長屋住人その1 「米屋の職人、秀さん一家」
まだ2歳の小さな子どもを持つ若夫婦の家族。大家である米屋で通いの職人をしているという設定。小さい子どもがいる家らしく、家の外には布オムツが干してあったり、家のなかに風車などのおもちゃも。台所も含めて四畳半とか六畳とかしかなかった裏長屋。そんな狭い部屋に住むのは独身者ばかりでなく家族もいたわけなのですが、大都市・江戸では子だくさん家族はあまりなく、子どもの人数は1〜2人くらいだったそう。今も昔も都会は核家族が多かったんですね。
しかも、10歳くらいにもなれば男の子も女の子も住み込みの奉公に出てしまうので、家族で暮らす年月は今よりうんと短かったんだとか。
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長屋住人その2 「木挽職人の大吉」
水運に恵まれた深川は材木の集積地としても有名で、材木を加工する職人もたくさんいました。大吉さんもそのひとり。葛飾北斎の代表作『富嶽三十六景』の「遠江山中」にも木挽職人の姿が描かれています。画像中央、大きな木材の上で作業しているのがそれです。
大吉さんの家のなかにも木挽職人の仕事道具である大鋸(おが)がデーンと壁にかかっています。
高所作業の多い木挽職人は信心深い人が多いそうで、大吉さんの家にも立派な神棚があります。ちなみに、大吉さんには奥さんがいるので、室内には鏡や化粧道具なんかもありました。
長屋住人その3 「棒手振りの政助」
22歳で独身の政助さんの仕事は、アサリやシジミのむき身を天秤棒で売る棒手振り。家の入り口にある障子には「むきみ」の文字が。
室内には商売品のアサリやシジミがたくさん入った天秤棒が置いてあるほか、サザエやアワビ、カキなんかもありました。かつての江戸の海ではいろんな貝がたくさん獲れたそう。「深川めし」は今でも深川を代表するグルメとして有名ですが、江戸時代から「深川めし」は名物グルメだったとか。
政助さんは若いし独身ということもありお金もないようで、室内には畳すらなく板敷きにムシロを敷いただけ。裏長屋の家々にある畳は住人の私物で、引越しのたびにヨイショヨイショと持ち運んだんだそう。なので、畳を買えない貧乏人は政助さんと同じようにムシロで我慢したわけです。
長屋住人その4 「三味線師匠の於し津(おしづ)」
36歳の未亡人宅。立派なお店の女将さんをしていたものの、旦那が急死、店も閉店という憂き目にあい、無一文で裏長屋に流れ着いたというやけに生々しい設定の女性です。もはや執念ともいえるディテールへのこだわり。持ち前の教養を生かし、三味線の師匠のほか、読み書きや習字、裁縫の先生をしている。そのため、住まいもなかなか小綺麗で広め。文机の上にはお花もあってとっても女性らしいお宅。三味線の師匠のなかには美人もいて、美人師匠目当てに稽古に通う男性も結構いたそうなので、於し津さんもそうなんじゃないかと妄想。こんな感じ?