりすると陰部が丸見えになる、というのは、農村によくあるのどかな風景でした。


江戸時代からナプキン派、タンポン派にわかれていた!?

パンツを着用しなかった時代。ふと頭に浮かぶ疑問は「江戸時代の女性たちは、生理のときどのように処理していたのか?」。現代にあるナプキンやタンポンといった便利な生理用品。ナプキンの原型ともいえる「アンネナプキン」が発売されたのは、わずか50年前、昭和38年(1961年)のことでした。お年寄りが生理のことを「アンネの日」というのはこれに由来しています。「アンネナプキン」発売の広告「アンネナプキン」発売の広告。キャッチフレーズ「40年間お待たせしました!」は、アメリカで使い捨てナプキンが発売されてそれに遅れること40年にしてついに発売、ということを意味しています。[fluct device=PC num=1][fluct device=SP num=1]さて、ナプキンなどがない江戸時代、女性は生理になると前垂れのあるふんどし状の布で押さえていたそうです。これは見た目が馬の顔に似ていることから「お馬」とも呼ばれていました。この「お馬」のなかに再生紙やボロ布を折りたたんだものを入れ、陰部にあてがってナプキンのようにして使用しました。布は洗って何度も使ったとか。また、再生紙や布を丸めて膣に詰め込んだりすることもあったそうです。今でいうタンポンみたいな感じですね。再生紙や布を使うのは都市部のこと。農村部では綿など柔らかな植物を陰部にあてがったり、膣に詰め込んだりしていたといわれています。また、生理期間中は血による“穢れ(けがれ)”を忌み、家族と接しないよう「月経小屋」と呼ばれる場所で生活したとか。ちなみに、これは確認しようがないので定かではありませんが、一説には、江戸時代の女性たちは現代女性に比べインナーマッスルが発達していたため、経血を膣内にためておいて用をたす際に排泄したとも。今風にいうと「経血コントロール」で、そのため簡易な生理用品でも大丈夫だったとか。そもそも経血の量そのものが少なかったという説もあります(諸説あります)。いかんせん生理に関する資料が少ないので確かなことはわかりませんが、現在のような生理用品がなくともなんとかなっていたことだけは確かです。